見出し画像

バイリンガルの難しさ

 日本人の英語のできなさはここで語る必要もないぐらい明白である。留学時代に友達のコロンビア人に「日本人は漢字とアルファベットという両極端の言語を使えるのだからすごい」と言われたことがあるが、考えてみると英語と日本語は両極端な言語なので習得はその他の外国人に比べて難しい言語と言える。

 しかし、島国日本はどうしても市場を世界に求めるしかないということで、英語4技能の必要性が広く認知されるようになった。大学入試制度改革の筆頭に上がったのが英語試験だったのは記憶に新しいだろう。

 このデーターは2018年のものなので言葉を発する英会話は2020年のコロナ禍の影響は大きく受けたものと思われる。それでも、いずれは終息し国と国が繋がる時代に戻ると誰もが信じているので、英会話スクールはまだまだ伸びしろのある分野と言える。

 私は自慢にもならないが留学するまで英語は一切できなかった。中学・高校時代には授業中は眠って部活のために体を回復させ、テストの点はカルガモの家族(2222)と揶揄されていた。留学準備のための専門学校に入学してからも毎日ボーリング、麻雀などなど遊び呆け、あまりに遊びすぎてTOEFLという1回数万円もするテストも友達の家で寝過ごして不意にしたという始末である。

 ここの読者方々にそんな人生の末の方の話をしても何の特にもならないだろうが、留学時代には眠る時間を惜しむどころか辞書と共に寝て、わからない単語の夢を見た時には「ガバっ!」と起きてその単語を調べまた寝るという生活を1年は続けたという努力に免じて勘弁頂きたい。

 私の時代の英語授業といえば、Hello! How are you? I'm fine and you?を永遠に繰り返させられた低レベルのものだったが、その頃の授業に比べて本当に質が高くなったなと時たま見学する英語授業でつくづく感じる。

 誰が何を言おうとAIがいくら発展しようと人と人との繋がりにおいて語学は必須であり、むしろAIが発展すればするほど、それを介さないで直接意思疎通ができる人間の価値は上がるのではないかと思う。誰もコンピューター音声音よりも生で語る声の方を信頼するものだ。

 そこで日本人の多くが憧れるのがバイリンガルである。日本語も英語もまたはそのほかの言語もネイティブレベルで扱える人材。幼少の頃から子どもに英語を学ばせるの主な理由は子どもにバイリンガルになってほしいからであろう。

 しかしバイリンガルというのは実は誰でも成れるものではない。言語習得というのは巷に言われている聞き流しとかいうレベルでは難しいのである。小さい子が言語を習得していく過程を見ればよくわかるだろう。聞き、真似をし、反応を感じ取り修正する。その途方もない作業の繰り返しだ。

 子どもは脳神経の繋がりがまだ脆弱なため、母語と他言語の神経細胞が複雑につながってしまい結果的にどちらも中途半端になってしまうということも懸念されている。

 小学校に入学しても一向に学力が上がらない子どもがいて、調べたところ親が英語を習得させようと週何日も英会話スクールに通わせていたことがわかった。泣く泣く英会話を断念させたところ学力も同世代レベルに回復したという話しもある。複数言語を操れるようになるのは一部の天才的才能を持つものだけと思って良いかもしれない。

 では、日本人は英語を身につけることはできないのだろうか?もちろん、そんなことはない。要はレベルの問題である。ネイティブの人たちと何の問題もなく意思疎通ができ、学校の授業内容まで理解するレベルにしたいのであれば逆に日本語を諦めた方が良いと思う。しかし、多くの人は日本語を基本言語としつつ、英語も問題なく使えるレベルで満足するはずだ。

 幸いにも英語は世界の共通語である。世の中にはネイティブの発音にこだわる人が多いが、英語をネイティブにしている人など世界の4億人程度だ。その他の人たちは皆それぞれの国の訛りを保ちつつ英語を話す。まずは母語、それから英語を鍛えるという順番でも何の問題もない。親がネイティブ信仰を捨てた時、子どもの語学力は上がると言っても過言ではない。


 


世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。