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Restart-拝啓、父上様-

先月、引越しをした。
居を移すのは4年半ぶりだ。

帰る道がいつもと違う。
開けるドアがいつもと違う。
まあたらしい毎日。

もしかしたら、転職以上に、心の切り替えになっているかもしれない。

引越しには、行動力と決断力がいる。
計画を立てて自律的に実行するパワーがいる。
それから、多少の蓄えがいる。

必然的な事情があるわけでもないのに引越しをしようと思い立ち、実際にやり遂げるまでには、幾度もの横槍、荒波、群雲を越えていかなければならない。
別にいいかと思えばそれで終わりだし、延ばし延ばしにすればキリがなく、適当にこなすにはやるべきことが多すぎる。

それをやり遂げた私は偉い。

と、自分を褒めてやる。



訪れた不動産屋は6軒、見て回った物件は20軒以上。
賃貸契約に必要な書類、解約に必要な書類。
電気、ガス、水道、電話、ADSL、スカパーの住所変更やら解約やら。
引越し業者を選んで、見積もりしてもらって、荷造り。
新居に必要なものの購入、不要なものの処分。
それから、住民票の異動、運転免許の住所変更、などなどなど。

引越し当日に有給をとった以外は会社も休まず、誰が手伝ってくれるわけでもなく、ただ一人でやったのだから、それは結構達成感があった。
私も大人になったものだ。

ソファに腰を下ろし、満足な気持ちで改めて眺める新居。
北向きだけれど、陽当たりは悪くない。
間取りがちょっと変わっているので占有面積の割りに居住スペースは狭いけど、一人暮らしには十分。
収納も多いので、広く使える。

そして、何より立地が素晴らしい。
神楽坂通りまで徒歩2分。

当初、東急沿線からスタートした部屋探し。
目黒区や世田谷区は環境がよく暮らしやすそうだが、ベビーカーを押す主婦や路地を駆けていく子どもたちの姿を見ると、所帯を持って初めて価値があるような気もして、なんとなく自分の居場所のような気がしない。
かといって、港区や渋谷区は家賃と部屋のバランスが合っていない気がするし、車を持たない庶民には不便が多い立地も多い。
そこで、学生時代にも縁があった文京区に目が向いて、物件を探し始めたのだが、流れ着いたのが、文京区、千代田区、新宿区が隣り合う神楽坂から飯田橋周辺。
交通の便がよく、通勤に都合がいい。

部屋を決めるまで、この辺りには3回足を運んだ。
ちょうど夏の盛りで、少し歩くだけで、汗がにじんで肌が焦げる。
週末の神楽坂は人が多い。
昼前から陽が落ちるまで、坂を上り、下り、細道をあてもなく進み、迷子になって引き返す。
曲がり角の先には、いつも少しずつ違う表情が待つ。

今年の初めにやっていた「拝啓、父上様」という連続ドラマは、この神楽坂を舞台にしていた。
脚本は倉本總、嵐の二宮和也が歴史のある料亭で働く若い板前に扮している。
毎週とまではいかないけれど、都合がつけば観ていたドラマだ。
都心にあって昔懐かしい温かさと、かつての花街らしい粋が溢れる街。
思えば、その頃から、どこか気になっている場所だった。

今回の引越し以前、神楽坂に足を運んだことはほとんどなくて、そのどれもが友人によいお店があるからと誘われて、連れて行かれるまま赴いたばかりだった。
メインとなる神楽坂通りは、初めてだと少しひるむくらい勾配がきつい。
それを上って、ちょっと脇道に曲がり、毎度狭くて複雑な路地を入る。
その後は、右に左にあっちにこっちに、自分が今どこにいるのかよく分からないまま、迷路の先、なんとも風情のある和食屋だとか、個性的なフレンチに導かれた。

神楽坂の夜は、粋な大人の匂いがして、少し特別な気分になれる。
高級な店ばかりではなくて、素朴で手ごろな隠れ家が多く、どこへ行っても、他の繁華街とは全く違う趣があるのだ。

結果として住むことになった「新宿区」という住所は、響きからして想定外だったが、その名からは想像できない街の空気だ。

石畳に猫。
裏路地にランプの灯るカフェ。

生活の匂い。
そこで自分が生活するのだという匂い。その予感。

3日通って歩いているうちに、その予感が確信になって、もう絶対にここに住もうと決めた。

神楽坂暮らしの会社のお姉さまに言わせると、「楽しすぎて嫁に行けなくなる街」というけれど、なるほどよく分かる。
でもいいんです。独身時代の思い出にするから。
東急沿線は、結婚してからで十分。

きっと、素晴らしい独身の思い出になる。
この引越しに間違いなどひとかけらもなかったことは、こんなに心躍る毎日が証明している。

瓦屋根の背景に、秋の空がよく似合う。


拝啓、父上様(2007年・日)
脚本:倉本總
出演:二宮和也、高島礼子、梅宮辰夫 他


■2007/10/8投稿の記事
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