就活、働くとは。自由にいきる私たちのために。inアフリカ【働く図鑑×ともつく×カナフルジャーニー】
アフリカはルワンダ。
今日からルワンダで6日間の自分でたちで作るツアーが始まる。
ツアーの様子は最後に添付した記事を読んでください。
その初日にこのツアーを各人にとってどのようなものにしたいのかについて話し合う時間を設けた。
参加メンバーは、普段からルワンダでツアーをしている同い年のカナ。
NPO法人「ともつく」で様々なことに挑戦する若者をつなぎ、化学反応が起こるようなコミュニティづくりに取り組む2個上のてんてん。
そして大学休学して、地域でのコミュニティづくり、団地の改装などに取り組むわたし、リコ。
この3人がそれぞれの不安、悩み、葛藤、希望、挑戦、得意いろんなものを持ち寄って作り上げるツアー。
私はルワンダに“逃げて”きた。
今やっている活動、就職活動、面白くない大人になること、そして自分自身から。
てんてんは、自分の将来に葛藤してて、今の自分に必要な何かを探しにきた。色々やってきたし興味があるが故に定めきれない人生の軸。ほんとは何がやりたいの?周りからの問いかけに答えられないもどかしさ。
カナはやりたいことがあるしビジョンも見えているのに、何かしっくり来ない。何に躊躇してるのかがわからない。自分の作りたい世界観と現実とのギャップをどうしたら埋められるのか。
それぞれ悩んでる私たちがルワンダという地で、共に悩み、泣き、笑い、語り合う。そんな6日間になった。
今回は出会って1番に語ったことの一部を公開。
トピックは、
「なぜ我々日本の学生は就活にとらわれているのか。働く=就活になっているのか」
きっかけ
この話になったきっかけは、なぜこんなにも未来への選択をせかされているのだろうという疑問からだった。大学卒業間近になり、いよいよ“社会人”としての一歩を踏み出す時期が来た私たち。
それぞれ休学したり大学行ってなかったりして、他の同世代に比べていろんなことに挑戦してこれたようにおもう。そして休むことや自分を生きることに寛容である。
だからこそ私たちにとっては「働く=就活」っていうのがしっくりきていなくて、でもその方程式しか見えてこない現代社会で、学生という保険が消えたあとどうやって自己実現していけばいいのかわからなくなった。
就活しなきゃいいじゃんっていうのは簡単。でもレールに乗らない生き方は、やっぱりちょっと孤独で。圧倒的に仲間が少ないからなかなか方法が見えてこない。
新卒カードなんて言葉が存在するぐらい私たちは就活にとらわれている。それを失うのが惜しいとまではいかないけど、いつまで自由に生きていられるんだろう。いつか自由の終わりが来るんじゃないか、社会に適合するのを遅らせているだけなのではないか。
社会の“正しさ”を選ばなかった私たちは、多分ずっと、自分たちのやってることを周りから測られ続ける。違うことをやってると、理解ができないことをやってると、理解ができる範囲でしか処理してもらえないから、無責任、ふらふらしてる、甘えてるなどというレッテルを貼られてしまう気がする。
ただ自分の人生を生きたいだけなのに、考えなきゃいけないことがおおすぎて嫌になる。なぜ就活をしないという選択肢が、一部の勇気あるもののみに限定される(ようにみえる)のか。
価値が多様化している今は、これが正解なんてないはずなのに、自分の選択を正解にすることに慣れていない私たちは、誰かに認めてもらうことでしか自分の価値を図れなくなっている。例によって私もそうだ。
就活では何ができるか。会社に、社会にとって役に立って人間かどうかを問われる。
その人がどんな人でどうありたいかは問題ではない。
会社にとって価値ある存在であることを伝え続ける作業はどれだけ苦痛なものか。
そこの個性はいらない。それっぽく振る舞えられれば良しである。
就活は一つの種目に過ぎない。得意な人もいれば得意じゃない人もいる。
しかし一部の企業はこの手段しか持ち合わせていないから、この種目が得意な人が入ってくる。
