<一言コラム>TBS "G"スタジオ (第13回関連)

<一言コラム>TBS "G"スタジオ (第13回関連)

霧の中のメモリーズ

1960年11月から1961年10月にかけて、TBSテレビ局の第3次増設工事が行われ、新たなスタジオ(Gスタジオ)が完成しました。

このGスタジオは、広さが876平方メートル(265坪)、高さも8mと非常に高く、これまでのスタジオの1.5倍となる日本最大の大空間で、英国マルコーニ社製4インチ半のイメージオルシコン・カメラを4式配備し、カラー放送なども実施できる、解像力の鋭い最新技術を結集した施設となっていました。

コロムビアは、TBSが1951年にラジオ東京(JOKR)として開局した際に最初にスポンサーの申し込みをした5社(武田薬品、東京電力、塩野義製薬、大映、コロムビア)のうちの一つでした。

1951年12月から1963年まで続いた「コロムビアアワー」は電通の制作でしたが、1954年10月から1969年4月まで続いた「L盤アワー」は制作もコロムビアが行ったようです。

ラジオからTV放映に目を移すと、ラジオ東京<KRT(株式会社ラジオ東京)>は、1953年に赤坂に元近衛第三連隊跡にテレビ局の建設を決定し、1955年からテレビ放送を開始しました。番組の拡充につれてスタジオが足りなくなり、1958年には赤坂テレビ局舎の玄関横に木造の仮設Gスタジオを作ったそうで、大道具置き場を改造した臨時施設は防音用に畳を張り巡らせてあり、「畳(たた)スタ」とも呼ばれていたそうです。

こうした中、コロムビア・レコードのTV番組「コロムビア・ヒットショー」も1960年8月から1961年4月まで放映されていました(1961年10月にGスタジオが赤坂に新設)。

Gスタジオでは、1978年からは「ザ・ベストテン」なども収録されており、色とりどりの衣装をまとったアーティストたちが歌い、踊る番組にも活用されていました。谷川氏によると、TVのスタジオでも一部のディレクターはあちこちで付き合いがあるため、顔パスだったようです。

TBSテレビ局Gスタジオ
東京放送テレビ技術局「TBSテレビ局の新スタジオおよび設備」(1962)より


話は変わり、日本コロムビアの本社を左手にまっすぐ進み、三分坂に差し掛かる手前、TBSの第2局舎に隣接する形で、東京放送ゴルフ練習場(ゴルフ・スタジオ)がありました。

このゴルフ練習場は、1965年からTBSゴルフという会社が埼玉県吉川町の越谷ゴルフクラブも含め運営を行っていたそうです。ゴルフの練習場は、今は横浜青葉区の緑山スタジオに移動して、その跡地には20階建てのTBSのビルが建設されています。


東京放送「TBS 50年史」P268 (2002)


三分坂のふもとからTBSのビルをじっとみつめていると、ゴルフ・スタジオに行き交うドライバーのスイング音や、TBS Gスタジオに響き渡るアーティストの歌声と観客の歓声、コロムビア・グランド・スタジオでのレコーディングを終えてテレビ局地下のレストランに食事に向かうディレクターの鼻歌などの音が坂道いっぱいに広がって、代わる代わる下ってくるような気持になります。

(赤坂・三分坂ふもとからTBSを臨む)

        2022.02.07
   霧の中のメモリーズ


<参考文献>

  1. 東京放送テレビ技術局 「TBSテレビ局の新スタジオおよび設備」 (雑誌『テレビジョン』16(5)テレビジョン学会 1962-05)

  2. 郵政省「赤坂郵便区市内図 東京都港区 昭和50年6月21日現在」(1975)

  3. 東京放送社史編集室編 「東京放送のあゆみ」(1965)

  4. 東京放送「TBS 50年史 本編・資料編」(2002)


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「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」(noteマガジン)




「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」関連項目

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(谷ヤンの会話にGスタジオが登場します)

<一言コラム>日本コロムビア・グランド・スタジオ・ロビー 
(もう1つのGスタジオ!?、グランド・スタジオの記載です(^_^))

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