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『言葉で人と向き合った日本縦断旅』日本テレビ元記者/認定NPO法人マギーズ東京代表 鈴木美穂さん

「スッキリ」「ミヤネ屋」のニュースコーナーのデスク兼キャスターを始め、若年性がん患者団体「STAND UP!!」の発足や、がん患者や家族が訪れ無料で相談できる「マギーズ東京」の設立。

ベースにはいつも強い意志があり、自ら経験を作り、行動した先に見えたアイデアを次々とカタチにしている姿が印象的な鈴木美穂さん。幼少期から、企画を通すコツまで幅広く伺いました!

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鈴木美穂さん(写真中央)

鈴木美穂さん:元日本テレビ報道記者、認定NPO法人「マギーズ東京」共同代表理事。1983 年、東京都生まれ。2006年慶応義塾大学法学部卒業後、2018年まで日本テレビに在籍。報道局社会部や政治部の記者、「スッキリ」「ミヤネ屋」のニュースコーナーのデスク兼キャスターなどを歴任。2008 年乳がんが発覚し、2009年若年性がん患者団体「STAND UP!!」を発足。 2016年には東京都江東区にがん患者や家族が訪れ無料で相談できる「マギーズ東京」をオープン。2019年5月から夫と世界一周しながら世界中から今後のヒントを集めてくる予定。著書に「もしすべてのことに意味があるならーがんがわたしに教えてくれたこと(ダイヤモンド社刊)」

「ロールモデルに出会った小学生時代」

WI大山:美穂さんの幼少期が、今に大きな影響を与えていると書かれている他メディアの記事を拝見しました。小学校の先生に感化され、テレビに関心を持たれたとのことだったのですが、その経緯やマインドを教えて下さい。

美穂さん:当時から企画をすることが好きでした。「給食は教室で食べるよりも外で食べたほうが楽しいのでは?」と先生に質問したところ、「保護者がOKしないと出来ないんだよ」と答えが返ってきたので、親全員から許可をもらって全校生徒でのピクニックを実現させたことがあります。

元々私は人類皆兄弟的なマインドの持ち主で、皆で楽しいことをやりたいという想いが強いんです。小学校5年生のとき学級委員をやっていたのですが、クラスの学級活動の時間がクリエイティブでないと面白くないと思って、それぞれが好きな曲に合わせて準備した衣装でカラオケ大会をしたり、学級活動の時間を使って様々なことをしていました。

そういうことをしていたら先生に「どんなテレビを見ていたら、その発想が生まれるの?」と聞かれたのですが、その当時の私はアニメやドラマくらいしか見ていなくて。「ニュースは関心ないの?」と聞かれたのですが、私の両親はそこまで教育熱心ではなかったし、自分では報道系の番組は世の中の怖いことを見せている感じがして、見ようともしていませんでした。

「ニュースというのは、全く知らない世界の情報をつなぐもので、美穂さんはどんな立場の人でもみんなで一緒に楽しみましょうというスタンスを持っているから、輪を超えて色々なことを知ったり、それを伝える仕事が向いていると思う。ニュースの向こう側の仕事が向いているんじゃないかな。」と言われたんです。

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小学校時代の美穂さん(左)

まだ幼かったので、カメラマンやディレクターなど放送を作っている人の存在は分からなくて、海外から中継放送をしていたリポーターだけを見て「この人は海外で、自分でこれと思ったものを自分の言葉にして伝えているのだ、なんてスーパーウーマンなのだろう」と究極にかっこいい仕事だなと思って、それ以来1度もその想いはブレませんでした。

小学5年生の終わり頃に、父親の急な転勤でアメリカに行くことになったんです。当時英語が全く分からなくて、アルファベットに「A」と「a」がなぜ2種類もあるのか疑問に思うようなレベルでした。
でも私は夢に近づくためにアメリカへ来たのだと小学生ながらに考えていて、苦労しながらも描いた夢は“日本でニュースキャスターになる”ことでした。そのために海外を知りに来ているのだというつもりで、アメリカ生活を送っていました。 

「どうしたらテレビ局に入れるのかが、最重要要素だった進路選択」

WI鈴木:自分が主体となって動くことを幼い頃から体現されていたんですね。日本へ帰国されてからの大学選びなどはどうされたのですか?

