テレビもネットもない時間のありがたさ
インターネットやスマホが普及して、今や生活になくてはならないものになっていますね。私が子どもの頃は、インターネットもスマホ(携帯電話)もなく、コンピュータもめったに見かけませんでした。
自分たちの親の世代からすれば、テレビが普及したのが、現在のスマホのような感覚だったかもしれません。子どもの頃は、テレビの見過ぎがよくないと言われていました。
テレビもネットもないとどうなるか、思い出を振り返ってみます。
1ヶ月間の工場実習
私は、社会人になって間もなく、新人研修として、山形県の工場で実習をしました。会社の小さな寮(借り上げアパート)に住んだのですが、1ヶ月間のみなので、必要最低限の荷物のみを持参しました。
工場実習中は定時退社で残業はありませんでした。寮に帰っても、テレビも新聞もないので、時間があっても、あまりやることがありません。携帯電話が普及し始めた頃でしたが、私は持っていませんでした。田舎なので、外出するにしても、それほど娯楽はありません。車も自転車もないので、近所を歩いていると、本屋を見つけました。目についた本を買って読むのが、1ヶ月間の日課になりました。
社会人になる直前は卒業論文に追われるなどして、あまり本を読んでいませんでした。暇な時間があると、BGM代わりにテレビをつけてしまい、見ようと思った番組でなくても、つい見てしまい、だらだら過ごすことも多くありました。
1ヶ月の工場実習中は、人生でも最も本を読んだ期間でした。帰宅して、電話もテレビもない生活で、読書に没頭して、自分としては充実していました。
学生時代の登山合宿
話はさかのぼり、学生時代は、山岳部に所属していました。夏休みは、10日間前後の合宿で、日本アルプスの山々を登っていました。登山のスタイルは、縦走といって、山から山へと稜線にそって歩いていました。一旦、山に入ると、最後の山を登り終えるまで下山しません。下界(←普段暮らしている場所のことを登山者はそう呼びます)から、長期間離れることになります。
学生時代は、まだ携帯電話が普及していませんでした。売り出されていたのかもしれませんが、身の回りで持っている友人は皆無でした。今だと、携帯電話が通じる山も多いですが、普及してしばらくは、携帯電話を持っていても通じませんでした。当時、山に入ると、下界から遮断された別世界に来たという感覚がありました。
気象通報を聴くためにラジオは持参していましたが、テレビもなく、電話がかかってくることもありません。登山パーティーの仲間と話すか、静かな(時には厳しい)自然に身をおくしかありません。
夏山登山の場合は、夕立もあるので、早朝暗いうちに出発して、午後は早めにテント場に着くようにします。早めにテント設営した後、寝ころんで、剱岳と雪渓をいつまでも眺めていたのを覚えています。(北アルプスの剱岳は、私が最も好きな山の1つです。)下界では味わえない至福の時間でした。
長期の縦走では、本を1~2冊持っていきました。荷物を重くしたくないので、文庫本が多いのですが、ある時は物理学の教科書を持っていきました。せっかく自然の中に来たのに何をやっているのかと思われそうですが、山も物理も好きなので、雑念がない中で、物理に没頭できるのもいい時間でした。おかげで、休み明けの試験は、高得点で単位取得できました。(参考までに、かつて山に持って行った本です。)
振り返ってみると、テレビもスマホもない時間は、心地のいい時間でした。工場実習中や登山中は、偶然か必然か体調もよかったです。個人的には、読書好きだったことに気づきました。
今は時間があると、ついテレビやスマホを見てしまいがちです。静けさの中に、身をおくといいことが、たくさんあります。強い意志は必要ですが、お金もかからないので、心身の健康と人生の充実のため、テレビやスマホのない時間も確保したいと思っています。
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