見出し画像

オーバードーズとスニッフ

仕事も学業も趣味も対人関係も必死になって生きることをやめてオーバードーズとスニッフが必須になってしまった私の経験談。


オーバードーズ通称OD。お金を払って買ったその薬は私を止めてくれると思っていた。
山のようにある錠剤を頬張り大量の水で流し込むのが初めは苦しかったけどこれ以上苦しまずに死にいたれると飲み干した後安堵するのであった。
それから1時間後、体は自然と異常反応を示す。

まずベッドに寝たまま動けない麻痺状態、心拍数が上がり記憶が曖昧になりまるで生死を彷徨うような感覚を味わう。

この感覚がクセになり何度も胃液を吐いても痙攣しながら泡吹いて倒れても懲りずに20代前半の私はレタス(レスタミン)にハマってしまう。
決してハイになるわけでもなく飛んで瀕死状態を繰り返した。
当時実家に療養していたときは私の部屋に監視カメラがあり壁には黒く大きい何かがかすった跡がありベッド付近の壁は爪で引っ掻いたため細かい剥がれがあった。

市販薬だけではなく何種類ものメジャートランキライザーや抗うつ薬、睡眠導入剤があったためとにかく私以外気が気じゃなかった。
私はとにかく早く自決をしたかった。それでも医療措置は暴走を止めるために私を何度も医療保護入退院をさせた。

そしてODをやめるきっかけは最後の入院。
当時の主治医がラツーダとクエチアピンだけの大幅減薬を試みた。

私の本当の地獄はこれから。保護室に隔離され何週間後4人部屋に移されても離脱症状に苦しみ呂律が回らずよだれがたれ縦文字が読めず何度も薬の欲のあまりにパニックになる日々。

それでもたくさんの人達の支えもあり、誕生日に退院してようやく自分の命を大切にしなければ社会復帰しなければここから抜け出さなければという考えになった。

そして2度と市販薬を買うことをやめた。もう3年も手に触れていないし見ないようにしている。


続いて、スニッフ。これは退院後マイナートランキライザーが処方されたときにした。
今もなお処方されているリボトリール、ストローで鼻から吸ったあのスッとした爽快感がたまらないが、耐性がつくのを恐れて今はしていない。

私の安定剤は、今の処方薬ではない。そもそも効く薬がない。だから外の世界へひとりで歩き色んな人との交流で現在の公嶋かなめが存在する。

私が生まれたことは偶然で所詮中出し証明書だが、あなたがこうしてこのダークで笑えないような話を淡々と読んでいただいていることは、必然的に価値がある。

そう思いたい。願いたい。

高望みはまずは己を整えてから。
助けが必要なら遠慮なく言いなさい。
それで良い流れに乗ったら身を任せて希望や信頼を他人と分かち合いなさい。
絶対楽しくて面白い未来になるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?