映画「プリズン・サークル」感想&付随して思ったこと。

映画「プリズン・サークル」を見てきた。

『暴力の連鎖をとめたいと思っているすべての人へ』が、キャッチコピー。

更生に特化した「TC(Therapeutic Community=回復共同体)ユニット」というプログラムを日本で唯一導入している、島根あさひ社会復帰促進センターで、TCユニットを受ける四人の「受刑者」を2年かけて追ったドキュメンタリー。

公開直後であるので、せっかくならばぜひ見てもらいたいと思うので、ちょっとだけ、思ったことを書く。

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誰が、「加害者」を作るのか?➡️傷ついて、助けを求められなかった人の一部が、加害者となることは、多々ある。

TCでやってることは、対話、そして内省。
 ー痛みを吐き出して、初めて、自分の罪を見つめられる、と言っていた「受刑者」がいた。
 ー辛さを感じるのが辛すぎるので、感情がゼロになった、と言っていた「受刑者」がいた。
彼らの声を聞いたとき、強い苦痛・痛みをもっている「普通の人」と、加害者(なにかやってても、捕まっていない人など大勢いる)、そして受刑者の線引きは、とてもあやふやなものだ、と強く感じた。

「一般人」よりも、「受刑者」の彼らのほうが、より自分と向き合っているんじゃないか。罪を犯したという事実がつく分、罪悪感や(罪を認めるほど)今後ずっと続く償いに対する重荷を感じるなど、向き合うことはより辛いと思うが、それでも向き合おうとしている彼らの、ある種の覚悟を感じた。

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今、私はあるNPOで自殺対策の一環としてやっている相談事業の運営に関わっている。顔も、本名もわからないことが多い相談者の人と、相談員の人たちが辛さとか、消えたい気持ちや、死にたい気持ちと、向き合うことも多々ある。相談員の人たちは、真剣に向き合ってるし、何か措置が必要だったら、専門の団体に繋いだり情報提供もしている。事業で関わってる中で、日本社会の福祉の亀裂みたいなものを感じることもあるけど、こんなに、最前線で頑張っている人たちを見ると、日本も捨てたもんじゃないと思う。

事業に1年くらい携わっているものとして言うと、上にあげたドキュメンタリーの「加害者」が子供の頃に受けていたことと、現場で聞くケースのレベルは、そんなに大差ない。
自分には、事業で関わる生きづらさ、死にたさ、消えたさを持つ相談者のひとたちが、(相談事業に繋がることができなくて)一人で抱え込んでいるときに、何かのひょうしで加害者になってしまう可能性が0じゃないことがすごくスムーズに想像できた。

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今自分が感じる生きづらさの連鎖を止めるために、いまの自分の生きづらさと向き合いたい。

いろんな形はあるにせよ、精神的・身体的「暴力・抑圧(=傷つけられたこと)」を受けた・受けてきた・受けている人は、(レベルは違えど)めっちゃたくさんいると思う。

そして、映画のキャッチコピーみたいに、「暴力」は、連鎖するもんだなと私は感じている。
自分も、そのめっちゃたくさんいる人の一人だと思っているけど、
この流れを断ち切りたい、と強く思っている。

自分がされて嫌なことは、しない。
すごく当たり前なことだけど、自分がその世界観の中に居続けていると、それに慣れてしまって、それがない世界が想像できない。だから、抜けにくくなる。

でも自分の生きづらさを作った原因が、もうこれ以上広まらないように。
今の自分の生きづらさと、同じような生きづらさを抱えて苦しんでる人に、大丈夫だよっていってあげたり、その生きづらさを解放できるように。
もっと端的に言えば、この生きづらさを次の世代に連鎖させないために。

自分の生きづらさやネガティブな部分とちゃんと向き合って、内省して、(ある程度だとしても)解消したい、と思っているし、それは、すごく大切なことだと思っている。



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