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「森に、あう」は、「森で、あう」じゃない。


「森に、あう」

その言葉から想像するものは何か?

「公園にいこう」とか、
「山にいこう」「自然に行こう」とか、
そういうことを、ついつい考えたりする。

本当にそうだろうか?

このあいだ、農家方から、野菜と果物を直接買ってみた。環境にやさしい育て方をしている、「有機野菜」と「自然栽培」の箱詰めセットだ。

目の前に広げた野菜と果物をみて、想像した。
自然の中で、種を植え、苗が育ち、収穫し、箱詰めし、運送業者の方々が、我が家に届くことを。

水だって、そうだ。

ペットボトルに詰められた「おいしい水」は、森がなければ成り立たない。

おっきな自然のサイクルの中で、森があるからこそ、こうして毎日飲むことができるのだ。

水道水も同じだ。

朝起きて、蛇口の水で顔を洗う。
歯ブラシに歯磨きをつけて、歯を磨き、口を濯ぐ。朝のお茶を入れるために、水道からの水を沸かす。
普段の当たり前が、当たり前になっているのは、じつは、森があるから、自然があるからだ。

「森に、あう」は、「森に、いく」ではない。
「森に、あう」は、「森で、あう」ではない。

ほんのすこしの想像力があれば、いつでも、どこでも「森に、あえる」。

農家の人たちのおかげで、おいしい野菜が食卓にならぶ。
森が濾過してくれた水で、私たちの生活がある。

私たちの当たり前は、森がなければ、自然がならなければ成り立たない。

目の前に、森がなくても、毎日使う、お水、野菜や果物を通じて、私たちは、森を見ることができる。

目の前には見えない森を、頭に思い浮かべ、
お風呂につかりながら、そう思ったのだ。

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