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「森の妖精」になれなかった私へ

幼い頃の記憶って、
みんなどのくらい
残っているものなんだろう。

私はちょこちょこと断片的な記憶は
いくつか覚えているんですが、
やたらジメジメした暗い記憶が多いです。笑


一応、脳の仕組み的に言っても、

「人間はポジティブな体験より
ネガティブな体験の方が忘れにくい」

(危険を避ける生存本能らしい)

というものらしいので、
私と同じようなタイプの人って
多いのかもしれない。



でも、

「幼い頃のネガティブな記憶」って、

完全なる悪ではないと
私は思うのです。


なぜかというと、
自分の「内なる欲求」が
表れていると思うから。

ひとつ、
私の思い出話に
お付き合いください。


4歳か5歳の時の、
幼稚園のお遊戯会。

その配役決めの時のことです。

私の組では、
「ヘンゼルとグレーテル」の劇を
やることになっていました。

教室の黒板に役名がたくさん書いてあり、
やりたい役に手を上げて決めているという
よくありがちな場面。


そのとき、私は、
「森の妖精」という役が
やりたかったんです。


その役は、
道に迷ったヘンゼルとグレーテルを導く役で、
女の子3人だけが演じられるものでした。


私、昔から「主役になりたい」とは
思わないんだけど、

ちょっと特別なポジションに
惹かれる癖があるんですよね。

漫画の好きなキャラクターも、
主人公じゃなく準主役みたいな人とか。笑



この時も、主役ではない
ちょっと特別な雰囲気を
森の妖精に感じてたんだと思います。

みんなと違う
緑色のキラキラした衣装を着て
舞台に立つ自分を想像して、
こっそりときめいていました。



でも、私は、

「森の妖精」には
なれなかったんです。


結局やることになった役は、
「お菓子の妖精」。

その役は、お菓子の家で
ヘンゼルとグレーテルを出迎える役。

10人以上の枠があって、
「そのほか大勢」「村人A」的な役でした。


なぜ、
やりたい役をやれなかったかというと、

「森の妖精になりたい」って
言えなかったから。



幼い頃の私は、
引っ込み思案でおとなしくて
友達も少なくて。

全然、前に出ていく
タイプではなかったんです。



だから、子供ながらに

「私はお菓子の妖精を
やるべきだろうな」
って思った。


最終的に「森の妖精」に決まった子が
誰だったかも覚えてるんですが、

クラスの中でも
ちょっと大人っぽい顔立ちの
特別な雰囲気のする女の子たちで、

「こういう子がやるべきだよね・・・」って
遠目に見て思っていました。



ちなみに、断っておきますが、
別にこの時のことを引きずっていて
「どうしてもあの役をやりたかった!」なんて
ハンカチ噛みしめているわけではないです。笑


でも、30年近く経っても
まだ覚えてるってことは、

自分にとっては
「強烈な記憶」なんだと思うんです。


だって、幼少期なんてもっと他にも
膨大な出来事があっただろうに。
ピンポイントで覚えてるんですから。

どーでもいいことだったら
さっさと忘れてるはずです。



このことを
振り返って思うのは、

きっと私は
「自己表現」したい欲求が
やたら強いんだろうな


ということ。

目立ちたいとか、
リーダーになりたいとかじゃないんだけど、
何かしらの「存在感」を放っていたい。

言うなれば、
オリジナルでありたいんだと思う。


それは、この後に歩んでいった
人生を考えても合致する。

小学校の陸上競技大会では
敢えて人が選ばない種目に出たり、

バンドやってた時も
オリジナル曲を作ることにこだわったり。


最近は趣味で
ホロスコープ(星占い)の
勉強してるんですが、

そこでも私の星の配置は
「自己表現」がカギだと出てきます。


多分、幼い頃の
「森の妖精になれなかった」
という記憶は、

私にとって大事な
「自己表現」という欲求が、

満たせなかったから
強く残っているんです。


さらに、
ちょっとスピリチュアルっぽい
考え方をすると、

私が「森の妖精をやりたい」と
言い出せないほど控えめな性格だったのは、

「自己表現」に
目覚めるための仕掛け

だったのかなとも思います。


人間は、軽々と自然に
できてしまうようなことって、
特別なことに感じずらい。

逆に、できないことを
乗り越えた時ほど、

強い達成感が生まれて
記憶に刻まれるもの。


人生を通して
「自己表現」していくようにと、

神様が敢えてこのフラストレーションを
与えてくれたのかなと思っていたりします。



・・・と、ここまでオカルトちっくに
考えなくてもいいんですけどね。

私がこれまでキャリアコンサルタントとして
様々な人の価値観を聞いている中でも、

幼少期のネガティブな体験が
その人の生きる目的や
強い欲求に繋がっているケースって、
よく見かけていました。

ほんと、人生ってよくできてる。

いろんなピースが繋がって、
ひとつの大きな物語になっていくんです。



「森の妖精」になれなくて、
ちょっぴり悲しい気持ちを抱えていた、
幼い頃の私。

もう「ヘンゼルとグレーテル」の劇を
やることはないだろうから、
その欲求は叶えてあげられない。


でも、これからの人生で
「自己表現」をやりきって、

あの頃の私を笑顔にしてあげることが
今の私がやらなきゃいけないこと


なのかなと思っています。

だから、今日も明日も、
こうして自分の想いを
書き続けていくんだと思います。

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