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#110 教育的サプライズを起こす

 今回は私が「学校の先生はやめられない」と思った経験談をお話しします。

 私が中学年(3,4年)の担任をした時の話です。クラス全員が逆上がりができるように取り組んだ話です。クラスの中には色々な子どもがいます。運動が苦手な子、鉄棒なんかめったに触ったことがない子。色々な子がいていいんです。クラス全員100%逆上がりができるようにするのは無理じゃあないかと誰しも思うと思いますが、できるのです。指導する側が無理だと思っていたら無理かもしれません。でも、自分がこの子たちの担任をしている間に全員逆上がりができるようにすると決意すれば、みんなできるようにさせることは、可能です。(これはあくまで指導する側の目標であり、子どもたちの目標にしたことはありませんでした。)

 年度初めの4月のころに実態を把握しました。全員に体育の時間に鉄棒で逆上がりをさせてみます。私が担任した時、最初の段階で逆上がりができない子の割合はよい時で30%、ひどい時では70%近くの子どもが逆上がりができませんでした。
 体育の授業中に鉄棒を扱うと、子どもたちはみんな仕方なく鉄棒をしていました。もちろん仕方なく練習しているわけですから、できない子ができるようになるわけがありません。

 そこでまず一人の子をターゲットにして逆上がりを練習します。ターゲットにする子は、どんな子にするかというと、少し練習すればできてしまいそうな子やちょっとてこ入れすれば逆上がりができてしまう子ではありません。普通は少してこ入れすれば、できるようになるような子から、かたっぱしからできるように指導していくと思います。それは決してまちがいではありませんが、それではサプライズは起こりません。

 ここが肝心です。少し練習すればできてしまいそうな子やちょっと教師がてこ入れすれば逆上がりができてしまう子がターゲットではダメなのです。ターゲットにするのは、あくまでクラスの中で(みんな口に出して言わなくても)彼は絶対できないだろうと自他共に思っている運動が苦手な子や、ちょっと肥満気味の子です。

 そのような子を一人ターゲットにして主に休み時間にマンツーマンで指導します。その子との間に約束をしました。
① 自分は必ず逆上がりができるようになると信じること(あきらめない)
② 指導したとおりの練習を続けること
以上のたった2つです。
 毎日休み時間に10分間程度マンツーマンで練習をしました。1週間、2人で校庭の隅の鉄棒で練習しました。もちろんすぐにできるようにはなりません。でも、変化がありました。少しずつ一緒に逆上がりの練習をする子が増えてきたのです。休み時間に逆上がりの練習をすることを私は子どもたちに一切強制はしませんでした。休み時間は子どもたちにとって自由な時間だからです。その自由な時間を自らの意思で鉄棒の練習に当てようとする子が増え始めたのです。でも、まだ逆上がりができない子のほとんどはドッチボールやサッカーをして休み時間を過ごしていました。特に私から一緒に逆上がりの練習をしようなどと声かけはしませんでした。
 その週末金曜日の練習の終わりに「暑くなってきたから、来週は汗拭きタオルを持ってくるように」と伝え、「来週は必ず逆上がりができるようになるよ」ひと言だけ付け加えました。子どもたちは怪訝そうに「??」の表情でした。
 月曜日、子どもたちは汗拭きタオルを持ってきました。忘れる子がいると思ったので、予備は私が用意しておきました。しかし、一緒に練習を始めた子は誰一人忘れた子はいませんでした。実は汗拭きタオルは逆上がりの練習に使うために持ってこさせたものでした。
 タオルを使って逆上がりをすると、自然に逆上がりができる子が増えてきて、子どもたちから歓声が湧き上がってきました。何度も何度もタオルを使って逆上がりをさせました。それは、逆上がりができた時の感覚を体にしみこませるためです。体が下に沈んだ時に腕が伸びて胴体と鉄棒が離れなければ、子どもたちは逆上がりができるのです。でも、子どもにとってはそんな理屈じゃあないのです。体が沈んだ時に腕が伸びずに胴体と鉄棒が離れないようにするためにタオルを使うのです。そしてその感覚を体得させただけなのです。
 子どもたちは前の一週間私と一緒にさんざん足を振り上げる練習をしてきていました。だから、あとは体が沈んだ時に腕が伸びて胴体と鉄棒が離れないようにするだけで逆上がりはできるはずだったのです。
 タオルを使って逆上がりができる感覚を掴んだ子どもたちには、タオルなしでやってみると、できたのです。今までできなかった逆上がりが!
 私がターゲットにしていた子もとうとうできるようになりました。この事実はその日のうちに教室中を駆け巡りました。子どもたちは口には出さなくても「どうして彼が逆上がりができりようになったんだ!」と驚きは隠せませんでした。だって自他共に認めた逆上がりは無理だと思っていた子ができるようになったのですから。
 私はこのように「子どもたちの想定を超えた事実を演出すること」を教育的サプライズと自分で勝手に名前を付けていました。この教育的サプライズは、まだ逆上がりができるようになっていない子たちの心に大きな化学変化を起こしました。彼らの心にある「逆上がりができない言い訳」、「逆上がりができなくてもよい言い訳」を吹っ飛ばしてしまったのです。だって自分より運動が苦手な子が逆上がりができるようになってしまったわけですから。
 翌日の休み時間は、今まで逆上がりができなくてもサッカーやドッジボールをしていた子たちが自分の意思で鉄棒に集まってきました。本当は子どもたちはみんな逆上がりができるようになりたいのです。でも、どうやったらできるようになるか分からなくて、自分の心にできなくてもよい言い訳を作っていただけなのです。その言い訳をクラスで一番運動が苦手な子でも逆上がりができたと言う事実がふっとばしてしまったのです。「彼ができたのなら、自分ができないはずはない」と、おちおちしていられなくなったのです。だから鉄棒に足を運んだのです。
 日を増すごとに逆上がりができるようになる子がおもしろいように増えていきました。隣のクラスのできない子たちも参加するようになり、知らぬ間に下級生までも参加していました。残念ながら高学年で逆上がりができない子で参加してきた子は1人だけでした。おそらく高学年のプライドが参加を躊躇わせたのでしょう。だから中学年のうちにできるようにしてあげないと子どもたちがかわいそうだなとその時思いました。
 たかが逆上がり、されど逆上がりです。逆上がりを通して自分の課題を乗り越える経験をしたことは、他の学習や運動にも波及していったのでした。それがクラスの勢いになっていったことは言うまでもありません。

