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記号としての「ワーケーション」を超えるために

2021年7月夏、「ワーケーション」は多くの場面で記号として消費されています。提供者側も参加者側も、各プログラムの中身や充実性ではなく「ワーケーション」という記号を消費し、満足しているような光景をしばしば現場やメディアを通して目にすることがあります。

関西大学社会学部メディア専攻松下慶太教授(以下:松下教授)によれば「ワーケーション」という言葉は、2010年代に旅をしながら仕事をするデジタル・ノマドたちが使っていた言葉です。明確な定義はありませんが、日本では2017年頃から企業や政策レベルで注目され始めました。

もともと「ワーケーション」は、デジタル環境の変化や働き方と密接に関わる概念であるため、労働やメディアについて研究する専門家が多く論じてきました。ただ、私はこれらの分野の専門家ではありません。普段は社会学という道具を使い、地域や農村、多様な人々の共生、まちづくりについて研究をしています。

そこで今回は、上記の観点から「ワーケーション」を取り巻く環境を批判的に考察しつつ、千曲市のワーケーションまちづくりの事例から、記号としての「ワーケーション」を超える方法に迫ってみたいと思います。テーマは「記号として消費されるワーケーションを超えて、関わる人が継続的に楽しむためにはどうすればいいのか」です。

「ワーケーション」の定義

明確な定義のない「ワーケーション」ですが、松下教授はワーケーションを「ワーカーが休暇中に仕事をする、あるいは仕事を休暇的環境で行うことで取得できる休み方であり、働き方。また、仕事に効果があると考えられる活動」と定義しています。

ワーケーションの定義はたくさんありますが、この定義はわかりやすく好きです。この定義の先にあるものを考えてみると、ワーケーションの延長線上にあるのは生活の質向上や、豊かな暮らしの実現です。今日の社会では、ワークスタイルとライフスタイルを別々に語ることはもはやできません。

生産性向上のために余暇(バケーション)も動員される消費社会

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歴史上最も大きな影響を与えた思想家マルクスに、ここで登場してもらいましょう。マルクスは主著『資本論』の中で、自由の王国であるためには労働日の短縮が根本条件であると論じています。つまり、働き過ぎを止めさせ労働者に余暇を与える、これこそがよりよい世界を実現するうえで必要だというのです。

しかし、私たちの余暇は資本や労働から完全に自由ではありません。資本主義の上に成り立つ消費社会においては、余暇も労働における生産性向上のために必要な条件となり、私たちの余暇も消費社会のうちに飲み込まれてしまいました。 そこで登場したのが観光産業であり、観光産業は人々に新たな欲求を生じさせているのです。また現在では、休みの日も仕事をしたり、退社後も持ち帰りで仕事をしたり、自己の成長のために学ぶことに駆り立てられたりと、観光産業に関わらず、休日も労働の一部になっています。

企業においては生産性の低さが問題視され、IT化やワーケーションの導入が進められていますが、私たちの余暇時間は増えたでしょうか?結局、生産性の向上を目的としたワーケーションやIT化からは、余暇は生まれず、空いた時間には生産性向上のため新たな仕事がやってきてしまいます。

なぜこのような話をしたかというと、「ワーケーション」は労働者の余暇までも侵食し、生産性向上のために人々を動員する消費社会の最たる問題であるという見方もできるからです。つまり、私たちはこのような「ワーケーション」からは脱する必要があるのです。

せっかく「ワーケーション」するのであれば、記号として消費するのではなく、また生産性向上のために動員されるのでもなく、充実した「ワーケーション」を楽しみたいものです。消費社会の構造的な課題を自覚して「ワーケーション」するのと、自覚しないで「ワーケーション」するのとでは、過ごし方や関わり方が大きく変わるので、ちょっとだけ脱線しました。

コロナ禍に加速した「ワーケーション」の記号消費

デジタル・ノマドなど一部の人々や企業だけが使っていた「ワーケーション」が日本で一般化したのは、2020年7月の菅官房長官(現総理大臣)による発言以降です。菅官房長官の「ワーケーション」発言は、この言葉の認知度を急速に高めたと同時に、世間では、「また政治家が新たな意味不明のカタカナ語を使っている」と議論を巻き起こしました。

こうして認知度を高めた「ワーケーション」は、コロナ禍にトレンドとなり、瞬く間に政治・社会・経済の空間に広がり、急激に記号消費の対象となりました。社会における新しいものに興味関心ある人たちは、Clubhouseと同様に一斉に「ワーケーション」を実践し、流行の波に乗り遅れないように我先にとその様子をSNSで発信しました。また企業は新たなプランをつくったり、行政は新たな補助金を創設したりしました。

