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アイアン・ババア

 片道2車線の道路を、一人のババアがよたよたと歩いていた。五〇メートルも歩けばそこには横断歩道があるし、歩行者用の信号もある。ここを横切るよりも、ずっと安全に車道を渡れるはずなのにも関わらず。
 車に乗った二人の労働者が、その横切るババアを見ていた。
「うわ、こんな道路堂々と横切るなよ」
「危ないですよねアレ」
 彼らはそう呟いた。
「それにしても、なんで横断歩道まで行かないんですかね?」
「あー、俺が聞いた事あるのは、昔は道路の整備が全然されてなくって車も歩行者もどこでも関係なく歩いてたんだと。んで、今もその感覚のまま道を歩いてるらしい」
「なるほど、習慣を残したままボケてしまったと、そういう事でかすね」
 二人の推測通りである。既にババアは、様々な事柄に対して正常な判断が出来なくなっていた。しかしそれでも、一つ間違えている。確かにボケてはいるが道路を横切っても別に危なくはない。車とババアがぶつかったところで、壊れるのは車なのだ。

   ・・・・・

 全ての始まりは今から九〇年前。国が戦争真っ只中の頃、ババアは若かった。彼女は貧乏でも金持ちでもない家庭で健全に育ち、そして真っ直ぐな人間だった。加えてその当時の国の情勢を考えれば珍しくもないが、愛国心が強かった。医療や食糧、武器生産などの後方支援の道もあったが、彼女は国のために現場で戦いたいという想いがあった。だが周囲の声は冷たかった。
「女は弱いから戦場には出ても意味がない」
 いつも町中の少年や若い男にからかわれていた。

 ある日、軍のお偉方が町に来た。そして若者を広場に集め、言葉を放った。
「我々は、優秀な人材を求めている。屈強な肉体を持ち、迅速な判断が可能で、そして国のために我が身を差し出せる、そんな人材だ」
 お偉方達は、自分たちの今の部下に辟易としていた。体が強く、飲み込みの早い者はたくさんいる。しかし何かが足りない。その何かの答えを求めて、国中の若者に直接声を届けていたのだ。お偉方達の話を聴いて、若者達は「我こそは国のために」と手を挙げた。そして彼らを一列に並べ、順に一人一人の名前と年齢、住所、略歴を纏め始めた。その列には彼女の姿があった。そんな彼女を、若者達は列から外そうとした。更にお偉方達も、一人は「優秀な者を集めているなら数多くの中からの方が効率が良いはずだ」と主張していたが、他の者は「弱い女はいらない」として除け者にしてしまった。それでも彼女は食い下がった。
「私は屈強な肉体は無くとも、国のために我が身を差し出せます」
 その反論も虚しく、広場の端へ追いやられた。彼女はこれまで何度も兵として志願してきた。しかし毎回門前払いもいいところで、面接や試験を受けることすらままならなかった。そんな中、こうして軍の上層部の方々が町までやってきて募集するのは珍しかったので、これが軍に入る最初で最後の機会だと思っていた。彼女は広場の端で若い男の列をぼんやりと眺めていた。
 お偉方達はあらかじめ、「全員の情報を纏めた後、挨拶があるので待機しているように」と声をかけていた。なので広場にはたくさんの若者が待ち構えていた。しかし本当の狙いは挨拶などではない。お偉方達は試したかったのだ、若者達は初めに放った言葉に応えてくれる人材なのか。列が半分ほどに減った頃に、お偉方の内誰かが、気付かれないように空へある物体を投げ込んだ。それは広場の中央に落下し、一人が叫んだ。
「手榴弾だ!」
 殆どの若者が騒然とした。何人かの若者は判断が早く、距離を取って即座に体を伏せた。また強い体を持つ若者はお偉方に身を挺して壁となった。そして広場の端にいた彼女はというと、手榴弾に向かって走り、手榴弾を地面と体で覆った。実のところ、こういった手投げの小型爆弾は、爆発そのものの威力より、本体が壊れる事で飛び散る破片の方が攻撃力は高い。だからこそ、逆にある程度の厚みがある何かで本体を覆ってしまえば、破片が飛び散らず大した被害も出ない。ただし、覆った物それ自体はかなりの損傷を受けてしまうだろうが。
 手榴弾は爆発せず、彼女も無事で済んだ。それは、お偉方達が若者達の咄嗟の行動を試すために用意した偽物だったのだ。これを見て一人が言った。
「確かに優秀な人材だ」
 こうして彼女は、兵の一人として迎えられた。

