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いつかじゃ遅いけど、いつかをくれてありがとう

見慣れないアイコンだな、と思って通知を開いたら、高校同期100人ほどが入っているLINEグループが動いたようだった。

朝9時。
外はいつも通り夏の晴れた空が広がっていた。

その時私は新幹線に乗っていて、私の両隣には大学で出会った友達が座っていた。久しぶりの新幹線に、初めての行き先に少し浮き立っていたと思う。

その連絡を見た時、胸が一瞬すっとなったのがわかった。
それでもその一瞬を除けば普通に友達の声は聞こえたし、なんてことない振る舞いができたし、本当に普通だったと思う。

普通にできちゃうこと、それが少し悲しくて、寂しくて、時の流れは過去を過去にしてしまったのだなと、今そう思う。



大好きだった先生が亡くなった。
3年間現代文の授業を受け持ってくれていた先生。一度も担任の先生になったことはなかったけれど、学年主任の先生だった。

一番、いつかを思っていた人だった。

高校3年の冬に進路を大幅に変更して、1ヶ月で一から小論文対策を、しかも普通じゃない小論文の対策をしたいという無茶振りに応えてくれた人だった。

今でも忘れられない光景がある。
私は教室にいて、廊下側から2番目、後ろから2番目の席に座っていた。
きっと私はその時、英語か何かの過去問を解いていたと思う。

名前を呼ばれて振り返ると、後ろの扉付近に立っていた先生は、何枚かのプリントが入ったファイルを持っていた。

廊下に呼ばれて、先生のもとに行ったら、いつも通り少しいたずら顔で、首からぶら下げるネックレスがついた眼鏡をかけて、笑っていた。

ファイルを私に差し出して、

あなたは小説家になった方がいい。

そう言われた。

私が第一志望にしていた大学の過去問であった、1枚の絵から小説を書けというお題。
その過去問の添削をしてくれた先生の言葉は、その一言だけだった。



その先生は、毎週一つの慣用句をお題にして、その慣用句を正しく使った文章を書きなさい、という課題を出す先生だった。

私はいつも短編小説を書いていた。

たくさん褒めてくれたし、たくさんクラスのみんなの前で読んでくれたな。
病んでる?って言われたことも何回もあったな。

その先生に読んで欲しくて、褒めて欲しくて、毎回すごく時間かけてた。


小説家になった方がいいという言葉を胸に、いつか必ず小説を書いて、本にして、先生に見せに行こうと決めていた。会いに行こうと思っていた。
何度でも会いに行くチャンスはあった。でも、小説書けてからにしようって思ってた。

いつかって、こんなにすぐ叶わなくなっちゃうの?

先生、早いよ。

せめて病気だったこと教えてくれてたら、会いに行ったよ。
でもそういうことじゃないことも、そういうことを人に言いたがらないことも、そう言ってからくる人が好きじゃないことも、わかってる。知ってる。
遅いよね、わかってるよ。でも会いたかった。

先生の授業が好きだった。
考え方、感情、表現が好きだった。
美しい黒板の字が、毎週の課題のコメントが、私にむけてくれる目が、生徒と絡んでる先生の姿が好きだった。

先生が作るテスト、なぜかすごく相性が良くて、学年1位も2位も3位もとったことあるよね。解いてて一番楽しかったな。

小説、書こう書こうっていつも思ってたけど、普段忙しくて、やっぱり後回しにしちゃってた。でもちゃんと書くね。
本にするなんて叶うか叶わないか分からない目標掲げるんじゃなくて、たった先生ひとりのために書いて見せにいけばよかったんだね。気づくの遅かったね。でも後悔はしない。そう思われるのも、多分好きじゃないよね。

私の今の生き方にも、考え方にも、先生の影響、すごくあると思ってる。
間違いなく出会えてよかったと思っている人のひとり。

ちゃんと小説書いて、先生に見せにいく。
この本は先生がいたから書けたって、先生のために書いたって言う。

私が生きる意味をくれてありがとう。





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