愛されなかった子が、自分の子供を愛せないこと

また痛ましい事件が起きてしまった。

24歳の母親が、3歳の女の子を自宅に放置し、遠方へ旅行へ。女の子は、脱水症状と飢餓でなくなってしまった。たった3歳の女の子が、1週間も一人で家で過ごし、食べ物も食べれず飲み物も飲めず、苦しんだことを想像するとこの世の事とは思えない衝撃を覚えた。

あの母親にすべての責任がある?

当然、世の中は母親を責める。メディアは、SNSから勝手に引用し丁寧にクレジットを入れ、母親やなくなった女の子の写真をこれでもかと世の中に流す。メディアを見て怒った人々は、母親のインスタグラムアカウントに飛び、コメントで母親を責め立てる。

その光景を目にしたとき、胸に違和感を感じた。果たして、彼女はこのように群衆に一方的に責められ、罵られるべきなのか?犯罪を犯したものを徹底的に葬る。社会から抹消する。それで世界は良い方向に向かうのだろうか?

もちろん、彼女がしてしまった行動は犯罪であり、許される事ではない。また、たった3歳の女の子が、母親に意図的に家に閉じ込められ、放置された、つまり殺されたといっても間違いではない状況で亡くなったことは、起きてはならないことだ。

ただ、どうしても母親だけがメディアやSNSで責め立てられるのに違和感を覚えたのだ。

「子育てに関して、助けを求められる相手はいなかったのか?」

「ネグレクトが常態化していたのなら、この母親の両親や周りの人間は気づけなかったのか?」

「そもそも、普段話しをする相手はいたのか?」

様々な疑問が頭を過ぎった。どう考えても、この母親は孤立していたのだろう。調べてみたところ、この母親はどうやら小学生の頃に児童養護施設に預けられ、施設で育ったてそうだ。どういった経緯かわからないが、事実として彼女には頼る両親がいなかったのだ。離婚したという夫は、3年前に離別している。つまり、子供が生まれてすぐに離婚だ。DVもあったようだ。どうしようもない男である。
「だからといって、妊娠して母親になったのだから、きちんと子育てする義務はある。ましてや、だから殺人をして許されるという事にはならない。だからこの母親が100%悪い。」その言い分は正しい。法律上、倫理上、100%正しい。母親が、どう考えても悪いのだ。

しかし、それでも私はあの母親に同情してしまう。そう、主観的に同情してしまうのだ。可愛そうだと思ってしまうのだ。彼女は、愛を知らなかったのだろう。報道を見る限り、母親は「普段はとても明るくて」「人見知りもしない社交的な子」だった。正しい愛を知らない人間ほど、表面的な愛を強く求めてしまう。みんなに好かれたい、人気者になりたい、ちょっと意地悪されても「好きだ」と言ってくれさえすれば、その人のことは必死で繋ぎ止めたくなる。私の勝手な憶測ではあるが、そんな状態だったのではと想像してしまう。彼女は、自己肯定感を正しく育むことができないまま、母親になってしまったのではないか。

彼女に欠けていたもの

”自己肯定感”という言葉は、最近子育てにおいても教育においても重要なキーワードの一つとなっている。

その意味は、実用日本語表現辞典によると次の通りだ。

自己肯定感とは、自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉。
<実用日本語表現時点より引用>

どうやら、”自己肯定感”は、”ありのままの自分を受け入れること”と解釈される事が多いようだ。そして、時にそれは自己努力によって培われるものであるとも考えられるようだ。しかしながら、果たしてありのままの自分を受け入れることは、自分自身で行えることなのだろうか?

以下の記事で、臨床心理士の信田さよ子先生はこう述べている。

自分で自分を愛することも、自分で自分を肯定することも放棄したほうがいいと思います。私たちは、他者から肯定され愛されることで生きていけるのではないでしょうか。

一般的に、3歳までの親とのコミュニケーションの中で、”自己肯定感”は養われると言われている。それができなかった子どもたちは、その後自分で自分を愛せるようにならなければならないのか?答えはNOだろう。信田先生が言うように、他者に愛されることによって自分自身に自信が持てたり、自分が好きになったりする。だから、いくつになっても誰かから愛されることで、その人は自分のことが認められる、受け入れられるようになり、他人にも優しくすることができるのではないだろうか。

この事件を食い止めることはできたのか

残念ながら、その答えは分からない。行政がもっと介入していたら?周りの人間が少しでも彼女のプライベートに気づくことができたら?しかし、それらは言うは易し、実際には本人に自覚があり発信ができたり、運良く心優しい友人に巡り会えていなければ起こることではない。行政の介入についても、プライバシーの問題もあり、決定的な証拠がなければ難しい。心が不健康な状態だと、心優しい友人に巡り合うのも難しい。

しかし、もし第三者が自分の周りにいる人に対し、少しでも”大丈夫かな?””なにか困っていることはないかな?””いつも明るいけれど、何か我慢していないだろうか?”とそっと心に寄り添ってあげることができるだけで、誰かを救うことは出来るかもしれない。一人ひとりが誰かの”心優しい友人”に能動的になることで、誰かの小さな変化に気づき、悪い運命へ向かっている何かを食い止めることができるのではないだろうか。