「ワーケーション」が良い悪いということではありません。2020年以降、「ワーケーション」は特定層の間で記号消費される対象になったという点をここでおさえておくことが重要なのです。

緩やかに落ち着き、停滞する「ワーケーション」

21世紀になり、市場の流れは信じられないほど早くなっています。新型コロナウイルスの流行でも市場の流れが鈍化することは一切なく、現在進行形でピンチはビジネスのチャンス・差別化のチャンスだと新たなトレンドが生まれては消えています(過去3日以内に、Clubhouseを開いた人がいったいどれほどいるでしょうか)。

2020年以降、「ワーケーション」も乗り遅れてはいけない波として瞬く前に記号消費の対象となりました。そして2021年7月現在、「ワーケーション」への熱狂的な興味関心は緩やかに落ち着きつつあります。

「ワーケーション」の脱-記号化のために

さて、重要なのはこれからです。私は2019年から現在まで、千曲市を含む長野県内の自治体、そして県外の自治体でも「ワーケーション」に関連するビジネスや地域の取り組みにかかわってきました。
ここまでの文章を読んで「こいつ、ワーケーションを批判したいだけか」と傷ついた方がいればここで謝ります。この文章は「ワーケーション」を自覚的かつ批判的に考え直すことを目的としています。特に地域やまちづくりの文脈における「ワーケーション」の現在地を捉えなおすことで、記号として消費される「ワーケーション」を脱-記号化しようという試みであるため、ここまでは意図的に、少し否定的に捉えてきました。

記号としての「ワーケーション」を乗り越え、継続的に提供者や参加者に恩恵を与え続ける、楽しめるためにはどうすればいいのか。千曲市のワーケーションによるまちづくりには、「ワーケーション」を脱-記号化するためのヒントが隠されていると思います。


「ラボ」に込められた決意

私は、このnoteの「ワーケーションまちづくり・ラボ」という名前を初めて聞いたとき、鍵は「ラボ」の部分だと解釈しました。

ラボとは実験室の意味をもつラボラトリーの略語です。実験とは数十回数百回の失敗の先にある成功らしきものを見つけ出す作業を指す言葉です。

つまり、「ワーケーションまちづくり・ラボ」には、日常生活を新自由主義が侵食し、失敗が許されない自己責任社会(人間だけでなく地域や企業にも当てはまる)において、「失敗してもいい」「可能性あるものはとりあえずなんでもやってみる」という決意が込められているのです。この寛容さが多くの人たちを惹きつけていることは間違いありません。

千曲市に学ぶ「消費される地方」を乗り越えるためのヒント

「ワーケーション」と同じく、農村や地方なども顕著に消費の対象となって数十年が経ちました。資本主義は中心から周辺へとその消費の場を拡大する性質をもちます。つまり、中心としての大都市に消費の対象が無くなり、周辺としての地方や農村へと消費の場を移しているのです。

ブランドイメージ向上のために本社機能を地方へと移転したり、都会的なリアルスペースを地方につくり運営したり、地方創生やSDGsの名のもとに補助金獲得競争へと駆り立てられる非持続的な取り組みのニュースは、日々、私たちの目に飛び込んできます。

こうした社会状況の中、千曲市のワーケーションまちづくりが有するいくつかの特徴は、全国の自治体や地域をよりよくしたいと頑張る人たちの参考になるものです。そこで今回は、私の独断と偏見で、特徴的な部分を二つピックアップしてみたいと思います。

「ぬくもりのあるつながり」

ひとつ目の特徴は、記号としての「つながり」「関係人口」を超えた、人と人との確かなコミュニケーションの存在です。『関係人口の社会学』著者の田中輝美さん(以下:田中さん)は、関係人口を「特定の地域に継続的に関心をもち、関わるよそ者である」と定義し、社会関係資本(信頼や互酬性によるつながり)とよそ者の重要性に注目しています。

現在トレンドになっている「つながり」や「関係人口」ですが、人と人とのつながりは、案外難しいものです。村八分を生み出す共同体のような強いつながりは、ストレスとなりプレッシャーとなります。一方で、いざというときに機能しない弱すぎるつながりも問題です。

千曲市のワーケーションでみられる「つながり」は、記号として消費される美化された「つながり」ではない、強すぎも弱すぎもしない「ぬくもりのあるつながり」です。「ぬくもり」は、身体性や人肌のあたたかさと言い換えてもいいかもしれません。

急速にテレワークやリモートワークが普及したコロナ禍に気が付いたのは、オンラインの可能性ではなく、オンラインの不可能性ではなかったでしょうか。単なる「つながり」を超えた身体性のある「ぬくもりのあるつながり」は、まさにそうした世の中で求められているものです。

