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9.18テーマセッション

あれから1カ月、せっかく参加したのに体験が薄れそうなので記しておこうと思う。

第2セッション
シナリオロールプレイをするために、そのグループの状況を確認していた際、私はこのグループが架空の設定であることをすっかり忘れて、細かな質問をしてしまった。コンダクターたちは、困ったような戸惑ったような感じで、これは架空だからとやんわりと告げられ、私はハッと我に返った。
夢中になると周りが見えなくなってしまう自分の衝動性が露わになり、それをコンダクターにたしなめられた気がしてとても恥ずかしくなった。
次のセッションで、そのことを話した。すると何人かのメンバーから「シナリオのグループを理解するために必要なことだったのでは」といったような主旨の発言があり、私はとても救われた思いだった。

それはほんの一瞬のやりとりだったが、とても印象深く残っている。

と、ここまで書いて、ふと子供の頃のエピソードが思い出された。
何人かで遊んでいたが、私の衝動的な行動で遊びが台無しになり、みなから咎められた、というものだ。
それは大したことではないのだが、小さい棘のように時折思い出されるエピソードだった。

思えばグループは、子供の頃に感じた、あの恥ずかしさや申し訳なさ、いたたまれなさ、を和らげてくれたのではないか。

この、自分では見たくない、気づきたくない嫌な自分を、グループでは肯定的に受けとめてもらえる体験が、私がグループを好きで続けている理由の一つだったことを改めて実感した。

コンダクターとして、メンバーたちにもこういう体験をしてもらいたいと思うがなかなか難しい。

テーマからはちょっとズレているかもしれないが、大変貴重な体験ができた。
ご一緒した皆さん、ありがとうございました。

                                藤堂 信枝

*本記事は2017/10/18にworksTokyoのwebサイト「column」で公開されました。

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