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墓じまい予定なのに、お墓参りに行ってきた

2024年のお盆の過ごし方は、ある意味で一度切りとなりそうだ。

こちらのnoteに書いたのだけれど、私は今年父を亡くした。

そんなわけで今、盛大に実家じまいと、父や私の人生のダウンサイズからの手放しを行っているところ。
今回は墓じまいを考えていることと、最後になるかもしれない墓参りについて書き残しておきたい。


「このお墓、これから誰が面倒みるの?」

お墓じまいについて、実はかれこれ何年も考えていた。
考えて、といってもときどきふと思う程度だけれど。何よりお墓を建てたのは父、維持費を払っているのも父なので、私ができるのは「お墓、もう仕舞ってもいいんちゃう?」とちょいちょいつつくことくらいだ。

でも私は彼が、10年も経たないほど前に、生家のある広島から実家の近くの景色のいい霊園にお墓を引っ越した。「ここは景色が開けてるやろ、それが気に入って決めたんや」と得意げに言う彼の声音、表情がありありと思い出される。

とはいえ、その後10年弱、本人がそのお墓に通っているかと言えば疑わしく。少なくとも私も弟も数える程度しか訪れていないという事実。
あのときの得意げな父を思うと、少し心苦しいけれど、実際に行かないなら…と父の生前から思っていた私。

今、世間では引き継ぐ人がいない、通える場所にない、維持費がかかるなどの理由から「墓じまい」が注目されている。

そう言われてみると、確かにこのお墓どうするの?誰が面倒見続けるの?と思い、ある日改めて父に話してみたところ「そうやなぁ、あの頃はあぁする(引っ越す)のが正解やと思ったんや。でももう仕舞ってもいいな」とのこと。
父は長男ということもあり、役割を果たしたのだろう。でももういい、と本人が言った。

この言葉を生前に聞いていてよかった、と今強く思う。

彼がいない今、私と弟で決めていくのだけれど、父の葬儀や49日で彼の姉妹2人(私のおばたち)に話したところ、実は誰よりもそのおばさんたちがお墓参りしてくれていたと知る。
「拝む場所がなくなるのはなぁ」と少し寂しそうなおば。そりゃそうだ、そのお墓に入っているのは彼女たちの両親なのだから。そして弟と改めて話し合って、結局、今お墓に入っている人たち(遺骨)は永代供養へ。
そして父は本人の生前の希望通り(これも聞いておいてよかった!)、散骨への流れとなった。

これらを決める最中、父の「墓はしめてもいい」という意志を確認していたことで、気持ちを強く持てたし、「兄ちゃんがそう言うなら…」とおばさんたちとも納得のいく合意点を見出すことができた。

そんなわけで、今年のお盆のお墓参りは特別なのだ。

つまり父が亡くなって初めてのお盆と、来年があるかどうかわからない墓参りという意味において…。そのどちらもを含んだ、一度切りのお盆の話だ。

父のいない彼の自慢のお墓へ


お墓は最寄駅からバスと徒歩で合わせて30分ほどのところにある。それほど遠くないため、こうしてときどきひとりで訪れる。本当にときどきだけど。

さて、父の自慢の絶景が見渡せる丘の上にあるが、道中の坂道は少しきつい。生い茂る緑がひさしの役割を果たしてくれる箇所もあるけれど、坂道なのでやはり息が上がる。さらに霊園につくと、そこはもう日陰のない平地だ。
ただ、普段自然から遠い場所で暮らしているため、そこが例え霊園であっても、道中の緑には癒された。

それにしても毎年お盆の時期は暑く、夏の日差しが直で肌に突き刺さる。顔から汗をたらたらと流しながら、私はひとりで霊園の花屋さんで買った一対の花を持ち、記憶を辿ってそのお墓に向かった。建てたものの父本人は入っていない、彼自慢のお墓へ。



暑さで白っぽく乾燥している墓石を、まず近くの水道から水をもらってバケツとひしゃく?をつかいバシャバシャと水をかけた。「暑かったでしょう」と思わず石に声をかけてしまう。

そしてローソクを建て線香に火をつけて、手を合わせた。一連の作業をなるべくスムーズに行う必要がある。とにかくとんでもない猛暑なのだ。命に関わる。お墓でぶっ倒れるわけにもいかない。

でも、せっかく来たのだからおじいちゃん、おばあちゃんに伝えるべきことを伝えることにする。「こないだ、父がそっちに行ったから。よろしくね」と。そして「あとさ、そう遠くない未来に墓じまいすることになったから。前もって伝えておくね」ということも忘れずに。

魂はそこにいない、のに

お墓にも仏壇にも死者の魂がいるわけではない、という。
私はその考えを聞いてしっくり来たから、それを採用している。

にもかかわらず、この暑い中わざわざお墓へ出向き、顔から汗を滴り落としながらそんな報告をしているとは…。「風習とかどうでもいい」という弟と話していて気づいたけど、私ってよほど信心深いのね、と。

だって、魂がこんな小さな墓石にいるはずもないとわかっているのに、そうするのは、やはりここがあっちの世界に一番近い場所だと思っているからだろう。

ただ、私はこれらの行動を「やるべきだから」やっているわけではない。私の心の声に従って、納得するためのアクションがお墓参りと祖父母への報告だったのだ。

この場所がなくなってもいつでも思い出せるように、と、体験としてたくさん私に刻みつけてきた。
セミの鳴き声や、蜃気楼が見えそうなコンクリートの坂道、そしていつもそこに存在してくれた、ひとつの墓石も。ここを一緒に訪れた、今は亡き祖母や父との思い出も一緒に…。

さぁ、これから初盆だ。

これも「風習とかどうでも」の弟は巻き込まず、白い提灯を購入した。さらに父が自分の両親を迎えるために選んだ、伝統工芸が美しい花柄の提灯とともに飾ろうと思っている。

もちろん、彼の好物であった桃も忘れずに。


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