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ツァツラル、ホーミー、サエンバイノウ-らくだの涙-

ウランバートルの駅は、首都にあるまじき閑散とした趣きだった。
数日ごとに訪れる国際列車を迎え入れ、見送るためだけに用意された、吹きさらしの長いプラットホーム。

この国のある官僚が、「ねえねえ知ってた?スイス銀行にお金を預けると増えるんだよ」と言ったという話も案外ジョークにしきれない。
それはのどかというよりは、寂しいほどの、何もない国だった。

ただ人の心だけは無垢であり、どこへ行ってもシャイにはにかむ。
それだけで心ほだされる優しい国、モンゴル。

大学4年の夏、中国から国際列車で乗りつける旅の目的地として、私はその国を選んだ。
それは思い出深くて、様々な想いを呼び起こす情景だ。

ひとりの部屋で「らくだの涙」という映画を観て、ブラウン管がそのままあの大地へと届くような錯覚をおぼえた。

風の感触。
空の色。
土の匂い。
チャイの味と草の歌。

ある意味では、手つかずの、神の国のような気さえする。

「らくだの涙」が真摯に描くのは、モンゴルの砂漠に暮らす遊牧民家族の姿。
ここにおいて真摯という言葉は、きわめて適切な響きがする。
家族の素朴さ、たくましさ、作品を撮る者のまなざし、それから自然の営みそのもの、その全てがシンプルでまっすぐでひたむきなのだ。
そして私たちは、この作品の中で、まるで神がその真摯さに応えたもうた、というような奇跡に出逢うことを許される。

らくだが、涙を流すのだ。
自らが生んだ子らくだの世話をしない母らくだが馬頭琴の音色を聴いて、ぽろぽろと涙をこぼす。
それがどんな感情と紐ついたものなのかは窺い知ることができないにせよ、広々とした空と大地を背景にして、大きく澄んだ鳶色の瞳からこぼれるものに寸分の嘘もない。

まして、虚空を渡る調べが止んだとき、脚にすり寄る子らくだを初めて受け入れる母らくだの様を目にすれば、自然とは言葉の矛盾を物ともしない「超自然」を内在するのだと、おののくように知らざるを得ない。

ただ、奇跡、と私たちが呼ぶものも、その土地の人にとってはまるで当たり前のことのようだ。
母としての本能を忘れたらくだの姿を見て、なんの訝りもなく「馬頭琴奏者を呼んでこよう」と答えを導き、祖父は孫に手紙を託す。
そして、兄と弟は家畜のらくだに乗って役所のある村へ向かい、そこで音楽教師に出会って事情を話せば、いとも簡単に教師はそれに承諾し、帰還して演奏を披露するのだ。
果たして音楽が母らくだに我が子への愛をもたらしても、「仕事が一つ終わった」くらいの満足感で人々は奇跡に驚愕したりなどしない。
ただ、外部の人間である私たちが、それを奇跡として受け止め、畏敬を感じる、それだけのことだ。

きっと、そういうおとぎ話や伝説のような現実のなかで、彼らは生活を営んでいる。

モンゴルで、ジープをチャーターし、寝袋や飯盒やたくさんの缶詰や水や、様々な生存のための必需品を積み込んで、私たちはウランバートルから1週間足らずの砂漠ツアーに出かけた。
2泊のうち1泊は、テントを張って野宿をする、そんな旅だった。

その旅に同行したモンゴル人は、運転手の「おいちゃん」とガイドのツァツラル。
ツァツラルは日本語を学ぶ女子大生で、私たちの2つほど年下だった。
現地人にしては極端に垢抜けていて、身なりや顔立ちは日本人の私たちとほとんど変わらなかったし、その上、かわいくて聡明で人懐っこい、いい子だった。
私たちは彼女を一目で好きになったし、年も近いので随分仲良くなった。

彼女はガイドといっても、まるきり私たちの旅仲間で、他愛ないおしゃべりに興じたり、ロングドライブの最中は歌を歌ったり、一緒にテントで寝泊りをした。
旅の途中で立ち寄る見ず知らずの民家で馬やらくだに乗せてもらうときにも、私たちより真っ先に自分がそれに乗って、一人で遠駆けさせたりしていた。
あっという間に小さくなる、馬に乗った彼女の背中を、私たちは呆れながら何度となく眺めたものだ。

ガイドの本分においては確かにおかしいけれど、それでも私たちはツァツラルが好きだった。
彼女の屈託のなさ、素直さ、かわいさというものは、十分私たちを癒してくれて、旅を何倍も楽しくしてくれた。
彼女がにこにことした顔で「yukoちゃん、好きな人はいるの~?」なんて話しかけてくるのを、7年経った今思い出しても頬がゆるんでしまう。

モンゴルの民族音楽と言えば、馬頭琴に並ぶのがホーミーだ。
それは一人の人間から同時に二種類の音が出てメロディを奏でる独特の歌唱法で、噂には聞いていたけれど、それが本当にどんなものなのかということは、分かっていなかった。

「同時に二種類の音が出る」って、どういうこと?

