見出し画像

また、世界に出るまで。4年間の遍歴と今

旅エッセイが進まない。このnoteの主目的である、過去の振り返り旅エッセイのことだ。過去の内容を掘り起こすという作業は、当時の想いにシンクロする必要があるから、当時の写真や日記、旅帖を見ることになるのだが、物理的に今はそれができない。

なぜなら、今、私はまた日本を出ているのだから。

2019年にNYにひとり旅をし、それ以降、4年ぶりの海外。そのあいだになにがあったかは、私がここで書く必要もない。

「コロナだからって外に出られないわけじゃない」と、嬉々として旅をしていた人もいると思う。

でも私にはとても、できなかった。例の注射を打つ選択肢がなかったもの。色々な考えがあるけれど、私はしつこく調べて自分にとってベストな選択をしたと思っている。移動する暮らしは自分の一部みたいなものだけれど、自分の命にリスクを負ってまで、するほどのことではない。

日本にいるあいだ、自分と向き合い、その自分と響き合う仲間たちと出会えたことは財産となった。

そのあいだ、高齢に差しかかる親にもいろいろとあった。
日本にいて近くにいられたことは本当に良かったな、と思う。もちろん時期が時期だったから、しょっちゅう会いにはいけなかったけれど。でも、いつでも駆けつけられる距離、というのは心を強くした。

そして同時期に、家族に若い命が誕生した。甥っ子だ。
彼の一番可愛いとき、いやずっと可愛いだろうけど、0~2歳というときに近くにいられてよかった。これも、しょっちゅう会いに行けたわけではないけれど、親が離婚しているためそれぞれの親が会うときに私も会ったから、親より倍会えてる。ラッキー!笑

この4年は、そんな日々だった。今、激動の時代と言われていて、もちろん私にもいろいろとあったけど…。なにもかもが嘘みたいにスルスルと片づいて、さらに今まで暮らした家にいられない、という現実まで起こして、私は今、世界に舞い戻っている。

念入りに予定を立てて「ノマドやるぜ!」と、意気込んだわけでも目指したわけでもない。家を出なきゃ、じゃあタイかな、まずは。という感じで。笑。あくまで消去法だったのに、それ以外にない名案な気もしていた。

だいたい日本で部屋を借りるとなると、基本2年契約とかになる、あのシステムはどうなの。だって、好きになるかわからない部屋に、なぜあらかじめコミットしなきゃいけない?人も部屋も、いい感じ、と思っても外れるときはあると思う。出るのが面倒なら、もう入らない。笑

そんなわけで、タイのチェンマイで月単位でサービスアパートを借りて過ごした。

うん、とりあえずな!笑

近所の風景


今行ける国のなかで、「一番近くて好きで馴染があるから」という理由でタイを選び、ノマドの聖地と言われる地を試してみたくて、またオーガニックショップやヴィーガンカフェも多いことから、私の仕事のテーマにも合ってるって思ってチェンマイを選んだ。

そして数日前に、チェンマイを出た今、もうすでに恋しくて心にぽっかり、穴が開いているような状態。出だしが出だしだったから、チェンマイはとても息苦しい印象が強い。

目の前のドイステープも山並みも見えない

世界一深刻な大気汚染、経験しないにこしたことはないけれど、たまたまそういうタイミングだったのだ。

それを抜けた今は、笑って振り返ることさえできる。毎朝、カーテンを開けたとき目に入る真っ白な世界…。「あぁ、今日もか」という落胆も、異国まで来て部屋に引きこもった日々も、もう本当に笑い話だ。

気づけば空気は改善し、今までもやがかっていた町は美しく、人々は優しかった。

これ以上はない、そんな日々を、そしてすべての経験にありがとう。
とりあえず、今の私。ここに残しておこう!

この記事があなたの貴重なひとときを、少しでも豊かなものにできたなら幸いです。旅を、そして人生の旅をどんどん楽しみましょう、お互いに!サポートいただけましたら、note活動にリターンさせていただきます♡