我を知る

今年になってから身体の変化と精神的な変化が激しく表面化して、またそれを受け入れる自分に動揺が広がっています。私は瞑想を教えているので、身体のことや精神のことはよく知っているし、また今までにもいろいろな変化を乗り越えてきました。

ただ今回は違う。また一味違ったもので、私個人的な規模でなく世の中全てが大きな変化の中にあっての個人という規模で、それが私にとって思い知らされている感じです。はっきり言って調整不能状態。

元々こう言ったものは自分でなんとかできるものでなく、今までは流れの中にいて、その流れの中にいながらに調整が自然とできていたと思う。でも今回は、その自然にの調整が物凄いのかな? 凄すぎて私は疲れました。

昨日ヒョイとしたことで痛めた腰をカイロの先生に見てもらうべく大急ぎで電話をし、今朝たまたま空いてた先生に初めて見てもらうことになりました。そうしたら治療中に涙が出そうになって、泣かせてもらいました。もちろん今までもそう言った事はあったし、別に目新しいことではないのです。身体の調整をしている人はよく知っていると思うけど、それをすると感情の詰まりが取れて出てくるのでよくあります。そうなのですが、今回は初めて会った人で、そこで心を許して泣いてしまえる自分にびっくりしました。これは大きな進歩なのですが、泣きながらも、あーそうだったのか、辛かったのだなぁと我を知るばかり。

この腰の痛み、早くよくなーれ、と思いつつも、これから先のことに対して私の受け入れ態勢ができてないことや、身体に無理はできないこと、もういい加減な年なんだということ、自分を知って受け入れることを思い知らされているところです。


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