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夏はローマ風にやろう


毎年、夏になると思い出すのが、この本だ。

加藤和彦 - 優雅の条件

加藤和彦『優雅の条件』1991, 京阪神エルマガジン社


生前の加藤和彦さんと言えば、音楽に限らず様々な事にスタイリッシュな一家言ある人として有名だった。本書は、そんな彼の視点で食事、着こなし、旅…など、ライフスタイル全般について描かれたエッセイ集だ。

この中に「夏はファッチャーモ・ロマネーラ(ローマ風にやろう)」という章があるので、引用したい。

ロマーノ(ローマ人)は暑くてもお洒落をしている。どういうわけかロマーノ達は夏になるとスーツを着ている。

 p.48

ローマは暑い。日本の夏よりも暑い。しかしスーツにタイでゆっくりと歩いている。汗などかいてもやはり麻のハンカチーフをばしっと広げて汗をぬぐう。暑くても汗などかきません、てな顔をしているのはイギリス人でラテン系はばんばん汗をかいている。そしてゆっくり歩いているというのがコツで何事もせいてするともっと暑くなる。だからレイジーになる。夏とはレイジーなものなのだ。だからなんとなく優雅に思えてくる。Tシャツにショーツだと颯爽としてしまってあまり優雅ではない。

p.49

日本では戦前は(ぼくは知らないが)夏になると家々の前に床机などを出してワイワイとくつろいでいたというし、祖父などはパナマをかぶって日傘などをさして優雅に歩いていたものだ。暑いからエア・コンを入れる。Tシャツになってしまう。食欲がないから冷やヤッコだとなる前に、夏は暑いものと思ってしまえばよい。そしてそれを楽しむ方法をそれぞれ考えればよい。

pp.50-51

「やせ我慢」こそが優雅の条件、というわけだ。

常に余裕を持ってふるまうこと。そのためには自分の生理や欲望を自覚してコントロールすること。「優雅」とは何よりも、自分を客観視し、自分を律することではないだろうか。

とはいえ、この文章が雑誌連載のために執筆されていたのは1986年から89年というから、日本全体がバブル景気に向かって右肩上がりだった時期だ。本書にも、そんな時代の「スノッブさ」があちこちに溢れている。

今時、だれだってアルマーニのジャケット着てマキシムにも食事くらいはいけますが、行っただけでそれを楽しめなければ意味がないと思いません。

p.10

とか、

しっかり働いてしっかり遊ぶ、そしてしっかり食べることがヤッピー達の条件でもある。

p.94

とか、

いかにも「バブル」を感じさせる描写がじつに多い。今の時代にこんなこと言ったら「アルマーニなんか買えません」「遊ぶどころか、食べていくのが精一杯」「優雅というより贅沢じゃないの?」と反発する方も多いのではないだろうか。

でも加藤さんが言っているのは「誰でも心の持ち方次第で、優雅に生きられる」という話だと思うのだ。

「カネがないんだから、なりふりかまわなくても仕方ないだろ」
「疲れたんだから、地ベタに座ったっていいだろ」
「あいつは間違ってるんだから、いくらでも叩いていいだろ」

と、なしくずしに「なんでもアリ」になってしまった今の世の中。

「自分の中に何か規範やプライドを持って生きること」を提案しているこの本、今の時代こそ大事なのではないかと思い、時々読み返している。

もちろん、ほとんどの場合「ああ、今日も自分は優雅にはふるまえなかったなあ…」とタメ息をつきながらではあるが。

優雅への道は遠い。

(2014. 7. 12) 

[追記] 「夏は暑いものと思ってしまえばよい…」なんて優雅にかまえてたら熱中症でたちまち倒れてしまうほどの酷暑、いや爆暑の時代がやってくるとは、1980年代の加藤さんには想像もつかなかったであろう……

https://www.wonosatoru.com

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