ツバつき帽のうらっかわ
あの子は決して帽子を人に渡さなかった。髪の毛を整え直すときも、屋内に入るときも、いつだって。
野球帽が多かったけど、たまにバケットハットなんかも被る。ツバがついていればなんでもなんでもよくて、ツバがないものは買わなかった。
ときどき彼女は、上を見やってツバの裏を覗いていた。たぶん、そこに秘密があるのだろうと折り入って聞いたことがある。
「ねえ、ときどき帽子の裏を見ているのはどうして?」
「わたしに必要な言葉が書いてあるから」
「どんな言葉?」
「知ることのないものを知っても意味ないでしょ」
ぼくはついぞそれを知らずに彼女と離れなければならなかった。別に絶交したわけではないのだけれど、電車と新幹線とをいくつか乗り継がなければいけなくなったから。
いま、日差しのまぶしい町で暮らしている。日差しが強くて暑いくせに影が少ないからか、自然と帽子を被るようになっていた。
彼女みたいに、ぼくもときどき上を覗く癖ができた。
「ねえ、帽子の裏に何かついてるの?」
「ぼくに必要な言葉だよ」
「見せて?」
「ごめんね、人に見せることはできないんだ。これはそういうものなのさ」
好奇心を込めて、この子はぼくにたずねる。
「なんで?」
「教えてくれた人の受け売りでね」
「ふうん、気になるなあ」
「ごめんね」
この子はきっと、これから何度も見せてほしいと言ってくるだろう。けど、ぼくは決して見せないだろうね。たぶんそんな時、彼女のことを思い出しているのだろうな。
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