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地球は回る-バベル-

欲深い人間は、天に向って高い高い塔を建てた。
神の住む国まで達する、高い高い塔を建てた。

しかし、それは神の怒りに触れた。
神は、その愚かな驕りを戒めんとし、人間たちの言葉を7つに裂いた。

そのときから、私たちの間には互いに通じ合えない隔たりがそびえた。
もどかしい孤独の淵。
届かない、伝わらない、言葉、心。

「21g」を生み出した監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが、またしても時間軸を壊した複数人物たちの物語を、巧みにして大胆に描き上げた、映画「バベル」。
主要な役どころである菊池凛子がアカデミー助演女優賞にノミネートされたことで、一躍話題をさらった作品が、遂に日本でも封切られた。



北米、モロッコ、日本、同じ地球上の遠く離れた3つの地域。
そこを貫く一発の銃声。
別々の人々の、別々の物語が、些細な偶然のなかで絶妙に絡まり、今日も地球を回転させている。

「おばさんは悪い人なの?」
「悪い人じゃないわ。ただ、愚かなことをしただけよ」

確かに彼女は、悪いことと言えるほどのことはしていない。
法に触れることをしたわけでも、悪意が働いていたわけでもない。
ただ、息子の結婚式に出たかっただけだ。
二人の子どもたちを置いていくこともできたのに、むしろ善意と責任感で彼らを連れ出した。
けれど、その小さな「愚かさ」が人生を大きく狂わせてしまう。

「銃が悪いんだ」
「違うさ。撃ち方が悪いのさ」

些細な意地の張り合いや嫉妬。
世界中のどこにでもいる、普段は仲の良い兄弟が引き起こす過ち。
引き金が引かれて、銃声が静けさを切り裂き、途端に湧き起こる恐怖と後悔。
人を傷つけるつもりなどなかったのに、現に命は危険に晒され、彼らは犯罪者になった。

「努力しろよ」
「私が努力していないとでも思うの?」

困難な状況で逃げてしまった夫と、それを責め続ける妻。
後悔する夫。許せない妻。
噛み合わないコミュニケーション。
握った手。解かれる指。
その次の瞬間、血に染まる左肩。
消えてしまいそうな命。
奪われていきそうな、愛する人。

「あの人たち、化け物を見るような目をしたよ」
「気にしなきゃいいよ」
「こうなったら、本物の化け物を見せてやる」

母を失った聾唖者の少女は、うるさすぎる東京で、音のない世界に生きている。
妻を失った不器用な父親は、解りあいたいと願いながら、唯一の娘と解りあぐねている。
胸の奥からこぼれだす、苦しみや悲しみ。
耳が聴こえないという事実は孤独を増幅するだろうが、本質的にはそういう問題ではない。
もっと決定的な喪失感、もっと平凡な拒絶感。
誰かにともかく受け入れて欲しいという焦りと、それが満たされない狂おしさ。

言葉が足りない。
常套句のようにつぶやくけれど、足りないものは本当に言葉なのか。

いつも、いつも、いつも、いつも、失ってから気づく。
本当の本当に失ってしまいそうだという危機感の下でだけ、人は気づく。
どうしてそこまで行かなければ、分からないのだろう。

裂かれた言葉、裂かれた心は、決して元に戻らないのだろうか。

昨晩、夢を見た。
父と末の弟が死ぬ夢だった。
夢の中では、現実よりも老いた父が病に倒れ、現実よりも幼い弟が事故に遭った。

夢の中で私は、途方に暮れた。

闇雲に生きる。
闇雲に関わる。

それでも思う。
言葉が通じ合わない間柄の中でも、人は互いに癒しあうこともある。

言葉を奪っても、神は、人に温もりを残した。

傷を負って憔悴したアメリカ人女性に、モロッコ人の老婆が煙管に火をつけ無言で手渡すと、怪我人はそれを深く吸い、目を閉じて心を落ち着ける。
ほんのひととき、傷の痛みがゆるやかに鎮まる。

一言も交わさず、ただ視線を合わせ、埋めきらない個の距離を抱きしめて限りなく縮める。
人を抱きしめられるのは、人の腕の力だけなのだから。

ひとかけらの希望を握りしめ、乾いた砂漠で崩れた塔を見上げる愚かな人の、決意の鼓動が聴こえる。
そして、今日も地球は回る。


バベル Babel(2006年・米)
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:ブラッド・ピット 、ケイト・ブランシェット 、ガエル・ガルシア・ベルナル、役所広司、菊池凛子他

■2007/5/1投稿の記事
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