見出し画像

ワークライフ・コラボが、今考えていること。【前編】ワーコラマガジン〜Seeders(種をまく人々)〜#1堀田真奈

仕事と生活を大切にする、
を当たり前に。


「ワークライフ・コラボ」は、ワークライフバランスで愛媛を元気にしようという想いから、2007年に活動を始め、2009年に設立したNPO法人です。私たちの役割は、誰もが自分らしい働き方・生き方ができるよう「人と企業と地域をつなぐこと」。そのために、自らがシーダー(種をまく人)となって、さまざまな方々と一緒に活動を続けています。

少しでも多くの皆さんに、私たちの活動を知ってもらいたい。種をまく人になってもらいたい。そんな思いで、「ワーコラマガジン〜Seeders(種をまく人々)〜」を始めることにしました。

1本目の記事はワークライフ・コラボ代表の堀田真奈のインタビュー。ワーコラの誕生話から、活動の本音、大切にしている想いまで話を聞きました。前編・後編でお伝えします。


子育てと仕事の両立への違和感。情報がほしかった

画像1

▲ワーコラの活動を始めたころ。娘さんが2歳のとき

ーーワークライフ・コラボ(以下、ワーコラ)が設立した当時は、今ほどワークライフバランスという言葉が浸透していなかったと思います。そのタイミングでワーコラを立ち上げたきっかけは?

出来事でいうと、妊娠と出産です。ワーコラを始める前は、旅行会社の営業をしていて、残業も当然でした。その後結婚し、先のキャリアが見えなくなって転職。地元経済団体で中小企業の経営支援の仕事をしているときに子どもを授かり、1年休んだのですが、「生まれてきたら、仕事どうするんやろ?」と漠然とした不安がありました。お休み中は、読みたかった本も読めず、取りたかった資格も取れず、目の前の子どもで精一杯。自信を失って、不安、不満や不具合を抱えました。職場に復帰してからも、晩御飯を出社前の朝に作り、帰宅して子どもに食べさせ、寝かしつけて……もするけど、全然思うようにいかない。時間とやることに追われて疲れ果て、子どもにイライラしてしまうこともありました。「こんな働き方でいいのかな」「そもそも何のために働くんだろう」と、子育てと仕事の両立への違和感が募っていきました。

一方、夫が家事や子育てに参戦する時間が増えることで、だんだんと気持ちに余裕ができることも実感。夫に頼ろうとしていなかった、自分の中の昔ながらの価値観にも気づきました。他の人はどうしているかが知りたくて、本やネットを探しても、そこに私が求めていた情報はありませんでした。

ーー堀田さんのお母様やご友人など、ロールモデルとなるような働くママは身近にいなかったのですか?

いなかったんです。母はパートで働いていましたが、基本は家庭中心の人でした。友人も妊娠を機に退職する人がほとんどで、フルタイムで働く似た境遇の人はいませんでした。当時、勝間和代さんがされていた「ムギ畑」という、今でいうオンラインサロンに入会もしてみましたが、弁護士やプログラマーなど専門スキルを持ったママたちの集まりで、なんとなく“都会と地方”みたいな格差を感じてしまいました。こういう場が愛媛にもほしくて、ないなら自分でやろうと、2007年にワーコラの前身となる「ワークライフバランス向上委員会」を立ち上げ、座談会を始めたんです。


誰もが仕事と生活の兼ね合いに悩んでいた

画像2

▲徐々に参加者が増えていったワークライフバランス向上委員会

ーー堀田さんは都会と地方の差を感じた、という思いで終わらずに、地方にないなら自分で、と考えて座談会を始めたんですね。座談会の反響は?

