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#33 ヤマアラシのジレンマ

 「ヤマアラシのジレンマ」という話、どこかで聞いたことがありますか?
 この話の意味するところは、「寒さの中、2匹のヤマアラシが暖め合おうと近づく。しかし、近づきすぎるとお互いの体の針が相手に刺さってしまう。かといって離れると寒くなる。2匹は近づいたり離れたりを繰り返し、苦労してお互いに傷つかず、寒くもない距離を見つける」という、哲学者ショーペンハウエルの寓話を元に心理学のフロイトが考えた話です。

 適切な人間関係をどう保ったらよいかをわかりやすく言い表した寓話のように思います。

 人が「人間」として生きていくには、文字通り「人の間」にあるものを大切にしていかなくてはいけません。それは人と人との間の適度な心理的、物理的距離感であったり、人と人との間に必要な信頼関係を核とした「絆」であったりすると思います。またそれは言い換えると、そのような距離感を保つことができて、なおかつ信頼関係が構築できてはじめて人は「人間」になれるものだということもできると思います。この人と人との間に適度な距離感を保ったり、信頼関係を構築したりするのに必要不可欠なものが、昨今大きく取り上げられている「コミュニケーション能力」に他ならないと思います。

 これは大人、子どもは全く関係ありません。人が人間として社会生活をしていく上では避けることのできないものだからです。
 学校は、子どもたちにとって、様々な性格や能力をもつ同世代のみならず、小1から小6までの人間が集まる場所であり、そこで自分の立ち位置や人とのよき関係を身に付けるためにはどうしたらよいかの術(すべ)を学ぶ場所でもあります。大多数の子どもたちは、学校生活を送るなかで、単に学力を身につけるだけではなく、社会性や人間関係の機微を学びます。
 しかし、最近、このジレンマに変化が生じてきているとの指摘があり、私もそう感じます。以前より「より敏感なものになってきている」ということです。どういうことかと言うと、「ある一定の距離を保ったヤマアラシ2匹が、近づく前に

これ以上近づいたら、お互いのトゲで痛いかもしれない

これ以上離れたら、お互い寒いだろう

 と、頭の中で先読みしてしまい、想像して悩む。『近づきたいけど、近づき過ぎたくない。離れたいけど、離れ過ぎたくない』という、より複雑なものになっている」という指摘です。
 「相手を傷つけたくない、でも自分はもっと傷つきたくない」という思いが強くなってきていると言われているのです。

 一見、思いやりの心のある、すばらしい心情のように思いますが、その根底には、「自分は傷つきたくない」という、臆病で「他人への愛」よりも「自己への愛」を重視する心理が見え隠れしている

                         と言われています。
 学年が進むにつれ、このような状況のなかで、自分らしい自然な振る舞いができなくなってしまうような状況も見受けられるそうです。しかし、やはり、必要以上に相手の気持ちを推し量り過ぎて、また、自分が傷つくことを恐れ過ぎて、自分のよさが出せず疲弊してしまっているとしたら、それは正常な姿とは言えないと思います。反対に、自己主張ばかりして、周りの空気を読まず、ひんしゅくを買ってばかりでは、これはこれでかなり困るものです。
 大人が、「ヤマアラシのジレンマ」の本来の意味するところをしっかりと受け止め、子どもが適切な人間関係を身に付けられるよう、導き育てる努力を続ける必要があると思います。しかし、それだけでは十分ではありません。子どもを育てる大人が適度な人間関係と周りの人との信頼関係を、自分のコミュニケーション力で構築していかなくてはいけないと思います。子どもたちへの「コミュニケーション能力の育成」は、まさに子どもたちの育成の前に大人のコミュニケーション能力が問われていることだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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