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モノの言い方と社会性

ここ毎年、秋に栗の渋皮煮を作るのが恒例となっている。

義母が義母のご実家に帰省する際に収穫してきてくれたものを
おすそわけいただくのだ。大きい、立派な栗である。
旦那なんかは「いもくりかぼちゃ」という3大ホクホクは苦手な部類の人間なのでもっぱら私が消費するのだが、それでも栗は好き。
栗ご飯、渋皮煮、モンブラン…思い浮かべるだけで楽しい。

そして今年も例に漏れず、大きな栗をいただいた。

しかし私は失念していた。実は栗は常温ではそんなに長持ちしない。なので収穫したら早めに調理してしまうか、保存処理をしておくほうがよい。

私の悪いクセで後でやろうと少し脇によけておいたのだが、気付いたのは数日経ったあとだった。白いモヤモヤと緑のモケモケ(察してください)がまんべんなくいきわたり、完全にダメになっていた。

ダメになった栗については後日義母に報告しようと思ってはいたが、わざわざ報告するまでもない、タイミングを見て報告しようと思っていたら、その機会は案外早く来た。先日運動会の折に会ったときである。

「そういえば〇〇ちゃんねぇ、栗なんだけど、まだあるから使わない?こないだの栗、食べた?」

あっ、と思い出してダメになった栗についてどう言おうかと

「そういえばいただいた栗なんですが・・・」

と口を開いた瞬間、寸分与えず4歳息子が満面の笑顔で

「カッビカビ~!!!!!!」

と叫んだのである。思わず爆笑してしまった。
私(大人)だったら先に述べたように、「ちょっとダメにしてしまって」だとか、「保存するのが遅れてしまって悪くしてしまいました」などと言い方があるだろうに、世の中を知らぬこの子どもは、なんというドストレートにものをいうのだ。こういう、物事の本質だけを回りになにひとつの配慮もせずにズカズカ言ってしまうことをいつ卒業したのだろうか。大人へ成長するステップのうち、どんな場面で習得したのだろう。これが社会性ってヤツ・・・。

義母は大変おおらかで優しい人なので、同じように爆笑してくれて、いいのよ、カビちゃったのねぇなんて笑ってくれたけれど、場合によっては肝を冷やすぜ・・・と母(わたし)は思ったのだった。

大げさなタイトルですが与太話ですみません。そして追加でいただいた栗を使って、本日は栗ご飯とさせていだだきます。ダメにしてしまった栗たちへ、合掌(いただきます)。


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