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極彩色の時代ー緋音町怪絵巻ー

たばこ屋の脇から生えた歩道橋の上、北の方角へ伸びるアスファルトの国道を眺める。
振り返って南を向き、その国道の逆方向の直線をにらむ。
ぐっとイメージを集中する。

まず地響きがする。
窓ガラスがビリビリビリと小刻みに震え、やがて遠方からドシン、ドシンと重たく地面を踏みしめる音がする。
一定のリズムでその音は近づき、喉もとのあたりに圧迫感に近い振動が届く。

あの、ビルの谷間から、巨大な怪獣。
つんざくような鳴き声。
私のイマジネーションが恐怖と興奮に連結し、いてもたってもいられずに走り出す。

ダッシュ。
まさに、ダッシュ。
二段飛ばしで階段を駆け下りて、つんのめるように全力疾走。

その疾走は、怪獣が踏みしめる足元をすり抜けてゆく。
逃げ惑う人々、崩れ行く建物を次々によけて、勇敢に走る。

走って走って、家に帰る。
そうして、その後、平和な我が家で夕方のアニメ番組を見て、夕飯を食べて宿題をして寝る。

子どもの頃は、どうしてああも身体が軽く、どんなことでもできたのだろう。
少なくとも感覚の上では、「マッハ」に近い猛スピードで走ることができた。

空も飛べたし、橋のない川も越えられた。
見えないものを見ることもできたし、聴こえない歌を聴くこともできた。

一人で遊ぶときはいつも、私は「別の世界」にいた。
「別の世界」とはまるきり私が作り上げた世界で、そこには怪獣やウルトラマンが現れることもあったし、他の誰にも見えない秘密の友達が現れることもあった。
その友達というのは、私の気分や都合にあわせて、超精巧なロボットだったり、小さな小さな妖精だったり、しぶガキ隊のモックンだったりした。

眠りにつく前、ベッドに横たわり天井を眺めるときには、そこに大画面モニターがあることにして宇宙人と交信した。
ミンキーモモやクリーミーマミのように、魅力的な大人の女性に変身することもできた。
動物と話もできたし、過去や未来を自由に往来できた。

これは、本当の話だ。
私の中では、本当の話だ。

そういう時間を泳ぐのが、私の最高の遊びだった。
今だってその気になれば、私の家が今にも怪獣に踏み潰されるイメージを、ものすごくリアルに、五感フル稼働に再現する自信がある。
私は、そういう現実とフィクションの狭間を自在に渡り歩くことができる。

たぶん、どんな人でも気合次第で同じことができると思うのだが、「そんなことばからしい」と多くの人は言う。
そうして、誰かがそう言う度に、ティンカーベルが死ぬ。

ばからしいかもしれないが、子どものとき、そういう想像をしなかったかなあ?みんな。
どうして、大人になったらそれをしちゃいけないんだろう?
どうして、大人になってそういうことをすると、頭がおかしいみたいに笑われちゃうんだろう?
現実にある多くの遊びも楽しいが、こういう遊びも十分楽しいと、私は心から思うのだけれど。

映画を観なくても、マンガを読まなくても、楽しいことは街じゅう、家じゅうどこにでもある。

「緋音町怪絵巻」。
先日渋谷のCINEMA ANGELICAまで観にいってきた。

近代以降における年号というのは、ただ天皇が死亡によって交替したという、多くの人にとって実際的な意味のまったくない人工的な節目だが、それでも振り返ればその節目が、文化的、時代的転換点のような気がしてくるのは、奇妙なものだ。

「昭和」というのと「平成」というのは、時を隔てた響きがある。
それを叩いたときの音というか、覆い布をめくったときの色というか、そのようなものが違っている。
昭和50年代には、イグアナみたいな怪獣が度々出現していたのだと誰かが言えば、それがもっともらしく思えてきてしまうくらい、それは既にノスタルジックな過去になろうとしている。

「緋音町怪絵巻」に見たのは、そんな「あるわけがないが実はあったような話」かもしれず、少なくとも少女時代に空想に遊んだ私にしてみれば、「確かにあった、目に耳に聴いた話」のようでもある。

海から怪獣が出現したり、矢追純一がUFOを追いかけていたり、まったく奇妙な町が舞台なのだ。
けれども、そんな超常現象おかまいなしに繰り広げられるのは、蝶々みたいな女に向けて繰り返されるおかしな男たちの求愛行動だったり、可憐な少女の淡い初恋。

私の少女時代にも、そんな背景舞台とそんな初恋があった。
確かにそんな、夢みたいな時代だった。

もうその時代は、過去なのだ。
極彩色にふやけて滲み、石鹸水に溶けてしまいそうになっている。

「昔は良かった」ということを言いたいのではない。
そんなことを言うには私はまだ若すぎるはずだし、ただ、少女という回復し得ない人生の一時期と、たまたまそれが直面した「昭和」という鮮やかな時代性が結びついて記憶されている、ただそれだけのこと。
私にとっての「昭和」は少女期初期だったけれど、両親にとってはより濃い青春時代であっただろうし、祖母にとっては人生そのものであっただろう。

私にとって、昭和に怪獣がいたかというと確かにいたし、UFOが現れたかと言われれば確かに現れた。
叶わない初恋があったかと言えば、それも確かにあったし、理不尽な宿命の予感さえ、ないわけでなかった。

そんなことを思い描く映画だった。

緋音町怪絵巻(2006年・日)
監督:倉田ケンジ
出演:夏生ゆうな、平田薫、川岡大次郎、三好昭央 他

■2006/7/6投稿の記事
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