木箱記者の韓国事件簿 第22回 新人タレントに日本語を教える

 芸能人に日本語を教えていたことがある。転職先でビザが出ず日本への帰国を余儀なくされたがワーキングホリデーのビザで韓国に舞い戻ってきた2001年のこと。ワーホリビザでは日本語講師の仕事はできないのだが、日本語学校で教えていたわけではなく個人的に教えていたものなので大目に見てもらおう。ワーホリで韓国に戻ってきたのはいいが、定収入がなく生活を維持するためには紹介された仕事はできるだけ引き受けなければならなかったのだ。この仕事は友人の紹介で、芸能事務所で日本語を教える人を探しているという話だった。ビザでトラブった会社は芸能事務所だったのでそちらの業界関連の仕事はあまりしたくなかったのだが生活のためには仕方がなかった。ちなみに日本にいたころに日本語教師養成講座を受けた経験があるので、本職には叶わないが素人よりも日本語教授法はわかっているつもりだ。

 事務所の担当者との打ち合わせに出向くと、教える相手は20歳ほどの新人タレントで、将来の日本進出を見据えて日本語を学ばせたいとのことだった。日本で韓流ブームが起きる数年前のことで、翌年にサッカーワールドカップの日韓共催を控えていた時期だ。韓国の芸能界からも日本に進出するケースがちらほら出始めていた。週に1回2時間ほど日本語を教えてほしいとのことで、時給も悪くなかったので引き受けることにした。

 最初の授業で顔を合わせた生徒のタレントは決してイケメンではなく、日本でデビューしたとしても売れるかどうかはあやしいところだったが、それは事務所の判断なのでなにも言うまい。こちらのミッションは彼に日本語を教えることだけだ。授業は事務所の空き部屋を使っていたが、2回目以降はコーヒーショップなど外で行うことになった。事務所だと偉い人がいるので行儀良くしていたタレント君だが、外に出ると監視の目がないからか、付き合っている彼女とやらを同席させたり、授業開始1時間前にドタキャンするなど、あまり学習態度はまじめではなかった。そもそも日本語も本人が学びたいわけではなく、会社が日本進出を見据えて学ばせていたものなのでやる気も見られなかった。こちらは市販の教科書に手製の教材を使って教えていたが、その熱意はあまり伝わっていないようだった。彼は新人タレントの割に羽振りはいいのか高級車を乗り回しており、授業が終わるとさっさと彼女を乗せていずこかへ去って行った。

 彼に日本語を教えたのはわずか4回だった。ある日担当者から電話があり、新規の仕事が入り忙しくなったので日本語の授業は終わりにすると伝えられた。貴重な収入源を失ったのは痛かったが、あまりやる気のない生徒に教えるのもやり甲斐がなく、ちょっとホッとした。その後しばらくしてテレビの人気シチュエーションコメディに彼がレギュラー出演しているのを見かけた。“教え子”が元気に活躍しているのは悪い気はしない。もっと人気が出てくれれば自慢の種になっただろう。ただ大成しなかったのか、その後彼をテレビで見かけることはなくなった。

 今回当時のことを思い出し、その後に彼がどんな活躍をしたのか調べてみたら意外な事実が判明した。2002年3月に「エクスタシー」と呼ばれる薬物の使用容疑で逮捕されていたのだ。当時の報道によると「芸能人にならず平凡な学生だったら薬物に手を出すことも、ここ(警察)にいることもなかっただろう。芸能人になったことが悔やまれる」と供述していた。この事件で彼のタレント生命は絶たれたのだろう。テレビで見かけなくなった理由も推して知るべしだ。立派な韓流スターに日本語を教えていたなら自慢話にもなるが、こんな不祥事を起していたのでは自慢にはならない。でもこうしてネタになるなら悪くはなかったか。いまごろ彼はどこでなにをしているのだろうか。

初出:The Daily Korea News 2016年12月12日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

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