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空白の2020年。とにかく強いメロディだけを書き続けた1年だった。

2020年が終わる。
何年かあとになったとき、この1年をどう思い出すのだろうか。
今のところまったく想像がつかない。
自分なりにがんばれた気もするし、何もやれなかった気もする。
退化した気もするし、進化した気もする。
答えは当分わからない。

それでもこの1年、作曲を進める中で1つの強い気持ちはあった。
『ココで生半可なものを書いちゃダメだ!!
いま自分の最高到達点な曲を書かないと、一生後悔するぞ!!』

という、ナゾの強迫観念。

もう、めちゃくちゃに心が追い詰められてたんだと思う。
なぜって、
自分の作曲人生でこんなに曲を書かなかった1年はなかったし、
かつ、
書かせていただく曲がことごとく大事な局面での曲ばかりだったからだ。

曲を書く機会がない、って、単純にカンが鈍っていくものだと思う。
作曲の、カン。
そう、M-1で例えるなら(え?)客前でほとんど漫才ができなかったこの1年で、それでもM-1という大舞台で1発勝負でお客さんの心を鷲掴みしないといけないという、あの高度かつ天才的な技術・・・

と、それと同じ状況な気がしてこの例えを出しましたが、全然うまく着地できませんでした。
すみません。。。

さー!気をとりなおして!
自分への回顧録もふくめて、今年かいた印象に残っている曲をひもといて行きたいと思う。


「刀剣乱舞-ONLINE-」五周年記念 「刀剣乱舞 大演練」

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https://toukenranbu-daienren.jp/​

もともとは東京ドームで行われるはずの、刀剣乱舞5周年を祝う一大祝祭イベントだった。
8月のころの東京はいま振り返ってもコロナ禍が非常に厳しい状況であり、何度か模索しながらも最終的に配信でのイベントに切り替えた運営の英断には本当に頭が下がる。
また、そのやりきれない気持ちを思うと胸がいたい。
当時はぼくも、どこかずっと下をむいてしまっていたと思う。

このイベントでぼくはオープニング曲とエンディング曲を書くことになっていた。
実際に第一稿を書いたのは5月28日。
そのころは本当にほぼすべての仕事がストップしていて、
ファイルを遡って履歴をみても4月5月に書いた曲がほぼ皆無。
作曲のカンが徐々に失われていくなか、それでもこのコロナ禍をぶちやぶる、強烈なメロディをこのタイミングで書く必要があった。

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ぼくは曲創りにつまったとき、もうどうしても自分の中でジャッジができない!となると、なぜだか生まれ故郷の愛媛の風景を思い出す。

このときも一緒で、オープニング曲・エンディング曲、ある程度方向は見えているのに、これが良いのか悪いのか最後のジャッジができない。
このメロディで、はたしてコロナ禍のみんなの気持ちを明るくできるのか。
刀剣男士たちに歌を通じてみんなに伝えてもらいたいことって、本当はなんなんだろう。
そんな自問自答を繰り返すなか、自然に頭の中に愛媛の原風景が思い出されるようになっていた。

あの、のどかな空。
どこまでも広がる青。
遠くからトラクターの音がのんびりと響いてくる、穏やかな時間。

もうあんな平和な時間はこのパンデミック禍ではやってこないかもしれないけれど、みんな一人一人の記憶の中に幸せな原風景は、ある。あるはずだ。
それを呼び起こしてもらい、明日への力にしてもらうだけでも曲を書く意義があるんじゃないか。
それが、この大演練で刀剣男士たちからみんなに伝えられる、メッセージじゃないか。

そこがぼくの「最終的なジャッジ」となった。

スタジオについている申し訳程度のベランダをプチガーデニングして、自粛期間中ながら「空」を感じられるように改造。
ここで青空や夕空を見ながら曲を書いた。
苦しい作曲期間だったけど、原風景をまた思い出すことができた。
これはきっと、パンデミックの中で出会えた、幸せな体験だ。


