創りたい学校像

私は、学校内外における教育格差を解消するスタートアップモデルとして、学校を創りたいと思っていました。

しかし、思うように構想や対象者が浮かばず、ただ自分が公教育を批判して、新しさや流行を取り入れた学校を創りたいというエゴが引っかかっていました。
その理由は2点あります。

~日本の教育は素晴らしい!~

1つ目に、日本の教育は世界と比べても劣らない実績があるからです。
それは2018年のPISAのデータ(図1)からもわかります。

画像1


OECDが進めているPISA(Programme for International Student Assessment)と呼ばれる国際的な学習到達度に関する調査に、我が国も参加しており当研究所が調査の実施を担当しています。PISA調査では15歳児を対象に読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの三分野について、3年ごとに本調査を実施しています。
研究所内に調査実施のためのプロジェクトチームが部・センターをまたがって組織されており、国際研究・協力部が総括的な事務局を担っています。
しかし、教育というのはデータが示すものがすべてではありません。

日本は、教育で優秀な成績を残しながらも将来の夢であったり、自信やビジョンが明確ではなくまた、幸福度も高くありません。

そして今回の新型コロナウイルスの流行によりオンライン教育の穴が顕著に浮き彫りになりました。オンライン教育はあくまで目的ではなく手段ですがオフラインができなくなったときに、学びが停止してしまう事態になりました。

さて、話は少しそれましたがいまはオンライン教育や分散登校などで教育の均等が確保されるようになってきています。

ん???
これが大きな落とし穴なのです。

~日本の教育の落とし穴~

2つ目の理由として、見えずらい日本の貧困の格差があります。

例を出すと、アメリカは絶対的貧困が見え、一見大通りを歩いていても裏通りに差し掛かると、スラム街といった光景が当たり前です。

では、日本にそのように顕著に表れる格差は出ているでしょうか。アメリカの絶対的貧困とは違い、日本は相対的貧困であるわけです。オンライン教育が進んでいない日本は、通信環境が整っていない家庭においては教育を受けられない事態に陥ってしまいます。それだったら、オフラインでなんとか賄って教材を家まで届けようではないか!次にこんな答えが出るでしょう。

確かに0ベース(教育をも全く受けられない)より1以上(少しでも教育を受けられる環境を!)の方が良いように聞こえます。もちろんその通りです。

しかし、これでは1ベースの確保にはなっていません。学校から教材を与えられたときに課題をする主語が『子ども』になっていると勘違いしています。確かに子どもが課題に取り組んでいるようにも思えますが、その課題は過去のものであると(いわゆる復習)子どもが主語になりますが、予習であれば、だれが実際に指導しているでしょう。親になりますね。あたかも課題が出されて子どもたちが学びを停止せずに授業が進んでいるように見えますが、実は子どもたちは親がいないと学べない環境になっています。

では、もう少し突っ込んでいきます。片親もしくは世帯収入が低くこのコロナ禍の中働かざるを得ない状況に陥ってしまいます。先ほどの話に戻りますが、教える人がいない中で授業を進めるのは難しいでしょう。もしこれができていれば、アクティブラーニングや問題解決能力、生きる力の育成といったことばは生まれてこないでしょう。これが落とし穴なんです。相対的貧困による見えない教育格差なんです。

さて、ここまで相対的貧困による教育格差の一例を話してきました。
この2つの日本の光と闇の部分を細かく整理していくうちに私が創りたい、いや創らなければいけない学校が見えてきました。

~創りたい学校~

ここからは、日本の教育課題に(今回は相対的貧困を軸に)創りたい学校像を紹介したいと思います。
課題①
平成30年の文部科学省のデータ(図2)によると就学援助受給者の推移が平成23年度と比べれば減少傾向にあるものの、まだまだ解決には至っていません。

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課題②
平成20年の少し古いデータになりますが、世帯収入と子どもの学力は比例しています。(図3)

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まだまだ課題はありますが、この2つの課題からわかることは環境によって学力の差がついてしまっているということです。
子どもたちは、生まれてくる場所を選べません。だからといって親が育児放棄しているとも思いません。

しかし、図3のようなデータが出てしまうのです。これは、平均的なデータと言えますが、やはり教育現場でも学力の格差は見えて子どもたちの自信がなくなっていっているのも現状です。


長くなりましたが、解決したい対象者は世帯収入が平均より低く学校では少し自信がもてなくなった子どもたちを対象にしたいです。
さて、学校のコンセプトを少し話したいと思います。
“親が教師として働き、その代価として謝礼を渡す”
私は、可能であれば親が教育者として学校に深く関わってほしいと思っています。理由は簡単です。親は必ず教育者としての知識と教養を身に着けていくべきなのです。教育の対象は、教師→学習者だけでなく親→子や上司→部下といった様々な教育があるからです。そして、何より教育者となればそこに責任と愛着が芽生えます。ここのセーフティーネットとしての研修やカリキュラムの整備は深く考えていく必要があります。


今日の日本では、公教育は整備されていきPISAの結果からもわかるように他国と比べても優秀な成績を修めています。しかし、教育は時代によって変化していくものなのでPDCAを常にまわして向上していくといった未来の課題は山積みです。いま実際に足りていないのは充実した公教育から外れてしまった、もしくは物足りない子どもたちの居場所です。私は、創る学校を通して公教育に戻す仕組みを作ろうとは思いません。希望するなら別ですが。

例えばですが、学力が平均値の子どもたちを0とします。
言い方が少し悪いかもしれませんが学力ではかったときに平均(0)よりマイナスだった子どもたちを、平均(0)に戻す教育は目指していません。平均(0)より専門的にとがらしたプラスを目指しています。
学校の中での小さな成功体験の機会を充実させることによって、子どもたちが主体的になり自ら学習するようになります。ここでのプロセスは決して簡単とは思っていません。
そこで主体的に思ったことが公教育の勉強ならそこにフォーカスすればいいと思います。しかし、より専門的なことを学びたいという意思が芽生えたならその道にフォーカスしてサポートしていきたいと思います。

本来ならば、学校の設備や建物のことについても話したかったのですが、分量が多くなりすぎると最後まで読んでもらえなくなると思いここまでとさせていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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