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協調や愛や正義といった素晴らしいものが差別を創発しナチズムや植松思想に行き着く起爆剤となる

愛や正義を重んじ、周囲との協調を大切にする

これは人間社会において当然のテーゼとされており疑うことは許されていません

しかし、私の出身の千歳科学技術大学で以下のような事件がありました

2010年頃、千歳科学技術大学は就活セミナーの講師として何故か元自衛官を雇い(マジで何でだよ)以下のようなとんでもない右翼思想を吹聴するという行為に出ました。講師として雇ったという通り以下の講義は学費で行われています。というか特攻隊員の遺書とかを就活資料と称して学費で印刷するな

  • 国旗に敬意を払え

  • 君たちが就職するのは国威のためだ

  • 旧日本軍礼賛

  • (上記に関連して)特攻隊賛美

  • 日本には武士道という素晴らしい思想がある

  • 神社の参拝の仕方を通して日本の素晴らしさを知ろう

繰り返すがこれは就活セミナーなのです。つまり当時の千歳科学技術大学で周囲との協調するという「正しい行い」をすると必然的に大日本帝国への回帰を目標とした右派思想へオルグされることを意味していたのです

しかし、社会はあくまでも協調性を重んじます。大学がこのような暴挙に出ても止めようとすると「何で君は空気を読まないのかなあ」「発達障害だからそんなことをするんじゃないの」などと言われてしまいます。というか私の指導教官である川辺豊という当時すでに教授職にある人物から言われまくりました

この世界は周囲との関係で満ちています。相手が戦前回帰思想を持っていようが切断はテーゼに反する悪であり、そんなことをしようとするお前のほうがおかしいんじゃないかと言われてしまっておしまいなのです

更にこの私の指導教官である川辺豊なる人物が食わせ物で「はい」とも「いいえ」とも言わない今の自民党のような答弁を繰り返した挙げ句、最終的に以下の発言をするに至っています

「何が差別に当たるのかの統一的・具体的な定義は困難。従って私が君を差別したという指摘には当たらない。君が私から差別されたと感じているのはただの君の主観に過ぎない」

繰り返しますが川辺豊は私の指導教官です。社会が協調性を重んじる以上このような危険人物であっても共感しないことは悪とされてしまうのです。そうすることで「差別する側の論理」に取り込まれてしまうのです

そしてそこから差別の極限としてのナチズムや植松思想まで全力疾走してしまうのです

ちなみにこの危険性に気づき上述の川辺豊に
「やまゆり園で凄惨な事件が発生しましたが、「お前は発達障害だから周囲に合わせろ」と連呼していたあなたはその場にいたらどうしていたのですか」
と聞いたところ
「私は周囲に合わせることしか出来ない普通の人間であり弱い。その場にいても刃物を持った人間なんて止められるはずがないではないか」
と言われてしまいました

…空気を読んで周囲に合わせるのであればもっと別な答えになるはずではあるまいか

このように、差別を意図して愛や正義や協調性を作為的に用いることでとんでもないEffectを起こせるのです

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