凄い人、という言葉遣いに卑下を入れてしまうのでやめてみる
私は自己肯定感が低い傾向にあります。
昔よりだいぶ良くなってきましたが、やっとこ、普通の人ぐらいになった気がします。
自己肯定感と自己否定感、これらは認知の問題なので、ある程度のコントロールができるものと考えています。
強い自己否定感はときに現実にあまり良くないことを引き起こします。
自分の意見を言えなくなったり、自己否定感をスパイラルさせて鬱病になる。死にたくなる。
その認知をコントロールするための方法は世間的には様々な手法や考え方が紹介されています。
私はそういった手法をいくつか実践しながら、この世知辛い世の中をなんとか生き抜いています。
この記事では、ごく手軽な、私が日ごろ気をつけていることを一つお伝えしてみます。
それは
「あのひと凄いよね」
という言葉遣いを、やめることです。
世の中、「凄いな」と思う人、たくさん、いますよね。誰かとの会話でつい言ってしまうんです。
「〇〇さんは凄い」
特に有名人だったりすると、雲の上のひとだったりするので、普通に言っちゃいます。
しかし、この言葉がなかなかやっかいでして、「凄い」という言葉の中に、比較の要素が色濃く入ってるんです。
雲の上の有名人と自分を比較するなんてバカげている、と、自分でも思うのですが、2割ぐらい、私がこの言葉を使うと比較のニュアンスが入るのです。
毎日この言葉使ってると、チリツモで、自分を卑下する感覚が無意識の領域に増えていって、なんとなく鬱々としてくるんです。
もしも、凄いな、と思う人がいたら、こう言い換えて見るようにしています。
「あの人の〇〇なところがいいよね」
「あの人の〇〇は素晴らしい」
ポイントは
・その人全体ではなく、特定の部分に焦点を当てる
・「凄い」を、比較の色が入らない言葉に置き換える
部分に焦点を当てることで、人間そのものの比較から、モノや要素に注意を散らすことができます。
また、言葉を置き換えることで、無意識に差し込む比較と卑下を軽減することができます。
どの言葉に、比較のニュアンスがあるのか、ないのか、は人によって違うかもしれません。
私の場合、「凄い」は比較で、「素晴らしい」はきわめて主観的な色合いなので、このように言い換えます。
意識の上では「凄い」と思っても、口で話す言葉を変えるだけでも、無意識に積もる自己否定感には明らかに違いがあります。
同じような人、いるでしょうか。もしかして私だけなのかもしれませんが、もし、誰のお役に立てればと思い書いてみました。
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