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歴史(his-story)

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歴史(his-story)から何を学ぶのか、歴史は繰り返されるのか、歴史にまつわる記事を載せていきます。
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#樋口季一郎

#67 4つめの奇跡 ヒグチヲスクエ!

 これまで樋口季一郎が起こした3つの奇跡を載せてきましたが。あったのです。もう一つの奇跡が。最後は樋口が起こしたというより、戦後にある人々が樋口のために起こした奇跡の話です。  3つめの奇跡の続き話ですので、まずこれまでの3つの奇跡をお読みください。  戦後、連合国が日本の戦争指導者を裁く極東軍事裁判が開かれました。占守島の戦いで樋口にその野望を潰されたスターリンは激怒していました。(3つめの奇跡を参照)そして終戦後、スターリンは米国に対して「戦争犯罪人」として樋口の身柄

#66 3つの奇跡を起こした日本人 3つめの奇跡(日本分断を阻止した終戦後の戦い)

 常識的に考えて、終戦の日と言われているのは1945年8月15日ですが、まだ戦闘は終わっていませんでした。北の戦線ではこれから戦いが始まろうとしていたのです。どういうことかというと、1945年(昭和20年)に入ると、戦局はますます悪化していました。4年前の1941年日本とソ連の間で結ばれた「日ソ中立条約」が有効だったので、日本はソ連を信用し、北の守りは手薄になっていました。しかし、ソ連の指導者スターリンは米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相とヤルタで会談(1945年

#65 3つの奇跡を起こした日本人 2つめの奇跡(犠牲者ゼロの撤退作戦)

 オトポール事件から4年後、1942年に樋口は札幌の北部軍司令官に赴任しました。すでに前年1941年12月太平洋戦争が開戦し、日本は熾烈な戦いを繰り広げていました。緒戦で破竹の勝利を続けた日本軍でしたが、1942年6月のミッドウエー海戦での大敗を境に戦況は暗転し、次第に悪化していきました。ミッドウエー作戦と並行して、日本は北の守りを固めるため、北米アラスカに連なるアリューシャン列島の西端に位置するアッツ島とキスカ島を占領していました。(下図参照)  北の最前線であるアッツ島

#64 もう一人の杉原千畝( 1つめの奇跡)

 シンドラーが救ったユダヤ人1200人  杉原が命のビザを発給したユダヤ人6000人  これは人類史に残る偉業です。しかし、この他にもいたのです。ユダヤ人を救った日本人が。それも20000人。(諸説あり)その人の名は樋口季一郎陸軍中将。今回はこの樋口中将が起こした3つの奇跡の話をしたいと思います。  恥ずかしい話ですが、私は昔の軍人なんてほぼみんな軍国主義の塊のような粗暴な人々で、多くの罪のない日本人兵士を戦場で突撃させて無駄死にさせた無為無策の精神主義の輩だとばかり思