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女性が日本社会で抜きん出るには巫女にならないといけない?-コテンラジオ・ジャンヌ編を聴いて。

巫女になれ


以前、地域の町づくり活動のなかで「巫女になれば?!」と言われたことがあった。
わたしは地域活性に関わるボランティア活動/仕事をいくつかしている。
そういった活動ではどうしても男性が多いのだが、わたしの世代、特にUターン者では地域でそういった活動をしている人はわたしくらいしかいない(学童とか子ども系の活動をしているお母さんたちは多くいる)。
わたしはUターン者ということもあって、顔なじみなおじさんばかりなので、会議のなかではぬけぬけと(堂々と)意見を言う。

とあるときに会議が終わった後、神社の話になったのだと思うけれど、その流れでとある男性に「巫女になれば?すごく合っていると思う!」と提案された。

さて、これをどうとらえるか。

ジェンダー過渡期に生まれて

わたしは昭和最後の年、4人兄弟の3番目に生まれた。兄弟で女児はわたしひとりだった。そのせいか小さい頃から「女の子らしさ」について敏感な子で、「なんで女の子らしくお人形遊びしなさいとか言われるんだろう?」「なんでわたしだけ家事手伝いをさせられるんだろう?」と疑問だった。

母曰はく、女の子らしさ(フリフリとかピンクの服、プリンセスなど)を拒否している子どもだったそうだ。
ボーイッシュな服をよく着ていた。
(父はそんなわたしをみて「じゃあ宝塚に入ったら!」とよく言ったものだ。う~ん、そういうんじゃないんだけどなあ。)

ジェンダーギャップゴリゴリの田舎、差別意識の強い父親のもとに生まれて、どっぷりと男尊女卑のイメージを脳に刻みこんだわたしは、ジェンダーに疑問を抱きつつも男性を尊ぶ気持ちだけは人一倍な女に育ってしまった。
中学生の頃はセーラー服を着ているからか痴漢に遭うことがめっちゃ増えたのと、(特に田舎なので)女性が選べる進路の少なさ、世間からの期待のされなさに絶望していた。中1のときは進路の授業で「お茶くみOLになれたらいいな」と用紙に書くくらいには自暴自棄になっていた。
男に生まれたかった、とは別に思わないし、女でいることに違和感があるわけでは全然ないけれど、漠然と「次生まれ変わるなら男がいいな。堂々と仕事ができそうだもんな」とは幼少期から大人になるまでずっと思っていた。

まちづくりをやるようになって、特に地域のなかで「あー、わたしがおじさんだったらなぁ。」と思うことも少なくない。
会議のなかでは、いつもよくしてくれている方々が、フラットに接してくれるけれど、いざ町のなかに出ると、「あ、あなたは補佐のかたですか」「パートさんですか」と言われることもしばしば。
(関係ないけど銀行窓口へ法人通帳を持っていくと「あなたは事務員さんですか、委任状は持っていますか」と言われたりする。わたしは戸惑い「いいえ、わたしが代表です。」と言う。口座名義のところに法人代表者氏名も書いてあるのになあ。)

| 女が地域で活躍するには巫女にならないと発言権がないのか

そんなとき「巫女になれば?」といわれて「あ~なるほどね」と、なんとなくしっくりする気持ちと、「なんでやねん」ともやもやする気持ちとが同居した。
このしっくり/もやもや同居感を言語化することが、当時は即座にできなかった。

言っておくと、この方が常日頃男女差別をしているわけでは全然ないし、わたしはこの方は好きだ。神社の運営が危ぶまれているなか、地域信仰の火を途絶えさせたくないという素朴な気持ちと、わたしの立場を確立させてあげたいということで提案してくれたのだと思う。そう思ってくださることは、嬉しい。

ただ、社会構造から紐解くと…
年長男性の認知では、「地域に貢献するために男性に物怖じせず、問題に立ち向かう女性」は、通常の女性のイメージと重ならず、「巫女」という神秘的な存在になる、つまりは異物をなんとかじぶんのスキームにおさめる脳内作業なのだと思う。

たぶん、わたしが巫女になれば、地域のもろもろは、もっと物事がうまくいくと思う。
年上の男性に立ち向かっても、行政に立ち向かっても、男勝りに仕事をしても、巫女だからしょうがない、とされる。
田舎ではまだまだそのスキームは生きている。

しばらくしてそんなことを忘れていたこの間、ジャンヌの配信が始まり、地域内のゴタゴタが重なって、仕事をしながら私はため息をつき、山あいの谷をみつめた。

「私が巫女になればいいのか…」

ごく自然にそう思った。
思ってしまっていた。

あっ…

私は既存のスキーム内でおさまろうとしていたのだった。

巫女になる人を否定しているわけではない、
でも、わたしは…

| Roll over 「女性らしい感性で」

ひるがえって、ジャンヌの気持ちがとてもよくわかる。

わたしの憶測にすぎないが、ジャンヌは「男とか女とかだけで意見の重要性が左右される世の中なんなん」と思っていたのかもしれない。

ジャンヌはやきもきしたに違いない。
おろおろするばかりの年配者たち、助けてくれない貴族たちをみて。

わたしならフランスをどうにかできるのに、と若さゆえの慢心だったかもしれないが、確かにジャンヌほど貢献の気もちと行動力のあるひとは、当時あまりいなかったのかもしれない。

そのスキームから抜け出せ、行動力を示し、かつ年長者に意見を通す唯一の方法が神の声を聴くことだったのだろう。

でも、わたしは別に神の声を聞いたから、地域に貢献したいわけではない。
わたしはわたしとして、普通のひとりの人間として、男性と同じように、ただ活動しているだけだ。
わたしは”「女性ならではの柔らかい感性で女性のロールを演じながら」地域社会に貢献すること”には、興味がない。
そう、わたしはずっと「人間」になりたかったのだ。

…と、ここまで書いて、これは女性だけの問題ではない、男性のうち多くの人が「男じゃなく、ただの人間になりたい」と考えているだろうと、思いを馳せる。

わたしはならば、できる限り、あらゆるスキームを外した状態でその人のたましいを尊重できる人間になりたい。

ここで、ひとつ詩を紹介したい。

わたしを束ねないで   新川和江
    
わたしを束たばねないで
あらせいとうの花のように
白い葱ねぎのように
束ねないでください 
わたしは稲穂 秋 
大地が胸を焦がす 見
渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください 
わたしは羽撃(はばたき)
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように 注がないでください 
わたしは海 夜 
とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐すわりきりにさせないでください 
わたしは風 りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,コンマや.ピリオドいくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください 
わたしは終わりのない文章
川と同じに はてしなく流れていく 
拡ひろがっていく 一行の詩

詩集『比喩でなく』 新川和江

わたしの詩ではないけど、中世フランスのスキームのなかで、できる限りの働きをしようともがいた人間ジャンヌに捧げたいと思う。

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