 兵としての訓練が始まり、当然ながら男と同じ内容で受けた。陸を走り、海を泳ぎ、武器を振り回し…。彼女は女性の中でも体力がある方だったのだが、それでもついて行く事は難しかった。国のためにという心意気から、音をあげたりはしなかったが、現実は非常だ。お偉方の殆どが彼女を前線で戦わせようとは思わなくなった。彼女自身にも諦めるという考えが頭に浮かんでいた。
 不安からか少しづつ寝られなくなっていた彼女は、訓練兵の宿舎を抜け出して夜風に当たっていた。そこに、一人の軍医が声をかけた。あの日彼女の行動を間近で見ていた者の一人である。そして訓練で何度も怪我する彼女を、ずっと気にかけていた。
「君の心はとても強く素晴らしい。ただ、それに体が少し追いつかないだけだ」
「いえ、私の心は強くありません。現にこうして折れかけています」
「それは違う、心の強さと心の体力は別物だ。君は体力が切れそうになっているだけにすぎない。心の強さとは心の在り方。私が素晴らしいと言ってるのはその在り方だよ」
「…ありがとうございます。先生に免じて、もう少し頑張ってみます」
 彼女はゆっくりと立ち上がり、宿舎に戻ろうとした。軍医は彼女にもう一度声をかけた。
「もし、今よりも屈強な体を手にする薬や装置があったとしたら、君はそれを使うか?」
「もちろん使います。しかしそれが一つしか無いのであれば、もっと適任がいますでしょうし、その時は身を引くと思います」
 軍医はそれ以上何も問わなかった。

 この日の励ましを機に、再び訓練に立ち向かう日々が来る…かに思えた。訓練兵の皆にとっても、戦場はどこか遠い場所で、攻撃を受けるのもまだまだ先だと考えていた。それはただの願望に過ぎず、実際のところこの国は戦いの最中にいる。数週間後に、訓練設備のある地域が空襲にあった。
 訓練兵や教官達がいる宿舎は、燃えて崩れてしまった。彼女は一人外で訓練を続けていたので外にいた。このまま何もせずにこの場所に居れば確実に生き残る。それでも燃え盛るその中に走っていった。彼女の姿は他の外にいた者を奮い立たせ、皆で消火と救助を始めた。だが、消化と救助にあたる者の中にも建物から救出されていく者の中にも、軍医の姿は無かった。彼女は宿舎の中を懸命に探し、そして倒れた棚の下敷きになっているのを見つけた。怪我をしているが意識はある。
「もう大丈夫です、私が助けます」
「ありがとう」
 彼女は鍛えたその腕で、棚を持ち上げた。軍医はそこを這い出て、彼女に肩を抱えてもらった。しかし今度は建物の支柱が二人を襲った。彼女は軍医を庇い、代わりに下敷きとなった。軍医を見つけた段階で既に肺も皮膚も焼け、更に今度は体は傷を負い、その命の限界は近づいている。それでも、彼女は言った。
「先生だけでも、逃げてください」
 この状況での彼女の在り方を見て、軍医は腹を決めた。彼女のいう通り自分だけでも生き残るのではなく、彼女だけでも助ける事を。柱を退けて、彼女を背負い、建物の地下へ向かった。
「どこへ向かっているのですか」
「君を助けに向かっている」
 辿り着いた地下室には、軍医の研究施設があった。そこには、当時にしては最新鋭で最高峰の設備が揃っていた。彼女も見たことのない装置もたくさんあった。
「これは一体、なんでしょう」
「以前、今よりも屈強な体を手にする薬や装置があったら君は使うかと問うただろう。それだよ」
 彼女は、軍医がすぐに何を言っているのか分からなかった。そんな装置は存在する筈が無い。訓練しなければ屈強な体は手に入らない。そう思っていた。しかし軍医は話し続けた。
「いいか、今から君をこの装置に放り込み、そして薬を注入する。六時間もすれば君の体は生まれ変わる。まだこの国では実績も無いが、このまま死んでしまうよりずっと良い。なに、大丈夫だ。この装置はとびきり頑丈に作られていてね。六時間の火炙りぐらい簡単に耐えてみせるさ」
「やめてください先生、私にこんなものは勿体ない。この装置にもっと相応しい者がいる筈です」
「君でなくちゃいけないんだ。強大な力にはそれを持つ資格が要る。過去の自分はそれが分かっていなかった…。しかし君はそれを持っている。だから君が相応しいんだ。次に目覚めた時、君は鉄のように硬くしなやかな体を持っているだろうよ。その体で、この国を頼む」
 軍医自身も、限界が近づいていた。それでも最後の力を振り絞り、装置を作動した。
「待ってください、先生」
 最後まで軍医を助けようとした。だが、装置が作動すると同時に気を失ってしまった。そして軍医の言葉の通り、目覚めると彼女は屈強な体を手にしていた。