美穂さん:中学3年生の時、現地の高校に進学が決まったところで帰国が決まりました。やっと馴染んだところなのにと思いましたが、帰国後は公立中学校に入りました。でも帰って来たときには既に夏で、周りはすっかり受験モードだったんです。親には塾に行って背伸びをして入る私立の高校よりも、ありのままで行ける都立の高校を薦められました。

その時、自分の行きたかったテレビ局について調べ、大学別のテレビ局入社者数が載っているサイトを見ました。トップは東大、慶応、早稲田が占めていました。そのどこかに行かなければならないと思い、高校から入れる慶應に入るために塾に行きたいと親を説得し、合格しました。高校でもやはり何かを企画することが好きだったので、テレビの仕事に対する意欲も全く変わりませんでしたね。

そこで慶應の中でも何学部が1番有利なのか調べたのですが、ネットでは有力な情報が出てこなくて。それでも色々と調べているうちにフジテレビの就活イベントを見つけて応募し、参加しました。質疑応答の時間に、周りは全員リクルートスーツの中で高校の制服で手を挙げているのがとても目立ったようで質問の機会を頂けました。

「この会社には、何学部を出たら1番入りやすいのですか?」と1番聞きたかったことを質問したところ「高校での頑張りはあまり就職と関係ないが、何かしら文系でのプロフェッショナルなことがあると良いから、文系で1番難しいところに行けば良いのではないか」との答えが返ってきたんです。私は当時、メディア系の会社に入らなくてもメディアとの関わりが持てるということを理解していなくて、いかにテレビ局に入るかということだけを考えていました。
その結果、法律やルールは嫌いだったのにも関わらず、慶應義塾大学法学部法律学科を目指し、入学しました。

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「30か国近くを巡った大学4年間」

佐々木:夢を叶えるために、今すべきことを着実に積み重ねられてきたような気がしました。幼少期からアクティブな美穂さんですが、大学時代は何に夢中になっていましたか?

美穂さん:大学時代はダンスサークルに入っていたのですが、自分が出るよりもプロデュースや広報の方が好きだったので、広報をしていました。TBSの番組に突撃し宣伝させてもらったこともあったのですが、メディアに出ると集客が予想以上で、その時やっぱりテレビは面白いと感じました。

バックパック旅行もしていて、バイトでお金を貯めては旅行へ行く。4年間で合計30か国ほど周ったのですが、ラグジュアリーなところよりも、インドのマザーテレサの家といったところの方が好きでした。このように世の中には実際に行ってみないと分からないことが沢山あるけれども、全員がそれを体験することはできないですよね。本や新聞、インターネットでは能動的に探しにいかなければいけないけれども、たまたま見て「こんなところがあるのか」という発見だったり、「これを支援したい、こういう仕事したい」と思うきっかけを作るような仕事がしたい。短いニュースよりも人の心を動かすことができるようなドキュメンタリーに魅力を感じました。

「自分が伝えたいものを伝える」ということが鍵なので、伝える人は自分でも他の人でも良かったんです。日テレに内定してから「大学は卒業さえすればいいから、何かなにか誇れることをやってきてください」と言われました。そのプレゼンが配属先に影響するとの噂だったのですが、私はどうしても取材がしたいし、人に会いたい。そうでなければテレビ局に就職する意味がないとまで思っていました。

日テレでは何が起きても、まずは日本国内のニュースが優先なので、それを他人事だと思わないためには日本各地に友達がいることだと思ったんです。そこで青春18切符で全都道府県県日本縦断という企画を出しました。その時、私のチューターが「電波少年」を作ったプロデューサーで「それって普通の旅人だよね」と言われて、このままでは現場に行けないかもしれないと危機感を抱きました。それならママチャリで『ただいま日本全国縦断中』と掲げれば、地域の商店街でも話しかけてもらえたり、ローカルな気持ちになれるかなと思って、企画を出したら通りました。

日本縦断旅で出会った625人からもらった、7冊分の言葉たち」

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日本縦断をしていた際の美穂さん(左)

美穂さん:日本縦断中は、その日会った人の家にタダで泊めてもらう代わりに、お仕事半日手伝いますというシステムを取ってました。基本的にはサラリーマン以外の家に泊めってもらって、教師だったら授業に立たせてもらったり、おせんべい屋さんだったらおせんべい一緒に焼かせてもらったり。

全部突撃だったけど、毎日そういうことをさせてもらって、その日出会った全ての人に1番大切にしている言葉をノートに書いてもらい、合計625人で7冊分になりました。

印象に残っているのは、暴力団の人から『人間づきあい今日が最後だと思え』ってメッセージをもらったこと。「明日はないと思って人間つき合いをするのが俺の流儀だ」って言っていて、カッコいいと思ったのを今でも鮮明に覚えています。そういうコミュニケーションの取り方をしていたので、言葉とセットでその人のことを覚えていて、ほとんどの人を覚えているんです。ポジティブな言葉ばっかり集まって、やはり改めて人っていいなと思ったんです。

人が好きだから、生き様を伝えていきたい。人それぞれ大切な思い出があって、やりたいことを仕事にしてるんだと感じました。「トラック野郎」ってメッセージをくれたトラック運転手さんは、同名の映画に憧れ、物心ついた時からトラック運転手になりたかったそうで。私がそれまで思っていた「いい大学を卒業し、いい会社に就職するのが幸せだ」という価値観は本当に間違っていたな、ごめんなさいと。

