見出し画像

木を伐るように、書く【先日木こりをしていた祖父が亡くなった話】

先日、母方の祖父が89歳で亡くなった。若いうちから林業をしていた、つまりは林業が今ほど(今でも日本の急斜面ばかりの山林においての林業は効率化しているとは言い難いけれど)効率化されておらず、便利で軽い道具も無い時代に身を粉にして働いていた人だった。

四方を山に囲まれた、携帯電話の電波も届かないひっそりとした家に祖母と二人で暮らしていた。

祖父の父、つまり私の曽祖父には私は出会ったことが無い。祖父が35歳のときに若くして亡くなったそうである。曾祖父は炭焼きをして生計を立てていたという。炭焼きをしてどうして暮らしていけるものか、私にはとんと見当がつかない。

このnoteではアフリカ一人旅、登山用具店勤務などを経て、現在はECサイト経営をしつつ恵那市笠置町にUターンし里山暮らしをしているわたし(佐藤あやみ)が、子育てのことや自然のこと、学んだこと、経験したことをアウトプットしています。テーマは「ともに生きる」。どうやったらともに生きるコミュニティを形成できるのか?ということを考えながら活動しています。

人口が増え続け、建築物が永遠に建つかのような幻想。そんな林業の華の時代をど真ん中で駆け抜けた祖父は、樹のように寡黙だった。

鼻が大きくて、耳も大きい、一度見たら忘れなそうな顔立ちだったけれど口数は少なかった。たまにしゃべったかと思うとぶつぶつと文句を言っていた。しかし孫やひ孫たちが来ると喜んで、穏やかに眺めていた。それは自分が遺していくものを確認するかのようだった。

ここ数年は耳が遠くなり認知症が進み、心臓も働かなくなって、それでもずっと家で暮らしていたが、とうとう逝ってしまった。

通夜の終わりに檀那寺の和尚さんが、しみじみと言った。
この和尚さんは50代くらいで、まだ若々しく、祖父は若和尚と呼んでいたらしい。

「館林さん(祖父のこと)が、とある飲み会のときに私に言ったんです。『若和尚、あんたんとこの裏の森に、桜の樹があるろ。あれを生かさん手はないぞ』と。桜の樹というのは、うちの寺の山林にあった、樹齢二百年の桜の樹です。例によって植林の杉ヒノキで見えなくなってしまっていました。それを館林さんが生かそう、とおっしゃったのです。

それから檀家さんたちが木を伐ってくれたり、桜の樹までの道を整えてくれたりして、いまでは毎年その桜の樹の下で花見をしています。多い時では100人の花見をしたときがありました。

花見をすると、檀家さんたちともそうですし、近所の方ともそうですし、いろいろな方とのご縁がありました。うちの寺としても、人の環が広がって、ほんとうにありがたかったのです。

とあるときに、館林さんに、「あのときは、桜の樹を生かそうと仰ってくださりありがとうございました。」とお礼をすると、「そりゃ、俺はお礼を言われる道理にない」と謙遜されました。でも、館林さんが発起人になってくれなかったら、桜の樹は日の目を見ていないですから、私にとっては間違いなく道理なわけです。」

恥ずかしがる祖父の姿が目に浮かんだ。目立つのはあまり好きではなかったと思う。そんな祖父が、何かを「発起」するということが、孫の私にとっては珍しいことのように思えた。

「とても誠実な方でした。寡黙で、淡々ときつい仕事をされる屈強な方、うんと強い方でした。
ぜひ、次の春にはみなさん、桜の樹を見にいらしてください。」

祖父は、明確な肩書があったわけではないし、何かを立ち上げたわけでもなければ、偉大な何かを成し遂げたわけでもない、と思っていた。

わたしはふと、昨日ニュースで見た、ずさんな運営で行政処分される会社のことを思い出していた。

ずさんな営業で、逮捕されたりしてニュースに取り沙汰されることはよくあるが、誠実に淡々と仕事をしているひとりの男の生涯は、ニュースになることは無い。

しかし祖父は広大な山の木を伐り、土壌を守り、家族を作った。自分のところの木を伐るだけでは儲からないから、他の人の山の木も伐った。そういうことをしていると、いろいろな人との関係性も出てくる。不誠実な人であれば、木のお代をちょろまかしたり、工期が遅れたりするだろう。しかし祖父は多方面の山の木を伐らせてもらって、たくさんのひとと関わりながらも、誠実であるという評判を保ち続けた。あの人は小ずるかった、などとという人は誰もいなかった。皆、寡黙だけれど真面目な人だった、と言っていた。

小ずるく仕事をすることなく、誠実に数十年を勤め上げるということの見事さ、それは何百、何千丁歩もの広い広い山林を1本ずつ伐っていくのと同じような、途方もない作業を思わせる。

ただ誠実であった、と言われる、一見なんてことのないような祖父の素朴な人柄と人生の、それが本当は成り難いことを知り私は打ちのめされる。

私は祖父が木を伐るかのように、1つ1つの言葉をよいしょと背負って、書けているだろうか、と考えた。

これからは、面白くなくてもいいから、役に立たなくてもいいから、自分自身と読む人に誠実な言葉を書かなければ。一生懸命に書かなければ。

そう強く感じた通夜であった。

そして寺の桜の樹。

一体どのような風景の中で、どのように咲く桜なのだろう。
祖父の通夜で読んだ般若心経には、「色も香りも無い」とあったが、現世には綺麗で香り立つものがたくさんあるのである。
次の春には行ってみようと思っている。





よろしければサポートをお願いします。