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シャーマンになりたかった男

  それは私が乾期に入ったばかりのザンビアの首都、ルサカに滞在しているときの話だ。
雨期を終えたばかりの舗装されていない通りは水たまりでいっぱいだった。
 
 ルサカという町は特段変わったところのない、ゴミと人でごった返している、赤茶けた土色のよくあるアフリカの首都であった。ここも南部アフリカらしくインフレに沸いていた。
 
 わたしはどこか宿を探さなければならなかった。とある情報で、ルサカには日本人ボランティア団体の寮があり、団体員が暮らしているけれど、日本人であればタダで泊めてくれるというのがあった。
 
 それならば、ということで寮を探して、行ってみた。
 
 防犯用の鉄の扉をガンガンと叩くと、大男のザンビア人がけだるそうに出てきて、
「関係者か」と聞いた。
やはり関係者でないと入れないのだろうかと、あー、うー、と返事を迷っていると大男は来客用リストを取り出して、「備考欄のところに、表札に書いてある団体名を記入すればいい」と付け加えた。わたしはあわててそのボランティア団体の名前を書いた。
 
 晴れて中にはいると、玄関には日本仕様らしくタタキと、渡り板と靴箱があった。タタキには靴箱に入りきらない分の色とりどりのスリッパやスニーカーが雑然と並んで、寮の平均年齢の若さを感じさせた。
 
「ごめんください」
返事はない。こんなに靴がたくさんあるのに、誰もいないのだろうか?
「ごめんください!」
 
 ややあって、は~いと声がする。しばらくして奥から、細身でパーマ頭、無精ひげの男性がのっそりと出てきた。その男性は30代なかばといったところの外見だった。彼は不思議そうに私を眺めた。
私はこの寮に泊まれると聞いたことを伝えた。
 
「あぁ、それね、さすがに…立ち入り検査とかが無いとも言えないということで去年から禁止になったんだそうだよ。ごめんなさいね」
 
 私はがっかりした。ルサカにはいい安宿がさほど多くない。あてはないでもなかったが、怪しい人が出入りする安宿には当たりたくない。でもこうした伝達情報の行き違いは旅ではよく起こることだ。
 
 男性は旗本さんといって、ザンビアには派遣されたばかりらしかった。
 
 ここには泊めてあげられないけど、せっかくきたのだから少しお話でもしましょう、日本語が恋しいでしょう、といって旗本さんは私をテラスに案内してくれた。
 陽の当たるテラスには日焼けした、かつて青かったソファーと経年劣化した白いテーブルが置いてあった。旗本さんは冷たい紅茶をグラスに注いでくれた。
 
 話を聞いていると旗本さんはパソコンの技師で、結婚していて子供もいるが、ボランティアに興味があって応募してきたという。ザンビアに呼び寄せることもできないではないが、妻は興味がないので来ない、と言った。私は残された妻子のことをちらりと考えた。まだ小さいであろう子供を持ちながら、旦那がザンビアに数年は停留するのである。不安はないのだろうか。
 
 旗本さんは私が妻子のことを心配しているとは知らずに、穏やかに話し続けていた。畑本さんはとても静かに凪のように話す人であった。緩急は無いが、つまらなくない、ここちよい話し方だった。
 
「もともと、海外暮らしには慣れていてね」
なぜボランティア団体に応募したのか私が尋ねたのだった。
 
 
「旅行が好きなのもあるんだけど、南米には3年ほど住んでいたことがあって、まぁ、その時の経験を生かしたいという動機が大きいかな。
 
どこかって?ペルーのね、うんと奥地にいたんだ。
 
僕はね、実は小さい頃から極度のアトピーに悩まされていてね。君、アトピーではないでしょう。アトピーでないとわからないと思うけど、あれ、ものすごく痒くって夜も眠れないことがあるの。親も可哀そうに思って、いろいろと策を尽くしたんだけど、どんな病院へいっても治らない。アトピーに効く漢方も試したし、怪しい療法もやったと思うけど、全然ね。
 
そんな暮らしが生まれた頃から、思春期を経て、社会人になるまで。気が狂いそうなほど痒いから、夜なんて死にたくなるときがあったよ。永遠に感じるんだ。夜の暗いのが。
 
社会人になって、仕事をはじめたら、夜寝ていないと仕事にならないでしょ。それで、これはいかんということで、治そうと思った。そりゃ、親がやってくれたのと一緒で、あらゆる方法は試した。それらしい本もいっぱい買った。再度、怪しい療法も試した。でも何も効かない。
 
そんなとき、ペルーのアマゾンのシャーマンの話を聞いたんだ。とあるシャーマンで、アトピーをきれいに治す人がいると」


 
「こんなこと見ず知らずの人に話して、いいのかな」
 
旗本さんは頭をポリポリ掻いた。
いえ、興味があります、と私は言った。
彼は安心したようすで話を続けた。
 
「その話を聞いてからのぼくはフットワーク軽くて、すぐにペルーに飛んだ。でも、そのシャーマンがいる所ってのは、本当にとんでもないアマゾンの奥地なんだ。だから、アマゾンの支流に沿って、泥臭い水の中を転覆しそうなボートで3日かけて行った。もちろん、そういう奥地に行くための定期便のボートがあるんだけどね。
 
