久々のインドカレー

 そう書いてはみたものの、店内に入るとネパールの国旗が目に入ったので、あれはネパールカレー屋だったのだろう。どの街にもよくある、と言っていいレベルで店舗を増やし続け、そしてこのコロナ禍においても何故かほとんど潰れない、謎のカレー屋である。

 日本に渡ってきて中古車の輸出などの商売をしているネパール人のネットワークに組み込まれているため、客がさほど入らなくても構わない、などという都市伝説的な理由も聞いたことはあるが、それにしても昼時なのに客がいなかった。恐らく居酒屋か何かを居抜きで使っているであろうその店は、客がいないのに店員の怒号に近い会話の声で満たされていた。何か揉めているのかと思ったが別にそうでもないらしく、中年女性が水を置いて厨房に戻る。

 ランチのメニューを確認する。大体どこも似たような構成で、カレーが小さな器に二種類、チキンティッカか何かがついてナンかライスがおかわり自由で千円前後――そう思っていたが、まず一つ、少し前とは違う部分があった。おかわりは一回まで。どこも不景気なのだな、海の向こうの戦争は少しずつ日常を蝕んでいく、そんな風に考えたが、メニューをよく見ると、予想に加えてシークケバブ、スパイスを効かせた挽肉を串に巻いて焼いたやつ、更にデザートとサラダまでついて千円ジャスト。これはかなり安いのではないだろうか。勢いこんでマトンとチキンをそれぞれ選んで注文する。

 個人的な経験則ではあるが、この類の店は料理の提供速度はあまり早い方ではない。少し足が遠のいていたのはそのせいもあるが、今日は時間があった。午後からの雨予報が気にはなったが、まあ大丈夫だろう。夜は酒を出すんだな、今も飲めるだろうけど、グランドメニューを眺め終わり、スマホを出すと、店名と同じwifiが自動で繋がった。何か少し不安になる。

 天気を確認しているとカレーが出てきた。既視感のあるセットだ。バターでつやつやと輝くナンに、わりと大きめのチキンとケバブ、例の少し粉っぽさを感じるドレッシングがかかった小さいサラダに、多分飲むヨーグルトだろうなというマンゴーラッシー。人生で70回ぐらいは食ってるセットだ。多分100はいってない。そこまでカレーに魂を縛られていないからだ。

 しかしどこか違和感がある――そういえば、ナンかライスにするか聞かれなかった。当然のように茶碗一杯分ぐらいのライスも皿に乗っている。ジャスミン米なのか、パラパラした食感のやつ。全体的に多いな、そう感じたがまあ腹は減っている。久しぶりの異国情緒溢れる香り、まずはライスを片付けて、少し冷めたがまだ十分に熱量を保ったナンをちぎり食う。

 うまい。次第に汗が出てくる。マトンは全く臭みがないわけではないが、実際はそれがちょうどよかったりする。サラダとチキンを挟んでバーガー風にしてみたり、ケバブを小さく分けてカレーに投入したりする。チキンティッカはなぜか、魚の干物のような食感があった。噛み砕いていくとチキンなのだが、噛んだ瞬間の表面の感じが干物なのだ。謎にうまい。

 腹が満たされていく。味蕾がスパイスで飽和していくのを抑えるため、道半ばではあるがデザートのヨーグルトに手をつける。中央に何か茶褐色の半球の物体が乗せられている。表面の照りもあって、一瞬杏の実か何かに見えて、スプーンで掬って半分ほど齧ってみた。

(果物じゃない)
(スポンジ感)
(すごく柔らかい鈴カステラ?)
(でも空気を含んだ感じがない)
(重い)
(空気が入っているべきところに何か違うものが入っている)
(液体)
(甘い液体)
(甘すぎる液体)
(甘い)
(甘い)
(これは待て飲み込むな一旦出せ)

 辛さや苦さを感じた時に出る警報が脳内に鳴り響いた。これをそのままのサイズで飲み込むと良くないことが起きる気がした。さっきまで食べていたカレーの味が全くしない。舌そのものが甘くなったような感覚。

 スマホで検索する間もなく、しばらく前に見たネット記事が思い出される。グラブジャムン。インドのスイーツで、丸い揚げドーナツをシロップに浸したものだ。ネパールの国旗飾ってるのに。甘いものはわりと好きな方だが、敢えて試すことはないだろうなと思っていた。それがこんなところで出会ってしまうとは。辛いもん食ってる時に。

 かなりべったりした甘さを消すために水を貰う。その時には最初のナンはかなり小さくなっていた。ナンいりますか? 片言でもない日本語でそう聞かれて、反射的にお願いしますと答えている自分に気付く。

 いやいらなくね? でもカレーまだあるよなあ。こういうとこのナンってふわふわしてて生地自体に僅かに甘味があってバターの塩気と相まってそのままでも結構食えちゃってバランス崩れがちなんだよなとか考えるがもう遅い。焼きたてのバカデカナンがサーブされる。ここから先は正直苦行である。ガンジーの人生に思いを馳せるがネパールの国旗が目に入って全然集中できない。あとはらいっぱい。ちぎれちゃう。

 食い終わった後も食道ギリギリまでナンが詰まっている気がしてしばらく動けなかった。グラブジャムンと戦うためにナンで包んで食ったのも今考えると何してんだという感じがする。そして思い至る。戦争はなくなった方が絶対にいいしコロナも解消して景気もよくなってほしいが、ナンのおかわりは元々1回あれば十分なのだ。うまかったけどまた足が遠のきそうな気がしていた。

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