「ワークライフバランスってなに?」というタイトルを載せたチラシをつくって、「松山市男女共同参画推進センター(コムズ)」で開催しました。でも、問い合わせ先に「ワークライフバランス向上委員会・携帯番号(堀田)」と書いたところで、「誰?」ですよね。最初の参加者は二人でした。それでも、知人に声かけをしたり、おもちゃ屋さんにチラシを置かせてもらったりしながら、月1ペースで座談会を続けていくと、一人二人と参加人数が増えていきました。当時全盛期だったブログを始めたり、新聞記事に取り上げてもらったりして、世の中に認知されていくと、ブログのコメント欄にも反響が出てくるようになりました。

ーー向上委員会を立ち上げた当初から、NPO団体を設立する将来像を描いていたのでしょうか?

いえ、まったく。「晩御飯どうしてる?」とか「子どもが熱出たときに『すみません』ってコミュニケーションとるのしんどくない?」とか、そういう生きた情報がほしかっただけなんです。

ーーそこからどう発展していったのですか?

参加者の中に、親を介護していた女性がいたんです。仕事と介護の兼ね合いに悩んでいて、子育てとは違うかもしれないけど、他の人がどうしているのか情報がほしくて来たと言っていました。西条からわざわざ来てくれた夫婦は、今後子どもができたときのために二人でどうすればいいか考えたくて来たとも。いろいろな人がさまざまな理由で、仕事と生活の兼ね合いに悩んでいるんだと感じました。

また、座談会をしている中で、「家事と子育ては女性の仕事」と考えるからこその発言や、「会社に言っても変わらない」とあきらめる発言があって。結局、そこを変えないと何の解決にもならないと思ったんです。当事者同士で慰め合うのも一つだけど、周りを巻き込んで変えていかなきゃいけない。「女性はこう」という社会的な価値観を変えるには行政とやっていくべきで、「会社は不動」を変えるには企業も巻き込んでいくべきだと気づいたんです。

それで、経済団体でフルタイムの仕事をしながら、NPO法人を立ち上げ、二人目の出産を機に活動に専念しました。


勝手な責任感。そして社会への怒り

ーー「個人の悩みを解消するためにできること」から「社会問題の解決のために必要なこと」へと舵を切ったんですね。その責任感はどこから?

勝手な責任感ですよね。誰にも頼まれていないのにね(笑)。「行政の仕事では?」とも思いました。ですが、単年度予算で「ただやればいい」とこなす仕事ではない。それなら自分がやろうと思ったんです。

性格的に、モヤモヤしたことに蓋をしたくないんですよ。長女が乳幼児のころ、子育て支援スペースのママたちの集まりに参加しました。そこでは、「夫が何もしてくれない」とグチが多く聞こえてきて、「そうそう」と共感しつつも違和感がありました。赤ちゃんとはいえ、子どもが聞いているのにと思ったし、もう少し前向きな場所がほしいと思ったんです。育休の話にしても、2022年から男性の育休は取得義務化が原則になりますが、私は当時から「別に男性が取ってもいいやん」とモヤモヤしていました。

ーー活動の原動力は?

中小企業の経営支援をしていた側面もあるし、自分の育ってきた環境にもあると思います。子どものころ、母はパートから帰ってくるといつもイライラしている様子で、家事を全くしない父とも関係がうまくいっていないようでした。今になれば、母はいっぱいいっぱいだったんだとわかります。だから私はそれをなくしたいし、子どもの成長にもしっかり寄り添いたい。だからといって、仕事をあきらめることもしたくない。「それは欲張り」と母に言われましたけど、私はどっちも実現できると証明したいのだと思います。

あとは、「怒り」かもしれませんね。活動を新聞に取り上げられたときには、世間の反感もありました。「ワークライフバランス?そんなの理想よ」「10歳までは母親がそばにいないと、いがんで(おかしくなって)しまう」とかね。でも、現状そういう人たちが多い中で「これを伝えていかないといけない」という想いがありました。


