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お注射こわい 〜The Last Vaccination〜

半年経ちやがったんで、また注射の時間だ。
どうせ3回も打つなら、一回に同時に打ってほしい。わんこワクチン接種(岩手名物)。


「こんなに早くワクチンができる訳がない、これは陰謀だ」みたいな言説もとい戯言をTwitterで目にしたが、私に言わせてみれば、未だにワクチンの投与方法が「皮膚に針を刺して注入する」のパターンしかない人類がそんな陰謀を張り巡らせることができる訳がないだろうというのが持論だ。

幸か不幸か、ワクチン投与前の自分は頭があまり回っていない。そのせいもあり、接種会場に行くための交通機関に乗っている時点で気が滅入っていた前回・前々回ほどの恐怖はない。
裏返せば、頭さえ回っていれば、何回針を刺されようが恐怖心を克服できないという証左でもあるのだが。頼むから次のパンデミックのときには注射以外の手段を発明してくれ。

半ば呆けた頭で終点のターミナル駅で降りると、メガホン越しの騒がしい声が聞こえてきた。大抵、どちらかに偏った政治的主張であることが多いのだが、今日のはどうやら違う。


「厚生労働省 ワクチン ~名死亡…」


マスクを外して演説をしている姿からすると、なるほど、反ワクチンか! 
珍しいモノを見つけた気分になる。それにワクチンを打つ20分前にこんな人を見かけるとはなかなかない巡り合わせなのではないか?

接種予約時間にはまだ若干の余裕があったので、拝聴していこうかと思ったが、なにせ聴衆が1人もいない。同じ駅で演説している右な人とか左な人ですらも人を集めてたのに。

さすがに周りの通行人が目線を逸らし、腫れ物に触らぬようにそこだけ足速になる中、1人聴く勇気はない。帰りに二の腕を見せびらかせたらネタになるかとも思ったが、いくら主張に賛同できぬとはいえ流石に無礼なのでやらない。

いやしかし、この状況でマスクの代わりにメガホンをとって大きな独り言を吐き続けられるメンタルの持ち主には、ワクチンとか現代医学とかは不要なのだろう。そう考えればあの行動も一理ある。

予期せぬ出来事を回想しつつ、近くのベンチで時間を潰し、接種会場へと入った。今回は1・2回目の会場からなんとなく変更して、市民館的な場所で打つ。

入り口近くの案内員に導かれて、1Fの受付待機列の最後尾へといざなわれる。
なにとはなしに最後尾と書いてみたが、背の順で言えば脇腹に手のひらを当てるポジションも兼任していたので、待機した時間は60秒にも満たない。


案の定、予診票などを取り出す間もなく、呼び出される。

慣れた手つきのスタッフに予診表がフリクションボールペンでないことを確認される裏で、もう一人のスタッフに身分証明書と接種券を確かめられる。手慣れてはいるが、気だるげなスタッフたちの表情からは「なんで知らん奴らの住所年齢氏名をこんな密度で見続けなければならんのか」という深層心理がうかがえる。
彼らに情報リテラシーが皆無だったらどれくらいの情報が流出するのだろうか。

「接種会場は2階です」
右手にある階段を、お茶碗を持つ方の手を使ってジェスチャーで案内された。
前回までの接種会場と違い、晴れていれば太陽がここぞとばかりに嫌がらせをしてきただろうと思わんばかりの吹き抜けである。

役所でしか見ないポスターを物珍しさから眺めつつも、刹那、階段の1段目を踏みしめた時、電流が流れるように嫌な感覚が走った。

「注射、怖いわ」

今日の私は、予診票を書くのも、そして見直すのすらままならないほどに気怠かったはずだ。ついでに、今日は春時雨であったから低気圧も助けてくれていることは予想するまでもないのに。

今の俺の感情の高低差は、ナイアガラの滝を登る鯉をも越えている

1段1段踏みしめる度に、気怠い感覚は薄れゆき、そこに確かな思考力が置き換わっていくのを感じた。

今まで見えていなかったものが見えてくる。まだ注射器を打ってもいないのに。職員であろう背広の男たちの談笑が、1階通路にあった役所の窓口とその机の配置が!
……物理的な視座が高く、そして広くなったことを除いても明確に「世界が広く」なっているとしか考えることはできない。それも最悪のタイミングで。

しかし、引き返すわけにも時間稼ぎに走るわけにもいかない。
派手な色のビブスを着た案内員に導かれて、接種室へと、鉛のような足を軽やかに見せかけて歩を進めた。

10畳程度の会議室であろうか、私の意思などもはや介在せずに待機用の椅子へと着席する。受付室同様に、最前列かつ最後尾のポジション。親から奪い取った肉体に金属針が通るのは時間の問題か。

繰り返しになるが、やはり案の定、キーボードのAを打つ側の袖を捲くる間もなくして、薄い衝立だけで仕切られた別世界へと案内される。医者と注射する人で合計3人が待ち構えていた。

医者に予診票を渡して、形式上のチェックを済ませる。一体この時点で「やっぱり辞めます」「医学的に打てない」といった結論を言い渡された人がどれくらいいるのだろう。いないとしたら、このプロセスに意味はない。

「それでは打ちましょう」

右側に待機していた、注射要員たちのもとへと赴く。こんな嫌な2歩がこの世に存在するとは、前2回も同じようなことを思った気がする。

そして、前2回と同じくして、「大丈夫ですか~」とかナントカ言われた気がしたので、「針ですからね~」と返答したら「すぐ終わりますよ~」とかそんなやり取りがあった気がする。
ショックのせいか、1日も経っていないのにもうやり取りを忘れているが、とにかくワクチンを打つ度に励まされている気がする。私は注射嫌いエリート。

7ヶ月で3回も経験しているというのに、右腕に力を入れて、両瞼をぎゅっと閉めて恐怖を打ち消そうとする。
思えば、1回目の接種では猫背になり、2回目は汗だくになり……そのことを考えれば、3回目の今回は一番マシな態勢で注射器を受け入れていたと思う。間違いなく低~い程度で成長している。

腕に脱脂綿を擦り付けられ、いざ針が通る!

……やはりそんな痛くない!!

いや、痛みでいえば接種直後から今に至るまで、今まで以上の鈍痛がおさまらないので針自体の痛みで言えば今回が一番なのだが、恐怖するほどの痛みはやはりない。

3回打って確信したが、どうやら「注射する」ではなく「これから注射器を通すぞ!」という事象を怖く感じているのだろう。これは、学びであると同時にたぶん克服できない。


15分の待機時間を終えて帰路へとついた。
残念ながら、反ワクチンを1人屹立して声高に叫んでいた人はもういない。飽きたのか、そもそも許可を取っていなかったのかは知る由もない。Twitterで調べてもヒットしない。

最後に、もう一つ学んだことは「3回ともワクチン接種を行う人が女性であった」ということだ。

大規模接種会場に限定されているかもしれないが、ひょっとしたら「どうせ注射が嫌いな人は一定数いるから、優しい女性を充てがって少しでも安心させよう」という算段が働いているのかもしれない。一部の人には怒られそうではあるが、注射ザコの視点からすれば、確かに動物本能的な意味では合理的な判断に思える。



最後の晩餐、もとい接種じゃなかった。



フタコブラクダのコブを同意の上で上下左右計13個にした後に、黄色いおべべを無理やり着せる活動がメインです。最近の悩みは鳥取県の県境を超えられないこと。