最近のこと

 私は今年23歳になろうとしている。怖いなあ。この前まで10歳だったのに。つい最近まで公園の遊具を船に見立てて遊んでいたし、一日は途方もなく長かった。今はどうだ。こんな状況であるから、学校もアルバイトもない。当たり前のことであるが、学校と労働という嫌いな二大巨頭が私の生活を構築していのだ。私は労働や学校のように、決まった生活の様式がなくても、読書をして、映画を見るなど自分のための生活ができると自負していた。それが今は朝10時に起床し、スマホに目をやると日が暮れている。重い腰を上げてご飯を食べ、シャワーを浴び、アイスを食いながらゲームする。ただでさえ起床が遅く睡眠時間が長く、夜はなかなか寝付けない。そのくせゲームなんてするから目がさえて全く眠れない。

 子どもの頃から寝つきは悪かった。子どものころも眠れない夜には色んなことを考えた。死んだ後の事、昼間読んだ怖い話の事、私が眠っている間に起こる大人たちだけの戦争の事。元来心配性の私は常にいろいろなことが怖かった。大人たちの戦争なんてその最たるもので、私が眠っている間に、大人たちは戦争しているかもしれない。それもスターウォーズのような宇宙大戦争。お父さん、お母さんも突然むっくり起きてその戦争に参加してる。そんなバカげた想像をしては、ドキドキしていた。どんな内容であっても、想像は果てしなく広がっていく。広がるにつれて頭が興奮状態になり、眠れなくなる。唯一救いだったことは夜も永遠に広がっていたことだ。23歳の私が眠る前に考えることは、どうにもする気がない将来への不安、過去の失言、卒論、腰回りに着いた脂肪についてだ。どれもどうしようもなく、どうもする気がない。限りのある夜と、すぐそこまで来ている朝に焦って、ベッドの端に身体を縮こませている。そうしているうちにがくんと急に眠ってしまう。悪漢に追われて谷底に身を投げるときはこんな感じなのだろうか。

 世の中の23歳の大半は、何らかの職に就いて社会にでている。私も順当にいけばそうなるはずだったが、高校の時に1年留年して今は大学4年生をしている。本来の学年から脱落したこと、1年のブランクがあることはどうでもいい。問題はこれから先である。大学4年生であるならば、今の時期は就職活動の真っただ中であるはずだ。そうでなければ大学院に進学する者が多いだろう。何を間違えたか現在の私は卒業後の進路として後者を選んだ。
現在は一切の就職活動をせずに、大学院入試の準備をしている。そのため就職を考えている学生よりは、卒業論文に真面目にとりかからなくてはいけない。しかしその肝心な卒業論文は一向に進まない。図書館に行き論文を、博物館や資料館、公文書館に行き史料をこの目で確かめないといけないのにそれができない。私の心配がむくむく膨らんでいく。入試の勉強自体も全く進まない。どうしたもんかと思うが、どうにもしようとしない。

 いいか。私は学生という身分を続けたくて、働くことが怖くて進学するわけじゃない。学芸員になって教育と歴史学に貢献したいという明確な目標があるじゃないか。去年あんなに苦悶したじゃないか。学芸員は一握りの人間しかなれない上に、世間からは理解されず、給料も低い。そんなバカげた夢を諦められる機会だと思って博物館の実習に行った。それでも博物館の関係者用の廊下で私はここに居たいとあれほど思ったじゃないか。学芸員として採用される最低条件の修士号を手に入れるために、親に頭を下げて大学院の進学を決心したじゃないか。
 

本当だろうか。その決心はそれこそ夢じゃないだろうか。大学院のゼミに参加して1ヶ月が経とうとしている。私はアカデミックの世界で身を立てようとしている先輩、日本史学にすべての時間を捧げることを厭わない先輩との隔たりを感じてしまった。私は彼らのような人間じゃない。一つの物事に集中できず、興味関心は移ろうがそれを満たそうともせず、志は揺らぐ。大学院生と雖も研究者としてみなされるのだ。私はこの世界に身を置くことができない。今、直感でそう感じている。私のどうしようもない心配と不安がむくむく膨らんでいく。その不安が膨らむたびに、働くことは嫌だと泣きそうになる。

 社会に出るのは怖い。就職活動で自分を否定されるのも怖い。今まで生きてきた中で、ちょっとしたことですぐに社会との隔たりを感じ、社会に必要とされていないと思った。10歳の私は社会が得意でテストは90点以上だった。23歳の私は社会がわからず怖い。

社会のテストで90点なんて取ったばかりに、アカデミックの世界は私の居場所であり、その先にある学芸員は私の天職であると勘違いしていたのかもしれない。私は人とは違う。そう言い聞かせることで、一般企業で働かない、いや実際には拒絶され、働けないことを正当化していた。

そんなことを最近よく考えている。アカデミックの世界をよく知らずに、一方的に帰属意識を感じていたころはそれでよかった。しかしどちらの居場所からも逃げ回っている今の私は、この現実にいやでも向き合わないといけない。

学芸員という職業を父親から教えてもらったのは10歳前後だった気がする。その父親は娘の学費と生活費のために、定年を迎えたにも関わらず、非正規雇用者として5年間働くことになっている。私が家を出てからあっという間に老け込んだ父親だ。その父親の時間と命に見合った人間に私はなれるだろうか。

絶望しきるのにも体力がいるので、ギリギリのところで絶望せずになんとかやっている。

なんとかやるつもりだ。やるしかないのだ。9月の試験に落ちたらそれまでだ。その後就職活動をするだろう。23歳なんて若いに決まってる。でも10歳に比べれば老け込んだ。老け込んだ23歳は自分の思春期にケリをつけて、拒絶されていると感じている社会のどこかで居場所を見つけなくてはなれないのだ。それが大人になる事なのかもしれない。大人になったら、大人たちの戦争に参加しなくてはいけない。そんなことを最近は考えている。


#エッセイ #大学生 #最近の事

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