向かい風が追い風になって進んできた

画像3

▲ワーコラが10周年を迎えた2019年6月には、記念イベントを開催した

ーーNPO設立から12年がたちました。

12年の時の流れは大きいですね。4歳だった娘は高校生、ワーコラ立ち上げ直後に生まれた息子は11歳になりました。あっという間でしたけど、その間、社会もずいぶん変わりました。今は「子どもには『母親』が『家で』そばにいなきゃいけない」時代ではないと、ほとんどの人が認識していますし、多くの企業が経営方針として仕事と子育てや介護などの家庭生活を両立しやすい職場環境づくりに取り組んでいます。当時、愛媛県が仕事と子育ての両立に取り組む中小企業を応援するために「えひめ子育て応援企業認証制度(現えひめ仕事と家庭の両立応援企業認証制度)」をスタートさせていました。その制度を広めるため、私は支援サポーターとして企業を走り回りましたが、2009年時点での認証企業はわずか5社。「ワークライフバランスは公務員や大企業がやることでうちは関係ない」と中小企業の社長にズバッと言われていました。今では、愛媛県内で659社が認証を受けています(累計。2021年3月現在)。向かい風が追い風になった12年でした。

ーー何が追い風となったのでしょうか?

キーワードの一つが「女性活躍」です。私たちは、2011年から女性が働き続けるための、企業との講座を県の助成で開催したり、地域における女性活躍をテーマにした企画を内閣府事業で実施したりしていました。その頃はまだ愛媛県内での関心は高くありませんでしたが、翌年に安倍内閣が3本の矢の一つに「女性活躍」を入れると、行政が急にこちらを向いてくれるようになりました。弱小NPOだった私たちにも、県から大きな事業をいただけるようになり、女性活躍推進事業や子育て支援事業も受託するようになっていきました。行政の動きが加速して、それに私たちが乗っていく。資本金がなく、ボランティアに近い感覚で活動していた私たちは、そういう進み方で人を雇用し、事業運営を学び、組織として成長させてもらいました。

ーー社会の価値観を変えようと立ち上げたワーコラがいつしか、社会の追い風を受けて進んだのですね。

そうですね。ただ、追い風の中身は変わっていきました。最初の「女性活躍」という言葉は「地方創生」「一億総活躍社会」「働き方改革」へと変わっていき、今だと「健康経営」とか「SDGs(持続可能な開発目標)」にシフトしています。ただ、言葉は変わりながらも、その根底にある考え方は、働き続けられる、働きがいがある、働きやすいを目指すもので、根本は変わっていないと実感しています。

ーーその根本にある課題はズバリ何でしょう?

ジェンダーギャップ(男女の違いによるさまざまな格差)です。これが結局、当初から変わらない大きな課題だと思います。日本は、「女性はこうしなきゃいけない」「男性はこうしなきゃいけない」という社会通念が強い国だと言われています。

県内の多くの企業が、仕事と家庭生活の両立がしやすい職場環境づくりに取り組んでいるとはいえ、根本では「男は仕事、女は家庭」と無意識的に考えている経営者や管理職層が多いことにモヤモヤします。「うちは配慮できている」という経営者もいますが、「子育てをしなきゃいけない母親に配慮」と、女性に限定して「特別配慮」や「線引き」のように両立支援することは、本来必要な女性の活躍にはなっていないと思います。

それは、2022年3月8日に公表された「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」を見ても明らかです。愛媛県は、政治31位、行政39位、教育30位、経済33位。なかでも、行政分野の「市町村の管理職」(課長相当職以上)はワーストの47位と、全国的にも遅れている現状にありました。女性活躍や働き方改革を愛媛で進めてきた私たちとしては、とても残念な結果です。

昔は、「団塊の世代以上の男性が引退すれば、会社組織の風通しは良くなるだろう」と言われていました。でも、彼らが社内から去っても、日本の会社はほとんど変わらなかった。それは、ジェンダー研究の第一人者である上野千鶴子さんの書籍を読んで納得したのですが、下の世代にも意識が再生産されているからなんです。実際、旧態依然の意識を持つ30代、40代の経営者や管理職層に出会います。彼らと対峙するのではなく、仕事と生活を大切にすることは、性別や年齢に関係なく当たり前だということを理解し合い、経営者も働き手も組織も多様であることを互いに認めて、それを組織の強みにして前に進めたらと思っています。


(取材・文/高橋陽子)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?