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#67 4つめの奇跡 ヒグチヲスクエ!

 これまで樋口季一郎が起こした3つの奇跡を載せてきましたが。あったのです。もう一つの奇跡が。最後は樋口が起こしたというより、戦後にある人々が樋口のために起こした奇跡の話です。

 3つめの奇跡の続き話ですので、まずこれまでの3つの奇跡をお読みください。

 戦後、連合国が日本の戦争指導者を裁く極東軍事裁判が開かれました。占守島の戦いで樋口にその野望を潰されたスターリンは激怒していました。(3つめの奇跡を参照)そして終戦後、スターリンは米国に対して「戦争犯罪人」として樋口の身柄を引き渡すように要求しました。スターリンにとって樋口は対ソ情報活動のトップであるハルピン特務機関長でしたし、占守島の恨みを晴らさねば収まらない仇敵だったので、当然の要求だったと思います。

 樋口の命運は風前の灯火でした。しかし、そこに救世主が現れたのです。あのオトポール事件(1つめの奇跡を参照)の時に樋口に命を救われた多くのユダヤ人たちが立ち上がったのです。

「我々の命の恩人ヒグチを救え!」「ヒグチに恩を返すのは今しかない!」

 世界中のユダヤ人たちが、自分たちの財力とあらゆるコネを駆使して樋口を戦争犯罪者にしないように、ソ連以外の各国の主要な政治家に働きかけたのです。世界中のユダヤ人たちがロビー活動を繰り広げ、とうとう連合国の中心であるアメリカ政府と大統領を動かして、樋口を「戦犯リスト」から外させることに成功したのです。

 樋口は軍事裁判で被告として裁かれる覚悟を決めていました。しかし樋口だけは訴追されることがなく、樋口自身も自分がなぜ「戦犯」を免れたのかわかりませんでした。ずっと後になって、樋口に助けられたというあるユダヤ人からその真相を知ったのでした。

 その時、樋口はこう答えています。「私は人間として当然やらなければならないことをやっただけである

 戦後の樋口は占領軍や一般企業から何度も仕事上の誘いを受けましたが、すべて断って隠居生活を貫きました。自分の決断で多くの部下を死なせてしまったことに生涯苦しみ続けていたといいます。毎朝、アッツ島が描かれた水墨画に頭を下げて、部下の慰霊を欠かさなかったと言われています。

 3つの奇跡を起こした将軍は、その後自分の身に起きた1つの奇跡に救われ、1970年(昭和45年)10月11日、静かに息を引き取りました。享年82歳でした。イスラエルにある「ユダヤ民族の恩人」の名を刻んだ『ゴールデンブック』には、「偉大なる人道主義者ゼネラル・ヒグチ」と記載されています。日本の社会がいくら忌避しようとしても、樋口季一郎の偉業は、ユダヤの歴史に刻まれ、正当に顕彰されているのです。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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