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私の祖父が犯した、たった一つの間違い

私の祖父は、生真面目な人だった。私が赤ちゃんの頃まで同じ家で暮らしていた、父方の祖父。

私が3歳になる時に、私の父母とその子供たちだけオンボロのアパートに引越し、さらに私が小学校に入学するときにマイホームを建ててからは、祖父は2週に1回くらいで私の家に泊まりにきていた。

そんな準家族的な関係だった祖父だが、割と私の人生に大きな影響を与えていると思う。


祖父は、とにかく生真面目な人だった。

田舎のおじいちゃん(私の出身は東北のド田舎です)なんて、畑仕事して笑点を見てビール飲んで寝る、みたいな肩の力が抜けた人が多いもの。けど、祖父は違った。

祖父は、一生懸命勉強をして、「人様の役に立つような人間」になることを推奨していた。だから、孫が勉強をしていたり、本を読んでいたりすると、とても喜んでくれた。

特に私は、祖父に可愛がってもらっていたと思う。私は3人姉妹だが、活発でオシャレな姉と妹に対し、なぜか私だけが読書を好むインドア派だった。私は、一人だけ祖父が来るたびに本屋に連れて行ってもらい、毎回1冊ずつ本を買ってもらっていた。

もちろん、本を読むのが面白かったということもあるけれど、半分はそうすると祖父が喜んでくれるからという気持ちもあった。当時、姉と妹と比べて、地味な自分にコンプレックスのあった私は、本を買ってもらうことで個性を認めてもらっていたような気分になっていたんだと思う。


そんな祖父は、よく同じ話をしてくれた。祖父の弟の話。おそらく、祖父の人生に暗い影を落とした、弟の話だ。

戦争後期に生まれた祖父には、弟がいた。でも、病弱で幼い頃に亡くなってしまった。その弟の死ぬ間際、祖父の足にしがみついて、苦しんでいたのだそうだ。死にたくない、死にたくない、と言って。

一方、祖父は、片足に生まれながら軽い麻痺を患っていた。そのため、当時「お国のために」と言って青年たちが戦場に行く中、片足が動かない自分は兵隊さんになれないということを恥に感じていたらしい。

死にたくないと自分にしがみついて苦しむ弟を見て、「兵隊さんにもなれない自分なら、弟の代わりに自分が病気になって死んでしまうべきなのに」と思ったそうだ。


おそらく、祖父は「役に立たない自分」が酷くコンプレックスだったのだろう。

自分の息子、つまり私の父が高校時代にエレキギターにハマった時にはギターを叩き壊し、「人のためになる仕事をしなさい」と諭した。そして、父は大学を卒業したあと、祖父の望むように福祉の仕事に就いた。


一方、孫である私も、知らず知らずのうちに祖父の影響を受けていた。

勉強を頑張ったら、人様の役に立つ人間になったら、認めてもらえるんだ。人が喜んでくれるんだ。幼い時から、そんなふうに思っていた私は、優等生街道をひた走り、社会人になってからも滅多なことでは弱音を吐かず、一生懸命に働いた。


でも、祖父は、大きな間違いを犯していた。


その後、私の父は、音楽の道を諦めてしまった心残りから、仕事を辞めて破天荒な人生を生きてしまうことになる。祖父の言う通りの人生を歩んだ父が、その願いとは逆行する形になってしまったのだ。

そして、孫の私も、頑張って走り続けた20代を終えて30代に突入するとき。急に「頑張れない」という壁に当たり、人生の方向転換を余儀なくされた。(そのことは、私が18歳の時に死んでしまった祖父は知る由もないけれど)


そう、祖父の間違いは、「人の役に立たないと生きている価値がない」と思ったことだ。

兵隊さんになれず、弟のかわりに死ぬこともできなかった祖父は、その後ろめたさをずっと引きずって生きていた。

でも、本当は、人は生きているだけでいい。兵隊さんになれなくたって、いくら人から「役立たず」と言われたって、生きているだけでいいのに。

「ただ生きている」ということに罪悪感を感じていた祖父は、どうしてもそう思えなかったのだ。


晩年は、祖父も少し違った考え方になっていたようだった。

ある時、中年になって荒れてしまった父について、祖父がぽつりと「あの時オレがギターを壊さなかったら」と言っているのを聞いたことがある。(正確には、私が直接聞いたのか、誰かが聞いたと言っていたのか忘れたけど)

きっと、「息子のありのままを認めてあげればよかった」と後悔していたんだと思う。


今、祖父がいるとしたら。私はこう言う。

生まれてきてくれて、生き抜いてくれて、ありがとう。おじいちゃん。おじいちゃんがいたから、私は今、この人生を歩めた。あなたの孫でよかったよ、と。

生きていただけで、十分に、価値のある人生だったでしょう?




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