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#37 伝達と共有

 会社や学校の組織を単なる集団ではなく、一つ筋の通った集団、いわゆる「チーム」にしていくために大切なものとして、全員がそれぞれの使命、チームの使命を認識し、「目的の共有」をすることがあげられます。学校現場では、「チーム学校を目指そう」という合言葉をよく耳にします。
 ところが、この「共有」がどれほど難しいか考えてみたいと思います。
 ある方が「『共有』と『伝達』は違うんですよ」と言っていたことがあります。
 私は、この言葉にドキッとしました。


「自分の思いを声に出したら…相手に伝えたら、それを相手も同じように理解し、同じように行動してくれると思っていても、そうはいかないことってよくありますね。もしかしたら、単に『口に出した』『伝えた』だけで、相手も自分と同じ気持ちになってくれていると勝手に錯覚して思いこんでいるのではないでしょうか…。」


「私はあの時、こう言ったのに、どうしてあの人はこうしてくれないんだろう」
「私はこうしたのに、あの人はなぜ行動してくれないんだろう。ちゃんと思いは伝えたはずなのに…」
 そんな風に感じたことがある人は、「伝達」はしたかもしれないけど「共有」までは至っていなかったのだと思います。ですから、ただ文書にして配っただけだったり、事実を口頭で知らせるだけだったりでは、なかなか共有にはいたらないのです。伝える側の思いやそれを伝える意図を相手に理解してもらえないと、共有にはならないのです。
 「共有」をするためには、チームの中に「愛ある人間関係」と「規律ある文化」の二つを両立させなければならないといわれています。どちらか一つではだめなのです。
 「愛ある人間関係」を築くために大切なことは、BE→DO→HAVEの法則の中のBEにあたる「存在承認」です。

 人は誰でも「自分の気持ちや思いを相手にわかってほしい」と思っています。私が以前子どもを保護するところへ勤務していた時、保護になった子どもと最初に必ず面談しました。とにかく「子どもの話を聞く」ことに徹しました。そして最後に「よくわかったよ。君の気持ち。」と答えると大抵の子どもは静かに熱い涙を流していました。子どもたちは大人の指導やなぐさめは聞きたくないのです。うんざりしているのです。ただ自分の気持ちをわかってほしいだけなのです。だから自分をわかっていないと思っている人には、子どもたちは心を開くことはできないのです。相手をわかるということは、相手の存在を認めることに他なりません。こちらが存在承認しているつもりでも、当の相手がそう思っていなければ、子どもは心を開いてはくれません。一方通行の存在承認ではだめなのです。

 自分をわかってくれる人の存在は、人を強くします。たとえ世界中を敵にまわしても、自分をわかってくれる人が1人いれば人は生きていけるのです。(ちょっと大げさかもしれませんが)


 そして、チームに「規律ある文化」を作り出すためには必要なのが、あの「ノーム」です。この「ノーム」を意識しなければ、規律ある文化は成り立ちません。チームは、規則・決まりごとによって動くのではなく、「ノーム」によって動きます。ノームとは、組織において暗黙のうちに了解されているルールのことです。ですから肯定的なノームを作ることがリーダーの最大の役割です。

 「規律ある文化」と「愛ある人間関係」の2つがあってはじめて、伝達したことが共有できる環境ができるのだと思います。もちろん、伝達したことを共有するには、「丁寧な説明」や「声かけ」などのコミュニケーションのとり方という方法ももちろん大事です。しかし、「規律ある文化」と「愛ある人間関係」のないところで、どんなに口を酸っぱくして話しても、それは共有には至りません。なぜなら、相手が心を開いていないからです。ですから、どんなに上手にコミュニケーションをとったとして、「規律ある文化」と「愛ある人間関係」がなかったとしたら、それは単なる事務的な伝達で終わってしまうのだと思います。
 「規律ある文化」と「愛ある人間関係」、これが大切なのは教室だけではありません。会社や学校の職員室でも地域や、一つの国であっても人間の集団においては、基本的には同じだと思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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