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ひとりになりたい・北へ(あきやさん講演会感想・コンセプトについて)

なぜか先に本のワークについて書いてしまいましたが、改めて5月のあきやさんの講演の感想、というかメモを。



なりたいは隠れてしまう

赤べこのように頷いた言葉、そのいち。
先生や職場、友人からの言葉に流されて自分では決められなかったことの恨みつらみが籠もった「なりたい」がある、というのにうんうん……と。
自分の恨みつらみが籠もった「なりたい」は「ちゃんとしなきゃ」だなあ……と思いました。


好きは疲れてると見つからない

赤べこのように(略)
かつて「好き」のワードが一番思いつかず神様から五億円貰ってもやりたいことが思い浮かばなかったわたし、なんかもう、自分の人生ずっと疲れてたのでは!? としみじみ思ってしまいました。
人は何故、働くと宇宙人にさらわれてしまうのか……どうして……。

私は22歳から32歳まで10年間会社員をしていたのですが、正直最初の4年間くらいは「宇宙人に連れさらわれた時についでに記憶を抹消されたのかしら?」っていうくらい覚えがないですね…🐄🛸きっと社会に揉まれていたのでしょう…!(遠い目)

自問自答美術館】バッグで描く「心の叫び」を見つめてみよう👜


違和感は哲学と反対の言葉

聞き捨てならない言葉こそがその人の哲学、「なりたい」を逆説的に表すという話。
とはいえそもそも「聞き捨てならねえな……!」と怒れるって、つまりは自分のために怒れるということなんだよな、と思ったりもしました(なので頭に血が上るだけでなく、嫌な気持ちになったりイラッとする場合もあるのだ、と思います)。自分の場合、たとえ内心でムッとしても、いや相手の言葉にも一理あるのでは、自分に至らぬところがあったのかも……と思いがちだったので。
たぶん、「なりたい」や「哲学」が自分の中にない、あるいは弱いと、哲学も聞き捨てならない言葉もどちらも、世間の評価を重心においた言葉になってしまうのだと思います。わたしの場合はその結果、聞き捨てならない!というよりはむしろ、見破られた! 世間の皆さま迫害しないで! になってしまっていたような。
過去のnoteを踏まえても、恐らく以前のわたしが実際に言われたりSNSで見かけて感情的に強く反応していたのは、変、冷たい、気が効かない、自立してない、恵まれてるよね……あたりなんじゃないかなと思うんですが、このあたりを言われても「聞き捨てならねえ」よりは「見破られた!」「迫害しないで!」という方が強い(かった)なあと。

じゃあ人間を辞めることにした今のわたしが「聞き捨てならない」のは何だろう……、と考えているのですが、ぱっと浮かんだのは「おまえの内面(表現や信念)に価値はない」でした。
ただこれ、ちょっと広すぎるのと、自分でもなぜそれが反応するのか理由がわかり易すぎる気がしていて、もう少し突き詰められる気がしています。中々気付きにくいというお話もあったし。

ただ、五億円もらえる時にやりたいことはわからないけれど、コロナの後遺症で寝たきりになった時に「えっじゃあ最後に歌った公演があれになるの……!?(とてもいや)」「自分が最後に出した本(同人誌)はあれになるかもしれないってこと……!?(すごくいや)」とは思いました。

痛みを伴っても欲しいもの、なのか…………?
(ここでそうです! とはっきり言い切れないあたりに何かありそうな気はする)
(なんかこう、家族や周囲に迷惑をかけたくない、みたいなのがありそうなんだよなー……とぼんやり思いはするのですが)
(でももうその辺はいいんじゃん……?)


