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めざめの時間-太陽-

朝は必ず「めざましテレビ」を観る。
正確に言えば、観ているというより、それをつけた状態で体を目覚めさせ、朝の仕度をする。
社会人になってから、ほとんど欠かすことのない習慣。

大学生の頃は朝の7時や8時に起きているはずがなくて、午前中の授業にはほとんど遅刻した。
自分でもわかっているので、必修の外国語ででもない限り、1限目には決して授業を入れないことにしていた。

それが就職した途端、嫌でも目が覚めるようになる。
覚めざるをえないので覚めるだけなのだが、今振り返ると、学生生活の怠惰さが恐ろしい。
高校生までは6時に起床し朝食をとり、7時過ぎには家を出る生活をしていたわけで、この世で平日午前たっぷり寝ていて許される身分は、無職か大学生以外の他にない。

社会人になる日が近づいたとき、「毎日決まった時間に起きて会社に行くなんてクレイジー」などと世捨て人的な発想をもったりもしたが、いや、おまえがクレイジーなんだっていう話。
世の中には、ルールがあるのだ、若者よ。

大学生の頃、「めざましテレビ」なんていう番組があることはもちろん知らなかった。
調べてみると、放送開始は1994年4月1日で、私が最初の大学に入学したのと全く同時だ。
なるほど、だから私はこの番組を1999年4月1日まで一度も観たことがなかったわけだ。

新人研修がきっちり8時半から始まる社会人最初の1ヶ月。
4畳半の寮の部屋で目覚め、まずテレビをつける。
私は中途半端にシリアスなワイドショー系朝番組が大嫌いなので、一刻たりともそれを目にしたくなくて、急いでチャンネルをフジテレビ(愛知県では東海テレビ)に合わせる。
「めざましテレビ」だけが心の救いなのだ。

他の番組と「めざましテレビ」の何が違うかというと、たぶん、出演者やスタジオセットやBGMの能天気さ、明るさ、脱力感。
朝から偽善的なテンションやシリアスな顔は見たくない。
「めざましテレビ」は、どんな重苦しいニュースも、ヘッドラインをちょっと紹介するだけでそれについてくだらない討論を始めたりしない。
まして誰が結婚した離婚したなんていう話に10分以上さくような愚かなこともしない。
だいたい、大した専門家でもない人間が偉そうに物事に説教しているのは、非常に不快だ。
あんたそんなに偉いのか?とイライラする。

そんなことより、「きょうのわんこ」とか「トロと旅する」とか「はらぺこウマイレージ」とか「ワールドキャラバン」とか、脱力系、ちょい癒し系のコーナーの方が、どんなに朝の気分をやわらかくしてくれるか。
あの、どうでもいい感が最高。

5年くらい前、とある雑誌の取材で、「必ず読む雑誌は?」と訊かれて「雑誌は読みますけど、うーん、特に決まったものはありません」と答え、「では必ず観るテレビ番組はありますか?」という問いには「めざましテレビです。きょうのわんこが流れたら、ぼちぼち着替えなきゃって思うんです」と答えた。
今はなき「日経ネットブレーン」という雑誌の若手ビジネスマンのネット活用術みたいな記事だったのだが、発売された誌面に「めざましテレビを朝のペースメーカーにしているというかわいい意見もあった」と書かれていた。
どうやら他の人たちは、「ワールドビジネスサテライト」みたいな知的な答えをしたらしい。
私は「ワールドビジネスサテライト」なんて、年に1度も観ない。

孤独な一人暮らしの人間が、毎朝きっちり目覚めてきっちり会社に行くためには、テレビの朝番組が欠かせない。
さもなければ、いつまでも布団から出られない。
「めざましテレビ」は、私の癒しでありYahooニュースに匹敵する情報源。

先日の放送で、とある映画が紹介されていた。
それは、「太陽」という映画。

ロシア人監督によるロシア映画なのだが、テーマは戦争終結当時の昭和天皇。
これはまさに日本人には決して作れない作品だ。
タブーとされるテーマの作品を作った人、配給した会社もすごいのだが、これを朝番組でシリアスさをうまく逃れて紹介する「めざましテレビ」が私は好きだ。

他の局の朝番組では、この映画の紹介はまずされないだろう。
仮にされても、靖国問題と自民党総裁選をごっちゃにしたようなニュースの中で、仰々しく「最近の人々の関心の高さを表している」というトーンで紹介するに決まっている。
そうして、みのもんたが眉間にしわを寄せて、説教じみた発言をするのだ。

「太陽」の評判は口コミで広がり、公開している映画館は限られているものの、現在大変な人気なのだと言う。
めざましテレビは、東銀座のシネパトスにできた行列(あそこは館内に待つ場所がないからどんな映画でも行列ができるんだけど)を取材し、観終った人たちに感想を求めている。

そこで、一番多かった意見はこれ。
「イッセー尾形がうまい。本当に昭和天皇に見える」

私は放送3日後、さっそくこの映画を観にいったのだが、確かに最大の感想はそれだった。
本当に昭和天皇に見える。
引きの映像などは、まさしく本人のようだ。
イッセー尾形は日本を描いたややマイナーな外国映画にはちょくちょく登場する役者なのだが、本当に器用な人だと思う。

行列に並んだ映画好きな人々の関心は、日本人では決して描けないテーマが外国人監督によってどう描かれているのか、イッセー尾形の昭和天皇というのはどんなもんなのだろうか、ということにほぼ尽きる。
靖国問題に関心があるから「太陽」がヒットするわけじゃない。
私が「太陽」を観たいと思ったのも、そんな理由じゃないからだ。

現人神と扱われた昭和天皇の孤独や、それを取り巻く政治家や侍従たちの異様な空気。
はしばしの滑稽さ。軽妙さ。
戦争を終わらせるという大事以上に、自分は神ではなく人間だと宣言したことを「やり遂げたよ」と告白する紳士。

その映画館の床の下は地下鉄が通っている。
電車が行き交うゴーという音が遠くの方で響き、椅子がかすかに振動していた。
映画の大半は地下シェルター内部が舞台だったので、その振動が映画の中のものなのか現実のものなのか境目が曖昧に感じた。

岩窟に隠れた天照大神。
2時間弱の映画が終わって外に出ると、もう既に太陽は落ちていた。


太陽(2005年・露)
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:イッセー尾形、ロバート・ドーソン、桃井かおり他

■2006/9/4投稿の記事
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