 今振り返ってみると、もしあの時、子どもたちを鉄棒に注目させていなかったとしたら、そのまま逆上がりができない中学生、高校生、大人になっていたかもしれません。別に逆上がりができないまま大きくなっても生きていくことはできます。しかし、人生の途上で立ちはだかった課題を乗り越えた経験をもつのと、課題に目をそらして避けて素通りしたのとでは、まさしく目に見えないその子の人生の中で蓄えられていく「生きる力」の差は明白なものだと思います。
 このように教師側がちょっと意識を変えて働きかけたり指導するだけで子どもたちを成長させる機会は学校生活の中でたくさん演出できるはずです。でもそれをするかしないかは子どもたちが出会った先生次第なのです。そう考えると、一人の先生の子どもたちへの影響力、教育的功罪は計り知れないものがあると思います。だから子どもたちを指導する立場の人は教育を畏れなくてはいけないといつも私は自戒していました。
 私は教師の権威で子どもを強制して動かすのが好きではありませんでした。時と場合によっては、子どもを強制する必要があるかもしれません。しかし、このような「教育的サプライズ」を起こすことによって、子どもたちの意思で動かすことは可能だと思っていました。(もちろん全ての場合において当てはまることではありませんが)

 先生がいつも指導のスポットを当てなくてはいけないのは、だれですか?
 できる子ですか?それともできない子ですか? 
 発表をよくする子ですか?それとも発表をしない子ですか?
 先生のそばに寄ってくる子ですか?それとも少し離れたところから先生を見つめている子どもですか?
 先生の助けが一番必要な子はだれですか?
 それは一番下位の子どもたちであるはずです。
 だから先生がクラスの下位の子どもにスポットを当て、そのもてる全知全能を使ったとしたら、「教育的サプライズ」といったドラマはいつでもだれでも起こせるはずです。逆上がりはほんの一例に過ぎません。指導者ができる子、わかる子にばかり目を向けていてはこの「教育的サプライズ」は起こすことができないのです。そしてこの「教育的サプライズ」を起こすことが教える側の「醍醐味」になるはずです。
 これが私が冒頭で書いた「学校の先生はやめられない」理由の一つです。一つのことを克服できた子は、二つ目、三つ目と黙っていても挑戦していきます。「たかが逆上がり、されど逆上がり」です。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【参考までに】
 最近はyoutubeという便利なものがあるので、以下参照してください。私が担任していたころはyoutubeはまだ存在していませんでした。たまたまテレビで見かけたオリンピック体操メダリストの池谷幸雄さんが指導していたタオル1本使う練習方法を当時実践したまででした。


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