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誰もいない朝ーオープン・ユア・アイズー

早朝の空気というのは不思議だ。
それを朝もやと呼ぶのだろうか、煙たさにも似た独特の眩しさに包まれていて、なぜだか耳が遠くなったような感覚がする。
自分と、自分が今いる場所との間にはなじみきらない薄い膜があって、まるで異次元に放り込まれたみたいなのだ。

胎内で夢を見ているみたい。

早起きをした朝も、夜を明かした朝も、そうして一日の予感がくすぐられる。

ジムへ向かうため、地下鉄の出口を松屋の目の前で出て、銀座の街角を早朝に歩く。
休日や夜の溢れかえる雑踏がきれいなまでに消えている。
信号待ちの車もまばら。
中央通りを銀座三丁目から六丁目あたりまで、いつもより遠くまで見渡せる気がするのは錯覚だろうか。

人のいない都会の朝は、どこかまったく別の場所を思い出させた。
それがどこだったかと、ショーウィンドウに映る自分の歩く姿を眺めながら考える。

コツコツという靴の音。
ビルの長い影が路地を覆う。
一年ぶりに羽織ったベージュのスプリングコート。

そうか。旅に出たときの。

ヨーロッパを旅するときは、好んで夜行列車を使う。
移動時間と宿泊代を節約できるから。
一晩眠れば、たいていのどんな街にもたどり着くことができる。

それから、あのガタンゴトンという枕木の振動。
寝そべったまま眺める窓に、流れ去る電灯の映りこみ。
毛布とベッドの間にできたカンガルーポケットみたいなスペースに、窮屈にもぐりこむクシェットの構造。
私は全部気に入っている。

目が覚めると、言葉も天気も違う街に着いている。
たとえば、雪がちらつくパリから、太陽が眩しいバルセロナとか。

9年前の3月に乗った国際特急タルゴ、ホアン・ミロ号は4人用コンパートメントで、スペイン人のおばさんとアルゼンチン人の女の子と、医大生だという日本人の女の子と一緒だった。
私だけは他の部屋に連れがいたのだけれど、他のみんなはそれぞれ一人旅だった。

スペイン人のおばさんは、私たちに言葉の違いなどお構いなしにしゃべり続ける。
「荷物はここに置くといいわよ」だとか、「ベッドはこうやって引っ張り出すのよ」とか、大ぶりなジェスチャーを交えながら、そんなようなことを言っている。
やがてアルゼンチン人の女の子がスペイン語から英語への通訳を引き受けるはめになり、おばさんのおしゃべりはますます盛んになっていった。
もう一人の日本人の女の子が、持っていた色紙で鶴を折ってプレゼントすると、おばさんは機嫌よく豪快に笑った。

医大生の彼女は「一人旅は気楽だけどやっぱり寂しい」と言って、三人連れだった私をしきりにうらやましがった。
女二人、男一人の三人連れの旅。
ユースホステルを渡り歩くバックパッカーだから、寝るのは男女別のドミトリー、観光も各々がばらばらに好きなように出かけるのだが、ただ夕食だけは落ち合って一緒にしようというのがルールだった。

それくらいゆるい結束の旅には、ほどよい自由と安心感がある。
確かにたったひとりでは、一月近くの旅程は寂しいことも多かっただろうし、何より女ひとりだけでは足を踏み入れるのを躊躇する場所だってある。
楽しみ方の幅を考えるにつけても、仲間がいるというのはいいことだった。
そんなわけで、列車がバルセロナに着いたら一緒に宿を探したいと彼女が言うので、構わないよとうなづいた。

朝の駅。
朝の街。

ヨーロッパの多くの街にある国際列車のターミナルがそうであるように、このバルセロナ・サンツ駅も街の中心から少し離れている。
賑わう新市街の広場までは地下鉄に乗る。

コンパートメントで一緒だった医大生の彼女。
列車を降りるところまでは一緒だったけれど、両替をしている間に(当時はまだヨーロッパの通貨は統合されていなかった)彼女の姿を見失った。
しばらく探してみたけれど、結局見当たらないままで、しかたがなく私たちは三人だけで地下鉄の乗り場へ向かった。

彼女はきっと、一人旅の気ままさが根っからしみこんだ人なのだろう。

3月のパリはとても寒く、コートの襟をかたく合わせて歩いた。
けれど、この街の陽射しの下では上着を脱いで空が仰げる。
私が過去に訪れた中でも、もっとも素敵な街のひとつだ。

雑踏を縫うように行く。
カタルーニャ広場はぐるりと車道に囲まれて、そのもうひとつ先は立ち並ぶクラシカルな建物。
それでもその屋根に、大きな広告看板が居並んでいる。

今でも憶えている。
大きなSeat(セアト)の看板があった。

どこからともなく陽気な音楽が聴こえてくる。
ここは生に満ちている。

360度、四方八方のエネルギーに囲まれるイメージ。
もしかして、この雑踏や生命の気配が全て一瞬にして消えたら。

もしも、消えたら。

スペイン映画「オープン・ユア・アイズ」では、主人公はマドリッドの目抜き通りで目が覚める。
一切の人も車も消え、この世には自分ひとりしかいない。
都会の朝の空気が冷たく突き放す。
生命を取り除いたら、抜け殻の街は恐怖に近いほど寂しい。

ハリウッドのリメイク版である「バニラ・スカイ」では、ニューヨークのタイムズスクエアがこのシーンの舞台となる。

普段が賑わいに満ちているだけに、そこから音と気配を奪うことは、ぞっとするほどシュールなのだ。
何が夢で何が現実か、境目が曖昧な出来事の連続。

個人的な感覚でいえば、スペインというのは、陽気でありながらどこかミステリアス。
シュールな空想も、もしやまさか、ひょっとして。

その後バルセロナを発ち、南仏を経てローマへ向かう夜行列車で、私はまたあの医大生の彼女に出逢った。
そして、もう逢うこともないだろうと思ったのに、さらに2週間以上先、フランクフルトのユースホステルで三再び出逢った。

何が夢で、何が現実か。
おかしなことがあるものだ。
私たちはようやく、三度目にして初めて一緒に食事をし、たった一枚だけ一緒に写真を撮った。

オープン・ユア・アイズ Abre los ojos(1997年・スペイン)
監督:アレハンドロ・アメナバール
出演:エドゥアルド・ノリエガ、ペネロペ・クルス、チェテ・レーラ他

■2006/4/6に投稿した記事
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