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どの仕事がどうとか、お金があるからいいとか、そういう訳じゃない。幸せってはかるものじゃないっていうことを心の底から感じて、色々な人の生き様や喜怒哀楽、ぶち当たってしまった困難をいかに乗り越えるか。そういうことを伝えたくて、VTRを作ってプレゼンしました。その後、入社をして研修を経て、結果として、晴れて報道に行けました。

私はディレクターとして番組を作りたかったのですが、12年間ずっと記者として行政、政治関係や皇室などを取材していました。1人1人にフォーカスしても社会全体はそう簡単に変わらないから、もっと社会の仕組みを学んだ方が良いと上司からよく言われていたんです。全国を飛び回るスーパーウーマンになるはずが、本来全然興味のない記者クラブに配属され、永田町や霞が関へ。

そうは言っても、記者以外の仕事も企画さえ通ればすることが出来ました。こんなに番組を作ったり企画を出している記者は周りにいなくて、同僚に支えてもらいながらだいぶ自由にやらせて頂いていました。取材していいなと思ったことを膨らませて楽しんでいました。

「利己的か利他的かでも圧倒的に変わる」

岸野:想いを自分なりにカタチにした企画を、通すコツやポイントがあれば教えて下さい。

美穂さん:自分がやりたいことよりも、その人も一緒にやりたいと思ってもらえること。誰かのため、もしくは社会のためであるのが絶対に大事で、利己的か利他的かでも圧倒的に変わると思っています。自慢ではないですが、日テレで出した企画でどこにも放送できなかったものは1個もないんです。

これを伝えたい!という想いでやれば通じると思っています。放送したいと思ったものを1個断られてもめげず、色んな枠で出して、手段や枠にとらわれずに企画する。3か所くらいに出せばどこかしらで通るんです。企画を実現させる場所、ニーズがある場所を探していけば、自分の問題意識に共感してくれる人は必ずいます。枠にとらわれずにやれば、できないことなんてない。日テレではマギーズ東京の設立や難しいと言われたので、社外でやることにしただけなんです。てことは、マギーズは唯一日テレで通らなかった企画かもしれないね(笑)

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アメリカ時代の美穂さん(中央)

WI吉田:沢山の経験を積み重ねられてきたと思うのですが、その中でも特に忍耐力や、行動力が身に付いた経験をあげるとしたら何かお聞きしたいです。

美穂さん:アメリカにいた時代が苦境で、英語が全くできない人が学校に私しかいなかったんです。普通の公立学校だったのですがスパルタ教育。宿題が終わらないまま学校に行ったら寒い廊下で終わるまで全部やらされるのですが、英語もわからないから全部翻訳してやらなければいけなくて。

でも、認めてもらうにはやるしかない。ここで日本人学校に移ってしまうとテレビの仕事が遠くなると思ったから、やらなきゃいけないときにやらないとだめだと小学生なりに思って歯を食いしばって勉強しました。

「どんな人でも、1つ1つの行動に行き着くまでにきっかけがある」

原:もし日本縦断旅の時のノートを、今の美穂さんが受け取ったらどんな言葉を書きますか?

美穂さん:差し出された人にもよると思うけれど、学生に対してだったら『夢は具体的に想像さえできれば、実現できる』って書くかな。自分がそれをやっている姿を想像さえできれば、具体的な行動も全て分かる。例えば必要な人を訪ねて一緒に巻き込むとか。今でも自分に言い聞かせている言葉なんです。

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WI鈴木:世の中には悪意を持って接してくる人も多くいると思うんです。そういった人たちと社会上、関係を持たなければいけないとき、どのように接していますか。

美穂さん:記者時代には、死刑囚や容疑者などと関わる機会がありました。私は性善説を持っているので、まずはその人の立場になって考えてみます。どんな人でも、1つ1つの行動に行き着くまでにきっかけがある。生まれ育った環境や教育などグレてしまうまでの何かしかの経験、傷を絶対持っているんです。行動だけを切り取って見ると悪い人で、もちろんその行動は絶対に許せないけれども、その人自身をまるまる憎むのかというと、そうは思いたくなくて。

がんもそうだけど依存症も、自分の意思とは裏腹にそうなってしまうこともあるから、その人の立場を想像して接します。そうすると、ただただ貶したり、否定するだけでないコミュニケーションの取り方で取材ができると思うのですが、それは人間関係でも同じことが言えます。だからマギーズも「Hug you all」、「みんなの人生をまずは抱きしめる」というコンセプトでやっているんです。生まれてから1度も苦しみや悲しみを経験してない人はいません。悪い行動をしてしまったり、誰かを憎んでしまうきっかけになった出来事をその人の気持ちになって想像するんです。その人が何を求めているのかを考えると、その人の役に立つことができるし、反対に私が必要だと思ったときに助けてくれます。

(文:天野翔太・川上涼帆・座間琴音・清田真尋・山口璃々、構成・編集:大山友理)



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