それで晴れてシャーマンに会った。彼は僕の父ほどの年齢だったかな。
 
シャーマンはつまり、漢方医みたいなこともしていて、森の中から薬草を採ってきて煎じて飲ませたり、食事療法のアドバイスをしてくれる。
 
結果からいうと、僕のアトピーは彼の指導であっという間に治った。20何年間、痒みに悩まされてきたのに、数ヶ月でぱったり治ったんだな。痒くない暮らしというのはこんなに『なんもない』のかと思った…。いつも僕が年がら年中イライラしていたり悲しくなったのは、なんのことはない痒みのせいだったんだね。僕は生まれ変わったようだった。生きてきてはじめて、ニュートラルな状態になった」
 
薬草というのは侮れないもので、マラリアの特効薬とされるキニーネも木の皮から抽出された成分から出来ている。南米やアジアの密林には薬草ハンターと呼ばれる、薬品会社から派遣された人々が集まるという。
 
いまでは旗本さんの肌は、アトピーの重症患者であったとは思えないほどの滑らかさであった。
 
「それで、僕はそのシャーマンに弟子入りさせてもらうことにしたんだ。」
 
そのシャーマンはなんとひとがいいのだろう、とわたしは思った。
縁もない日本人のアトピーを治し、弟子入りまで許すとは。
 
「弟子入りといっても何のことはない、シャーマンと同じ生活をするだけなんだ。同じところに暮らし、掘っ建て小屋で寝泊まりし、同じものを食べる。
 
テント?そんなの持って行かなかったからね、本当にその辺の木と葉っぱで編んだような小屋で、地べたに寝たんだよ。蚊帳もない。そりゃぁ蚊はすごいよ。夜になるとどこからか湧いて出てくる。刺されるままにしててね、アトピーが治ったのに結局痒いんじゃないかって?まあその通りだね。でもなんだか、大丈夫だったんだよね。そのときの僕は。痒いのには慣れていたからかな。運の良いことにマラリアにはならなかったし。
 
蚊より辛いのは、暑さだね。痒いのは我慢できたけど、暑い日は寝られなかった。
 
それも1ヶ月したら慣れて、あきらめて寝るようになった。」
 
私は暑さより痒い方がずっと気にかかるような気がした。実際、私は騒音と暑さの中ではよく寝られた。しかし蚊の鳴く声が聞こえるとたちまちその音の主をやっつけたくて跳ね起きる。
 
暑さより蚊に耐えられる人は、マラリアにかからないのかもしれない。
 
私は蚊が嫌いだからアマゾンには行かれないですね、と旗本さんにいうと、そもそも…と口ごもった。女性はおそらく、シャーマンに弟子入りはできないだろうといった。
それはシャーマンの職業柄かもしれないし、女一人でアマゾンの村に行くのは危険ということかもしれない。
 
「それで、アマゾンの人ってのは普段からいい物食べてるわけではないけれど、シャーマンは修行として、断食することがあるんだね。
 
僕はそれも真似してみることにしたんだ。
 
断食っていっても何も食べないやつじゃなくて、糖と塩を断つ断食なんだ。
たとえば芋は糖分になるからだめ。味付けに塩を使わない。結果的に野菜とか、魚の、水煮みたいなものになるよね。これをしばらく続ける。」
 
何も食べないのではないと聞いて私は少し安心したが、糖と塩をとらないで人は生きていけるものなのだろうか?
 
「シャーマンは普段はふつうの漢方医なんだけど、それじゃシャーマン、つまり霊媒師ではないから、定期的に断食して、自分をより霊的な存在にしていくんだよ。
 
最初のうち、糖と塩なしの生活でも完全な断食ではないから耐えられると思ったけど、やはり人間にとって大事なものなんどろう、だんだんと意識が朦朧とし始めた。
 
シャーマンのほうは慣れたもので、断食を続けるごとに意識が鮮明になっていくんだな。
 
とある日に、シャーマンがこんな事を言った。
明日お前と同じ奴らが2人来る、とね。
 
そうするとそんな奥地の村に、次の日、日本人のカップルが来たんだ。
電話とか連絡手段は何もないから、わかり得ないことだった。これにはびっくりしたけど、シャーマンにはもっと先の未来も見えているようだった。でも、それは修行の成果なんだ。
 
僕は結果的に半年ほどでこの断食はドロップアウトした。体力が続かなかった。
 
でもこの断食っていうのは感覚を鋭敏にするのかな、体力は落ちていくんだけど、最後のほうは僕も明日くらいのことなら何が起こるか分かるようになったんだ。」
 
意識は朦朧となるけれど、朦朧となった意識の中に残る鋭った部分が、際立って働くのだろうか。
 
「とにかく、僕は半年でアウトした。」
 
今も、明日のことがわかるのですか、と私は尋ねた。明日のことが分かるなら教えてもらおうと思った。
 
旗本さんはちょっと懐かしそうな目をして、また穏やかに答えた。
「まさか。あれは断食と修行の賜物だからね。」
 
それもそうだ、と私は納得した。
 
テラスに差し込む日差しが強くなっていた。
「もうこんな時間だね。こんな話しかしていないけど、よかったかな?
いつもはこの話は、しないようにしてるんだ。だってみんな信じないし、怪しいでしょう。聞いてくれてありがとう。」
 
私はとっても満足して寮を出た。
それから寮の近くの質の悪い安宿に泊まって、それから色々あって、旗本さんの同僚の女性が住むアパートに泊めてもらったりした。
 
でも、その仲間だとかに聞いても、旗本さんという人は全く印象にないみたいだった。
派遣されたばかりというのもあるけど、誰一人として旗本さんと話をしたことがないみたいだった。
 
私はルサカにいる間にもう一度シャーマンの話を聞こうと思ったが、旗本さんに会うことはそれきりなかった。

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