日本における虐待の現状

厚生労働省の発表によると、以下の通り虐待の相談件数は増加傾向にある。

2019.08.06お知らせ
厚生労働省 平成30年度の児童虐待相談対応件数等を発表。8月1日、平成30年度の児童相談所による児童虐待相談対応件数(速報値)が厚生労働省から公表されました。件数は15万9850件で、前年度より2万6072件(19、5%)増え、過去最多を更新しました。対応件数の内訳は、心理的虐待88,389 (55.3%)、身体的虐待40,256 (25.2%)、ネグレクト29,474 (18.4%)、性的虐待1,731 (1.1%)となっています。相談対応経路別件数は、件数が多い順に、警察等79,150(50%)、近隣・知人21,440(13%)、その他18,138(11%)、学校等11,449(7%)、家族11,178(7%)となっています。相談対応件数の主な増加理由は、心理的虐待に係る相談対応件数の増加、警察等からの通告の増加が指摘されています。
<子ども虐待防止 オレンジリボン運動HPより引用>
http://www.orangeribbon.jp/info/npo/2019/08/-30.php>

画像1

※上図は平成29年度時点での相談件数のチャート

そして、死亡まで至ってしまったケースは平成29年4月から平成30年3月までのたった1年の間に、65人にも登るのだ。

 同時に公表された「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第15次報告)」では、平成29年度(平成29年4月1日から平成30年3月31日までの)間に、心中13人を含む65人の子どもが虐待で死亡したこと、死亡した子どもの年齢は、0歳が28人(53.8%)と最も多く、うち月齢0か月が14人(50%)であったことなどが報告されています。
<子ども虐待防止 オレンジリボン運動HPより引用>
http://www.orangeribbon.jp/info/npo/2019/08/-30.php>

月にして割ると、毎月5人以上もの子供が、虐待によって亡くなっている。今この瞬間にも、虐待によって死んでしまいそうな子供がいるのだ。それが現実だ。

相談件数でみると、日に400件以上もの相談が寄せられている事になる。相談という行動に移るまで、そこには障壁があるだろう。本人は、言えない、言わない。周囲も様子を見て”虐待なのではないか”というある程度強い確信がなければ、通報や相談には至らないだろう。つまり、潜在的にはもっともっと多くの虐待が行われ、今この瞬間も子どもたちが苦しんでいるとう事だ。その件数は想像できないほど多いのかもしれない。

そして、子供も苦しいがきっと親も苦しいのだ。加害を加えている奴が苦しいというのは何事だ、そんな同情など必要ない。それが世の中の多くの意見かもしれない。しかしながら、前述したようにその親がなぜ虐待をしてしまったのか?を紐解き、根っこからの改善をしていかないと、結果は変わらないままだ。負の連鎖が続いてしまう。その根っこを知るには、虐待してしまった親自身の苦しみを知り、その原因を取り除かないといけない。

さいごに

虐待をしてしまう親に同情するかどうかは人の自由だが、私は彼らにも同情を寄せたい。”では、自分の子供や大切な人が他人に殺されたとして、その殺人者を同じように同情するのか?できないだろう。ダブルスタンダードだ。”と言われるだろう。そうだ、きっと自分の子供が誰かに殺されたら、許さない。許せない。そんなの当たり前だ。だから、起こってしまった虐待や事件については、当事者でない第三者が、唯一救いの手を伸べられる存在なのだ。

この母親には、刑期の中で誰かに優しさや愛を教えてもらい、そして心身共に健康になり、彼女の中に亡くなってしまった稀華ちゃんに対してのまっすぐな愛情を強く持ってほしいと思う。亡くなった彼女が唯一望んだことは、母親に愛されたいという本能だけであっただろう。愛されなかったあの母親は、稀華ちゃんを愛し続けることができなかった。一度は芽生えたであろう愛情が、なんらかの障壁により見えなくなった時に、それを取り戻すことができる安らぎや休息がなかったのだ。

自身も子育てをしているので分かることだが、0歳から3歳まで子供を生かし続けるには、愛情がなければやっていけない。眠れぬ日々、消耗していく体力。自分の時間も持てない。ひとときも目を離すことができない状況。愛情が一切なければ、3歳まで育てることは難しいだろう。実際に、先の資料によれば、虐待死のうち約半数は0歳で亡くなっている。特にシングルマザーで頼るところがない状況の中で、相当大変な日々の中、愛情があったからこそ育てられたのだろう。

しかし、最後には、稀華ちゃんへの愛が見えなくなってしまったままネグレクトを繰り返し、死へと追いやってしまった。だから、彼女には、もう一度稀華ちゃんを愛してほしい。愛を取り戻し、心の底から後悔し、強く稀華ちゃんを想ってほしい。母親が愛に気づき、猛烈に苦しんだ時、あの子はやっと成仏できるだろう。社会は母親を罰するが、娘が母親に愛されたいという気持ちは、誰にも奪い去ることはできないのだ。

輪廻転生や天国といった概念がどこまで信憑性があるかどうかはわからないが、どうか稀華ちゃんが天国で幸せに、次に生まれ変わったら心から愛されますようにと願ってやまない。







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