就活を経験する全ての人が、おかしなシステムだという。友達の何人かは心を病み、就活の話題をさないことが同年代コミュニティの暗黙の了解だ。自分も相手も傷つけるから。上手くいってても言ってなくても気まずいから。
みんな違和感を持っているのに変わらない。それが1番怖い。
そんなこんなで早速本題に移ろう。
就活って何
ー就活楽しいって言ってる人1人もいないよね。いまの就活って1つのスキル?みたいな感じで、合う人合わない人、得意な人苦手な人がいる。どれだけ自分を上手く見せられるか、どれだけ企業にとって価値のある存在であるかのプレゼン力だと思う。それは企業がよくいう「さコミュニケーション能力”とはまた別の能力だよね?(リコ)
ーそう。だから辛くなっちゃう(てんてん)
ー本当はいろんな働き方や生き方があるはずなのにね。私たちは少しずつそこに足を踏み入れているけど、でもまだ一般的ではない。だからチャレンジや人と違うことが孤独になってしまう。でもとかそこはてんてんがやってるトモツクが繋がりを通して解決しようてしてくれてるよね?だからめっちゃいいと思った。社会に対して?(ハテナ)をすることが社会から外れることになってはいけないよね、(リコ)
ーでもこういう状況を知った中で、自分はどこに身を置いて、どんなことに取り組んでいくか、その選択がすごく難しい。(てんてん)
ーでも自分のちっぽけさ、社会への影響の程度も知れてしまっているからまた難しいきがする(リコ)
ーそうそう、だからその狭間で悩んでしまう(てんてん)
ーえでもさ、インパクト残したいならそういう方法があるわけじゃん。でもカナは残したいとは思わないのね?多くの人に届けたいとは思うけど、自分と周りがハッピーになることが1番大事だと思ってるから、数字を追い求めるならそれでもいいけど自分は違うかなって思ってる。インパクトのためにお金を追い求める人生は嫌だなって思う。(カナ)
ー休学して半年ずっとぐるぐるしてたよ、なんでもないけどなんでもあるみたいな感覚で。でもいい意味で自分に対して期待がなくなった感じがする(リコ)
ーえ、それなんで(カナ)
ー昔は、ノーベル平和賞!みたいなおっきな夢掲げてて、自分が大きく輝いてる未来しか見えてなかったけど、コロナで留学断念することになったり、経済的な理由でやれることが制限されたりで、案外自分の人生って自分の思い通りに行かないものなんだなって思うようになっていったんだよね。小さい頃の、なんでもできる!っていう漠然とした無敵感が消えたみたいな(りこ)
ーえ、それ寂しくない?自分はなんでもできるみたいなマインドじゃないと落ちる、病んじゃう。だから無理矢理にでもそう思うようにしてるよ(カナ)
なんでもない、なんでもある私
ーそうだよね、めっちゃ寂しい。でも多分なんでもないって感じちゃうのは、基準が“社会にとって”だからなのかなとも最近思ってて。その時々に見えてる世界の中で自分を判断してたから何もないになっちゃってたかも。でも最近は見えてる世界自体が狭かったから、まだ違う場所や価値観があるのかも知れないって思てるかも(リコ)
ーかなてきには、自分自身が300%だって思てたらどこに身を置くとかは重要じゃないと思うよ。(カナ)
ーわ、それは確かに。(てん、りこ)
ーだから休学してからいろんなものを手放すようにしたかも。バイトとかお金とか、今までやらないと生きていけないっておもって詰め込んでみてたものを一旦ストップして、本当に自分に必要なものは何かを考える時期にしてるかな(リコ)
ー失うものないからなんでもできるね。でも「しなきゃいけない」がリコは多いね。しなきゃいけないじゃなくて何がしたいからはいらないと、そういうとらえになっちゃうのかなって思った。今日何食べたいとかそういうちっちゃなことでも、日々続けることで「自分が何がしたい」をベースに決定権が生まれてくると思う(かな)
ーわー確かに、そうだね本当に、納得です。でもたまに今自分がしていることに対して何してるの?って思っちゃう。自己満じゃないかって不安になっちゃうんだよね笑、だからフラフラしてる(リコ)
ーまあでも別に決めなくてもいいよね。決めなくてもいいけど、決まってないと疲れない?(カナ)