TRUMPシリーズ 音楽朗読劇『黑世界』

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こちらも、もともとは(同じTRUMPシリーズで)まったく別の演目が行われるはずの舞台だった。

実際にこの『黑世界』が公開されたのは9月20日。
そのころ劇場ではまだ100%での客席使用は解禁されておらず、また、舞台関係だとどのようなケースでクラスター化するのか、そのあたりもわかってきた時期だった。
本作はそれを顧みて、当初の構想から大幅に方向性をかえ、ソーシャルディスタンスに重きをおいた舞台となった。

音楽朗読劇、と名のつく通り、歌うシーンもミュージカルくらいに多い。
それにともなって稽古の仕方もまさに厳戒体勢。
ソーシャルディスタンスどころか、実際の接近・接触もほとんど減らした中で創られたこの公演は、結果としては演劇界のイノベーティブ的な舞台となり、高い評価を各方面からいただいていた。

ぼく自身もこの公演にたずさわれたことを誇りに思う。
とにかく、演出・末満さんやそれを支える周りのみなさんの舞台創りにかける熱意、そしてコロナ禍における最大限の配慮、に本当に大きな賛辞を贈りたい。
最終的に全員無事に完走できたことも、本当に良かったと思う。

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と、結果だけをいうと大団円なのだけど、実際に「厳戒態勢」での歌創りはかなり難しいものがあった。

とにかく自分にとって1番きつかったのは、キャストさんに会えないことだ。

作曲のカン、というものは、何も自分の中だけで生まれているものではない。
歌う人からもいただいているのだ。

『この人が歌うから、このメロディになる。』
ぼくの作曲理論からこれは絶対に外せない点だ。
もちろん、作曲家なんだから作曲単体で成立するように書けよ、というのはわかる。
ぼく自身も常々そこは最終的に意識している。

それでも、ぼくはもう知っているのだ。
たかが自分が「作曲」を成立させるために書いたメロディの輝きなんて、歌手がそれを命のように歌ったときの輝きには、圧っっっっ倒ーー的に及ばない、と。

その瞬間はもう何度も劇場でみてきた。
この人のために書きたい。
この人が、自分の命をこめられるように歌うメロディを書いてみたい。
そんな体験を何度もしてきた。
そして、やっぱりそういう歌が人の心に、時代に、刺さって受け継がれていくのだ。

だから、「会わない」ということを基本的な指針としたなかでの作曲は、ぼくにとってはかなりの苦痛だった。

これを乗り越えられたのは2つの奇跡があったから、だ。
1つは総合的に統括をされる末満さんのことを「知っていた」こと。
もう1つは作中重要な役であるリリーやチェリーをはじめ、本作を演じられるキャストのみなさんをほぼ「知っていた」こと。

「会えない」ことはつらいけど、「知っていた」から、想像はできる。
会えない分、想像力をこれでもかと最大限に膨らませて、あの人のために、この人のために、本当に輝けるメロディを書く。

誰かを知っていることって、こんなに大切なんだ、と思い知った作曲期間だった。
でもきっとこれって作曲だけじゃなくて、何についても同じなんだよね。
特にこの「会えない世界」線では。
ようやく身をもってジョンレノンのイマジンを自分なりに理解できたかもしれない。
これもまた、パンデミックの中で出会えた、幸せな体験だ。


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来年もきっと、もっと強いメロディが必要になる。


もう1曲くらい書こうかな、と思ったけど、なんだか自分の中で整理がついたのでこのあたりで締めたいと思う。

新型コロナがもってきたものは数えきれないくらいあるけど、創作における姿勢も明らかにかわってきた。
いつかこのパンデミックが落ち着いて前の日常がやってきたとしても、この2020年にみた新しい景色は胸の中に残り続ける。
それを糧に、作曲の仕方もまた変わってくるはずだ。

そして、今のところわかっているのは、2021年はもっと強いメロディが必要になるだろうということ。
それに伴って、強い創作意志と、強い創作環境も必要だ。
21年、ここをなんとか乗り越えて、まだ想像もつかない未来へ向かっていきたい。

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