いざ、自問自島へ

島の中でのワード分類、講演会が終わって本のワークをしてからやりました。
言葉の分類ワーク自体はわたしはこれで3度目で、昨年7月の自問自答ファッション教室、その後9月、そして今回、になります。ワークで作った紙はすべて保存してあるのですが、この間色々あったことも影響しているだろうとはいえ、確かに繰り返すと精度が上がるし変化するな……と思います。具体的には、

・欄外や中間(「違和感」と「似合う」の間とか)がどんどん減っていった(なので分類表のぱっと見の見た目からして変わる)
・分類速度が上がった
・言葉の世間一般での意味を考えなくなった。自分の定義を優先するようになった
・「なりたい」がたくさんあって「好き」が殆どなかったのが「好き」にワードが入るようになった。
 →これは講演会での「なりたい」の定義、何かを犠牲にしてもそれを得たいか、という判断基準を得たことも大きいと思います。
・ポジティブな言葉を「似合う」に選べるようになった
 →「似合う」について、以前ならば「人に言われたことがある」が最優先の基準で、そうでない言葉については自分にこの言葉が似あうなんて不遜じゃないかしら……と「なりたい」に振っていたのがなくなった気がします。

といったところでしょうか。
ちなみに我ながらちょっと面白かったのが「凛としている」を「似合う」に選びながら(だって姿勢よくなったしなー)と思っていたこと。先日整体で褒められたとはいえ、自分、姿勢の良さが本当に大事なんだな……!
(推定骨格ストレートなので色んな意味で大事です)

本のワークと言葉の分類をしながら思ったのが、今の自分は「好き」と「似合う」はそれなりに選べるようになってるのかな、ということでした。
わたしのファッションアイテムの選択基準は色彩がかなり大きい部分を占めているのですが、本のワークを踏まえると多分これ、「好き」カテゴリなんですよね。シルエットが「似合う」「好き」になっている気がする。そうすると現状、わたしが良いと思って選ぶものはこの2分野に合致するもの=「なりたい」がちょっと手薄だから、ここは意識しないと手に取らないのかな、と。このあたりは長期戦でアクセサリーを探せたらいいな、と思います。
その一方で「なりたい」像がどこまで絞り込めているのか、やっぱりまだ微妙な気がします。

ただわたしはストレングスファインダーで、「共感部分」を伸ばしましょうと言われているので(参照)、これを踏まえると自分のコンセプトについては何というか、自分は思っているより感性豊かな人間だぞと、ある種の暗示をかけていったほうがいいのかな、と(……という、この発想がとても分析思考だなーと自分でも思います)。
というわけで「なりたい」重視かつ「共感」重視で考えたのがこちら。

北の森に住む、自分があって存在感があって凛とした、人にショックを受けさせる人ではない作家 

純粋で孤独な存在感のある、人ではない作家

……何着てるんだろう……?

ちなみに今のところ気になってるアクセサリーはカレワラとホアキンベラオです。
シルバーアクセサリー(できればマット目)の情報、いつでもお待ちしております。


自問自島から帰ってきたときに

ボクは一人になりたいんだ。

ハックルベリーにさよならを(成井豊)

少し話が変わるのですが、昔やった劇の台詞で、上記の台詞がとても好きだったなと、ふと思い出しました。
父親の再婚相手に恋をしてしまった、けれどそれを認められず父からも母からも裏切られた気持ちになってカヌーに乗って単身飛び出した少年(演りました)の台詞です。
素人レベルでも、一度演じた存在はどうしても他人事と思えなくなってしまう気がするのですが、自分の中にはこういう少年がずっといる気がします。

この記事を書きながら自分の「聞き捨てならねえ」ワードをずっと考えていたのですが、ふと上記の台詞を思い出して、いやこんな台詞が好きなら一度ふりきって冷たくなってみてもいいのでは……と思いました。
というより、自分に没頭してみたい、のかもしれません。象牙の塔の住人や、エルサの築いた氷の城のように。テキストを書くこともわたしにとってはその手段のひとつなのではないか。

冷たいと言われることを恐れていた、ということは常に周囲を意識していたということでもあります。
こう書くと当たり前みたいですが。その意味では冷たくなるというか、他人の感情や存在に不用意に揺らされないバリアがもっと必要なのかも知れない。
そしてたぶん、わたしは十分優しいのだと思う。

そんなわけで引き続きもぐら活動を続けます。

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