実は、ウランバートル滞在中に行ってみた音楽会で、間近の壇上でホーミーが披露されるのを聴いたのだけれど、それでもやっぱり分からなかった。
唸るような、あるいは少し濁った鼻声のような音がして、あれが場合によっては二つの音に聴こえるんだろうかと、耳をそばだててみたものの、今ひとつ納得がいかない。
ホーミーって、よく分からない。

それが「ああ!」と驚嘆の声を挙げるほどの衝撃に変わったのは、2週間のモンゴル滞在最後の日のこと。
一緒に旅をしていた友人の一人と、ウランバートル郊外の丘まで散策をして、ちょうどその麓からささやかな首都のあらましを見渡した折だった。

そこで私たちは、自身のことをホーミー歌手だと名乗る青年と出逢った。
彼はひとりきり、私たちの他は誰もいない丘の上のベンチで何をするということもなく座っていて、この国では珍しく英語を話すということを除けば、これといって特別なところはない。

公演のために外国に行くこともあると、彼は言う。
内心嘘かもしれないと警戒心を緩めない私たちに対して、おもむろに彼は歌い始めた。
その特別な意味を、深く印象づけるホーミーを。

それは曇った空に、高く高く上っていくような歌だった。
寂しいほどに広い草原を、風に乗って舞い、撫でるように渡る歌。

唸るような低音が魂を震わせ、口笛のような高音がココロをくすぐる。
他の誰一人、何一つない丘の上、この神秘的な二重奏が目の前のこの青年から発せられていることは疑いようがない。
なのに、耳に届く音の出所は、体のどこからというのが定かでないのだ。
口でもなければ鼻でもない。

感覚的には幻聴かと思うほど、注意深くなるほど遠くから、あるいは耳の奥から響いてくる。
空から降るような感じもし、地から湧き起こるような感じもする。

「ホーミーが何か、やっと分かった」
友人が呟いて、私はうなづいた。
それは全く不思議で神聖なひと時だった。

二週間の滞在のうちに、私はモンゴル人を観察し、彼らの特徴をとらえた。
もう少し限定して言えば、モンゴル人のオヤジの特徴をとらえた。
さきほど少し触れた運転手の「おいちゃん」と、彼の友人らしき中年男性たちを観察した結果だ。

おいちゃんはサイドに白い二本の線が入った体操着のような青いズボンを履いていて、ゴムのウエストの上に巨大な腹をのっけている。
ぎょろっとした瞳と、紅潮した頬と、大きく横長に広がった福々しい口元をして、まるで大仏のようだ。

まさしく、オヤジそのものだ。

おいちゃんは、日本語が分からない。
だから、私たちは言葉のコミュニケーションができない。

限られたモンゴル語の知識で、「サエンバイノウ」というのが「こんにちは」の挨拶だと憶えた。
「サエン」とは「良い」という意味で、「サエンバイノウ」は「調子はどう?」といったところだと思う。

ずっと観察していると、おいちゃんの「サエンバイノウ」には独特の発声があり、「ゥ~」と息を吸うようにしてから勢いづく。
「ゥ~、サエンバイノウ」という感じに。
そして、投げかけられたときにはこう答える。
「ァサエン、ァサエンバイノウ」

文字にすると伝えにくいが、なんというかイメージ的に北島三郎の演歌のようなこぶしが利いている。
リズミカルで、ちょっとうきうきする。

私がその物まねをしてみせると、モンゴル人たちは大笑いした。
ツァツラルに「モンゴル人のおじさんって、こういう話し方するでしょ?」と言うと、「するする~!」とお腹を抱えていた。

「サエンバイノウ」。
他の言葉は何も知らないけど、国じゅうのどこへ行っても、それひとつで済む。

四方八方をぐるりと眺めて、地理の資料集に載せられた「人口密度2人」を目視で確認する。
私たちの他に確かに誰もいない。
何の建物もない。

夜になれば満天の星空。
スターリンや毛沢東に破壊された川岸の遺跡のそばにテントを張り、焚き火だけを頼りにして自然に溶け込む。
暗闇に降り落ちる静寂。

らくだが泣く。
涙が落ちる。

それは奇跡なんかじゃない。
ぜんぶひとつの星の上のできごと。


らくだの涙(2003年・独)
監督:ビャンバスレン・ダバー、ルイジ・ファロルニ
出演:インゲン・テメー、ボトック、オーガンバータルイフバヤル他

■2005/12/4投稿の記事
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