ー疲れる、笑けど決定を急ぎたくないし、この悩む時間も大切にしたい。今までは就活もそうだし、高校卒業からの大学進学とか、社会のスピードで決定するタイミングを決められてたけど、今はそうじゃないをから。タイミングを自分で選びたくて休学したってのもあるよね。(リコ)
ーしかもそれは、その時に見えてきた、与えられてきた狭い世界の選択肢の中から選ばなきゃいけない(ほぼ選ばされてるよね笑)から、それは私にとっては恐怖だった。まだ知らないじゃんこの世界を!って(てんてん)
ーじゃあなんでその恐怖の中に自分から飛び込んだの?かなは、それが嫌で大学休学してアフリカきたから、気になる(カナ)
選ばされてる選択肢
ー単純にそれしか選択肢がなかった。大学。働くはベースにあってその中でどこを選ぶかだけだったかな(てんてん)
ーそうだよね。見れる世界ってのはその時自分の身を置いてる環境の影響大きいかも。自分はど田舎の自称進の公立高校だったから大学行かないもそうだけど、私立行くってことですらかなり野蛮扱いされてた笑でもその先生たちも周り人もそれしか知らないからね。だから仕方ないとも思う。公立行って、市役所で働くのがいいこと!みたいな価値観が根強かった笑(リコ)
ーそれでいうとカナは高2の時に1年行ったニュージーで価値観ぶっ壊れたかも。(カナ)
ー私もどちらかというとそう。親が転勤族だったのもあって、カナダとかマレーシアとか海外も含めていろんなとこ住んでたから、選択肢は多かったかも。でも大学進学しかなかった。それに疑いを持たない世界だった。でもほんとにこれでいいの?って気持ちが拭えなかったから泣きながら志望理由書書いてたよ。(てんてん)
ー面白いねぇ(カナ)
ーやばいねぇ(リコ)
ーでも大学入って自由に過ごす先輩を見て、ここに入ったらこれにしかなれないとかがなくなって、もっとフレキシブルに夢を持ってもいいんだってなった。だから休学してみよう!とか色々広がったんだよね(てんてん)
ー大学の選択って大きいじゃん?だからもっと早く、それこそ高校ぐらいで知りたいよね。もう大学は社会だよ?って感じだよね(カナ)
ーでも中高でやることって基本受験勉強だから。もっとそういう世界が広がるような出会いが学校にこそあってほしいけど、学校がそうなってるのは保護者の影響も多いし、「そんなことより授業してください」って親がいるうちは無理だよなって思う。だから最近選択的通信(通信制の高校)とか羨ましいなって本当に思う(リコ)
背中を押してくれる存在
ーやっぱかなの高校特殊だったわ。大学行かないって言ったらみんなにめっちゃいいじゃん!って言われたよ。先生からも、校長からも言われた。そういう環境だからこそよかったなって。当時は聞きたくもないのに聞かされて嫌だったけど、無理やりなでもこじ開けてもらってよかったなっておもう(かな)
ー応援したり理解してくれる人が周りにいるのもすごく大事だよね、羨ましい(リコ)
ー否定する社会じゃなくて、とりあえずやってみなよとか、一回のいいじゃんが自分の人生を変えると思うんだよね。でこの認められる場所がコミュニティだと遅いなって思うんだよね。サードプレイスとかあるじゃん、そうじゃなくて、もっと身近な学校っていう場所で心地よい整えていかなきゃいけないと人って自由に生きられないんだなっておもう。カナ)
ーサードって遠いよね笑(全員)
ーやっぱ親も大きいよ。面白い学校とか多様な環境に置かせてあげたいって思ってくれないとそもそもそういう学校にも通えないし。チャレンジングなことさせたくないって思う親もいるじゃんね(てんてん)
ーうちの親は、自分たちは何も教えてあげられないから、外で学校で学んできなさいって感じだった。親の変なプライドがないのが楽だった(カナ)
ーいいねぇ。てかルワンダ緑綺麗だね(みんな)
そんなこんなで話は終了。
カフェを後にしました。
旅の中でいろんな話をする中で考え方もどんどん変わってきて、またそちらもシェアするので楽しみにしててください
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