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世界の中での自分の立ち位置

違いとは一体何だろうか?生まれた国が違い、生きる国が違う。肌の色が違う。言語が違う。考え方が違う。近代歴史はこの違いということが大きなテーマだったし、それにより悲惨な経験も人類は身をもって体験した。歴史を紐解かなくても学校の大きな問題の一つである「いじめ」にもこの「違い」が関わっているのは説明するまでもない。

少しテーマから離れるようだが、我々の日々の生活を振り返ってみよう。通勤電車の中でも、学校でも、会社でも、それ以外の場所でも人々は勉強や生産活動を行う以外にはスマホや友人や家族との会話に興じるという日々を過ごすのが基本である。1日楽しく過ごせたかどうか。それは過ごした1日の間にどれだけ心が満たされたかどうかであるとも言える。スマホで遊び過ぎたらなんとなくもったいないという気持ちになるし、友達とケンカしたのであれば、その日は嫌な気持ちを抱えながら眠りにつくことになる。

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この日々の営みはどこの国や地域に行っても変わらない。もちろん、スマホは国によって事情は異なるかもしれないが。それでも、ルワンダの田舎地域に行ってもスマホをいじっている人たちに出くわし、「こんなところでも歩きスマホを見るのか!」と驚いたのは事実である。

それはさておき、人々の過ごし方、楽しみ方、怒るポイント、笑うポイント、何も違いは無い。それでは、なぜ異国の人たちと接することに我々は恐れを感じるのだろうか?「言語」「文化」「習慣」色々な理由を人はつけたがるが、そこにあるのは「接し方が分からないのに時間を共に過ごすことが嫌」とか「なんとなく、知らない人たちと過ごすのは怖い。」といったような「心理的」な側面が大きいのではないだろうか。つまり、自分の存在を守るがあまり、自分の世界観を狭めてしまっているということである。

筆者もそうだったし、今でもそういう自分が心の中にいるということは否めない。しかし、その壁を乗り越えた時に「一緒だな」と感じる同質感は何よりもの感動である。「自分の殻に閉じこもるな!」とは学校でよく教えられたが、その殻を破った先には素晴らしい世界が待っているということをもっと早く教えてもらいたかった。その時の自分が理解できたかは怪しいが。。

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フィジーという島国に行った時である。現地エージェントの紹介で、現地の人たちと「カバ」と言われるアルコールの入っていない現地のお酒(?)を一緒に飲んだ。相手も自分も英語がわかるということは救いだったということもあり、その会は大いに楽しめた。彼との会話の中で今でも心に残っていることがある。それは、「お前はスマホは何をもっているんだ?」と聞かれた時だ。自分はApple製品が大好きなので「iPhoneだよ。」と答えると、相手は「日本はソニーとかパナソニックとか優秀な会社があるのに、なぜアメリカ製のものを使うんだ!」「俺は日本製が本当は欲しいんだが、高くて買えないから○○製を使っているんだ。」と怒られたのである。日本では日本製という理由で何かを買うことはあまりない。世界の中で日本のプレゼンスが下がっているということが問題となっているが、こうして、日本という国を認めてくれる人があまり馴染みの無い国にもいるということが印象深かったし、日本人であることを誇りにも思った。

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開発途上国を含め、世界各国を筆者は訪れた経験があるが、日本人はどこでも愛される。日本人というだけで信頼もされる。そういった先人達が残してくれた財産を次世代にも同じ環境を享受してもらうために我々は守らなければならない。日本人に生まれたからこそ確立出来る世界での立ち位置はきっとあるはずだ。もしも、この記事を読む人が日本人以外の人であれば、自分の国のことに置き換えてくれても良い。なによりも、伝えたいことはこれを読む皆さんには「世界の中での自分の立ち位置」を自覚して欲しいということだ。そうすれば、先祖代々受け継がれた世界での「信頼」を担保にしながら、自分にしか出来ない世界との関わり方が見えてくるはずだ。

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世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。