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「ぬくもりのあるつながり」は、体験会の参加者が参加者だけで固まっていたり、受け入れ側の地元住民が参加者を奇妙なものとして遠くからみていたりするうちは生まれません。ここではあえて参加者と地元住民を二項対立の図式で語りましたが、千曲市ワーケーションはこの二項対立に落とし込むことのできない複雑性をもっている点も特徴です。

参加者が次に来たときは企画者になっていたり、地元住民が参加者になったり。千曲市のワーケーションの特徴である定期開催される体験会は、回を重ねるごとに企画者が増殖していますが、ここに「ぬくもりのあるつながり」が顕著に表れているとみることができます。その仕組みを成り立たせているのは、壁をつくらないように気遣いと行動で人をつなぐ主宰者と、楽しそうに関わる行政職員でしょう。

「ぬくもりのあるつながり」は、「ワーケーションで盛り上がる千曲市」や「おもしろい人が集まる千曲市」という記号消費を超えます。記号としての「ワーケーション」「千曲市」は、人が集まってもさらに先進的な事例が生まれれば人はそちらに流れてしまいます。しかし「ぬくもりのあるつながり」は、他に先進事例が生まれたり、もしもキーパーソンがこの地を離れたりしても、途切れることのないつながりを関わる人たちに感じさせます。この、記号を超えた「ぬくもりあるつながり」が、千曲市ワーケーションの大きな特徴です。

肩書きや所属をはずして、名前ある人間として参加する

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ふたつ目の特徴は、「名前ある人間としての参加」です。自治体や企業単独で、ある形式のなかで開催されるワーケーション事業の場合、他者と対等な関係を築く=舐められないために、個人の名前よりも会社名や肩書が前面に出ることがよくあります。しかし、こうした関係性は、消費対象としての、もしくは記号としての「ワーケーション」を超えることを難しくさせます。

千曲市の場合は、企業に所属する人もワーケーション体験会に多く参加しますが、参加者は社名や肩書よりも個人が前面に出ている印象を相対的に感じます。これは企画者側の多様性にその理由があるように思います。

民間企業、行政職員、フリーランス、会社代表など、回を重ねるごとに増殖する企画者側の人数は、主催者に多面性を生み出し、普段は肩書や所属の中にいる個人を、名前のある個人として開放する機会を提供します。

肩書を超えた個人と個人のコミュニケーションは、「ぬくもりのあるつながり」を生み出し、居心地の良い空間をつくりだします。ここに半数近くの参加者がリピーター=ファン=関係人口となっていく、千曲市ワーケーションの特徴があるのです。

最後に―「ワーケーション」が無くなっても、「千曲市のワーケーション」は無くならない

以上、千曲市ワーケーションの特徴を二つ紹介してきました。この記事のテーマは「記号として消費されるワーケーションを超えて、関わる人が継続的に楽しむためにはどうすればいいのか」でした。単なるブームやトレンドではない、記号として消費される「ワーケーション」ではない千曲市のワーケーションとそれを活用したまちづくりには、他の地域も参考になる多くのヒントがあります。

極端なことをいえば、千曲市の「ワーケーション」は、もはや「ワーケーション」ではないといえるでしょう。それは「千曲市のワーケーション」という固有名詞へと変化を遂げつつあり、だからこそ記号として消費されない、たとえ「ワーケーション」がさらに停滞しても「千曲市のワーケーション」は残り続ける、そういった唯一無二の存在になりつつあるのではないでしょうか。「ワーケーション」の概念を拡張し続ける「千曲市のワーケーション」の、今後の展開に注目です。

参考文献
カール・マルクス, 1969, 資本論, 岩波文庫
國分功一郎, 2011, 暇と退屈の倫理学, 朝日出版社
ジャン・ボードリヤール, 2015, 消費社会の神話と構造 新装版, 紀伊国屋書店
田中輝美, 2021, 関係人口の社会学—人口減少時代の地域再生
松下慶太, 2021, ワークスタイル・アフターコロナ―「働きたいように働ける」社会へ

筆者:KAYAKURA代表 伊藤将人

【告知】
2021年8月7日(土)~8月13日(金)
千曲日ワーケーション・ウェルカムデイズ開催
今回のメインテーマは:大人も子どももみんなワクワク
自然豊かで多くの絶景ポイントと優しい温泉がある交通の要所「長野県・千曲市」を拠点に大人も子どももみんな楽しめるワーケーションプログラムを用意しました。観光列車「ろくもん」や聖高原キャンプ場を貸切ったイベントに是非ご参加ください。

申込・詳細はこちらから
https://furoshiki-ya.co.jp/chikuma/wwd2108/

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