 後に、建物の瓦礫と装置の中から無事救出された。そして上層部は彼女の変化を見て、あの軍医の考案していた装置によるものだと分かった。この兵をいつまでも訓練させているのは勿体ないと考え、彼女はいち早く前線に送り込まれた。攻撃の時は彼女が先陣を切り、自軍を奮い立たせた。退却の時はしんがりを務め、さらに倒れた者を背負ってでも連れ帰った。そしてどこに行こうが何をしようがどんな作戦だろうが、彼女は殆ど怪我をせず生き残った。屈強な体とは、単に筋肉が大きく骨も太いというだけの意味ではなかったのだ。あの装置は特殊な能力までも生み出した。筋肉に力を入れるか、あるいは皮膚に急な強い衝撃を与えると、その部分が金属のように硬化する。おかげで弾丸は体を貫かないし、刃物は力を入れた部分で受けると折れてしまった。
 彼女は次々と成果を挙げた。攻め込んだ地域は次々と制圧していく。ただ、それでも全体の戦況は敗北に向かっていた。こればかりは、やはり一人ではどうにもならない。じわじわと人員や技術の差が現れ、彼女のいない戦場では敗北が続いていた。そして今となっては、本土に上陸してきた敵の侵攻速度を遅めるためだけの戦い。戦っては仲間を逃がし、戦っては仲間を逃がし…、その繰り返しである。他の皆が休養を取る中、野営地で一人思い悩んでいた。国同士のこの衝突は我々の敗北で終わるだろう、その中で自分には何ができるか、何を成し遂げられるか。それをずっと考えていた。
 そして翌朝、彼女は皆に告げた。
「我が国が敗北すれば捕らえられた者はどうなるか分からない。せめて彼らを救ってみせよう」
 上層部は殆ど賛同しなかったが、残された兵たちは違った。皆間近で見てきたのだ、彼女の頼もしさと彼女の心意気を。だからこそ、彼女についていった。そして最後の作戦が動き出した。

 彼女は、この作戦における成功とは何かを定義した。まずは我が国の捕虜を解放する事。その上で敵の拠点を制圧できれば最高。対し、最悪なのはこちらが捕らえられる又は仲間を失う事。つまり生きて帰り、生きて連れ帰る。

 敵軍の捕虜収容所近辺。予想よりも警備は薄かった。確かに敵からすれば、負けかけている相手が捕虜の救出に目を向けるとは考えにくい。交戦も最小で済むならばそれが良い。いかに損失を最小に留めるか、それが大事なのだから。
 一番危険な役目は彼女が買って出た。まずは単独で正面から突入。見張りが騒然としているのが見えた。たった一人でここに来たというのが信じ難いのだ。見張りは銃を向けて「何者だ、止まれ」と問うた。彼女はこれに応じず、弾丸は発射された。それが合図となって、他の者も動き出した。敵軍は彼女を攻撃し、この間に自軍の他の者は左右後方から入り込み、できるだけ戦いにならないよう、更に武器を奪いながら捕虜の解放へ走った。彼女の方はというと離れた敵は射撃で、近づいてきた敵は脚と拳で、少しづつ押しのけていた。その最中、敵軍の一人が通信機に告げた。
「例の女です、アイアン・ボディの女がここに来ました」
 彼女の目的は飽くまで陽動。現時点では制圧を視野に入れていない。できるだけ戦力をこちらに集中させて、他の者を自由に動かす事が最優先だ。戦力を集中させるようこちらから攻撃し、だからといって逆に退避行動にも移されないためにも、時折押されているかの様にも演じた。程なくして彼女の無線に連絡が入る。
「全員の解放が完了しました」
 こうして皆は、この戦争に一矢報いたのだ。まだまだこの施設で戦ってもよかったのだが、これ以上の交戦は逆に損失を被るとして退避を選択した。当然彼女は、他の者を先に走らせ、しんがりを務めた。そこに、追ってくる男が一人。
「君が例の、アイアン・ボディの女だね」
「そんな名前は知りません。こちらは用を終えたから、戦う理由もありません」
「そっちが無くても、俺にはある。せっかく捕らえた捕虜だ、みすみす逃がすつもりもない」
 彼女は躊躇いもなく銃を取り出し、その男の足を撃った。しかし弾丸は弾かれてしまった。弾丸を弾くという鋼鉄の皮膚、彼女のよく知るものだ。
「まさか、貴方も」
「それはこっちのセリフだ。まさか同じ改造手術を受けているものがいるとはね。俺は、もう少し前の戦争の時にこの力を手にしたんだ、その頃は俺の国も君の国も、仲が良かったからなぁ。同じ技術が使われていても不思議ではないだろうよ」
 その男は一方的に喋ると、彼女と同じように銃を取り出して彼女を撃った。同じように、弾丸は弾かれた。
「やはり素晴らしい力だ。こんな素晴らしい力は、何人も持っているべきではない。俺が世界を支配する時に邪魔だからな」
 その男は攻撃を仕掛け、彼女もこれに応じた。二人の戦いは肉弾戦となった。その当時に発明されている武器よりも屈強なのだから、当然だ。肉体と肉体がぶつかり合うのに、金属音に似た音が鳴った。
 正直なところ、彼女は別にこの戦闘に応じる必要は無かった。ただ皆を逃がせればそれで良いし、そもそもの第一目標はこちらの損失が無い事。彼女自身が怪我をするのもまた同じように、損失だ。しかしそれは出来なかった。理由は二つ。一つは同じ改造手術を受けているならば、身体能力も同じ。となると当然、走力もほぼ同じ。逃げるのは難しかった。もう一つは、ここでこいつと戦うべきだと、彼女の心の何かがそう告げたからだ。
 彼女は劣勢だった。だがこれも当然だった。同じ肉体改造を受けているなら大本の肉体が強い方が、より強くなる。打撃はその男の方が少しだけ強く、反応速度はその男の方が少しだけ速く、能力によるの体の硬さもその男の方が優れていた。その差はジワジワと現れ、ついに彼女は倒れた。彼女にとって長らく感じていなかった敗北が、もう目の前まで来ている。その男は無防備に近づいてきて、彼女を見下ろしていた。
「ふむ、この程度か。やはり強い力は強い者が持つべきだ」
 彼女はそれでも、何か勝ちの目を探していた。何かないだろうか。自分と同じ能力を持つ者を倒す方法、ひいては自分を倒す方法。彼女は思い出した。作戦から帰ってきた際に、決して無傷ではなかった事を。この能力は、絶対防御ではない。そもそも硬化は筋肉が多い箇所で作用している。逆に言えば力が入れにくい箇所や筋肉が薄い箇所は硬化能力が弱いかもしれない。彼女は賭けに出た。その男はどうやってとどめを刺すかブツブツと悩んでいる。そこに、左足首の外側を右足で思いっきり蹴り払った。今度は、金属音がしなかった。その男は悶絶して倒れ込んだ。この能力は完璧ではなかったのだ。彼女の推測通り、それぞれの関節可動域の外は硬化がしにくく、無防備になる。他にも、急な衝撃に対して硬化能力を発動するため、ゆっくりと刃物を差し込んだりすると簡単に傷がついたりもする。幾つか防御性能の抜け穴はあった。その男はこれに気がついていなかった。
 あの空襲の日、軍医は言っていた。「強大な力を持つには資格がいる、それを分かっていなかった」と。
「貴方がきっと、分かっていなかった頃の『何か』なのでしょうね」
 彼女は呟いた。そして持っていた刃物を取り出し、ゆっくりと差し込んだ。

 この後程なくして、彼女の国は敗戦を認めた。国に勝利をもたらさなかった彼女は、とくに英雄視もされず、改造されたという記録は消え、彼女自身も自分の能力を使わなくなった。

   ・・・・・

 ババアが車道の半分を渡ったタイミングで、一瞬のよそ見をしていた運転手が近づいてきた。車はババアにぶつかりそうになった。直前でハンドルを捌き、なんとか事故は避けられた。その様子を見ていた青年が歩道から駆け寄ってきた。
「お婆さん大丈夫ですか? 荷物持ちますよ。というか、背中に乗ってください。早く渡っちゃいましょう」
 青年はか弱いババアに接するように話しかけた。
 歩道に入ると、今度は警官が駆け寄ってきた。
「おばあちゃんダメだよあんなとこ歩いちゃ! 危ないでしょ! あぁ、お兄さんありがとうね、ドライバーさんもよく躱しましたね」
 警官は無防備で無警戒なババアに接するように、叱りつけた。

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