【まちと人のマッチング “オンラインコミュニティ”始まります!】
大学前にあるイチョウ並木が最高に色付いている今。懐かしい気持ちに記憶を思い出させてくれて、私にとってラストティーン最後の1ヶ月でもあるこのタイミングでローンチを決めた「まちと人のマッチング “オンラインコミュニティ”」。
来週から始まるオンラインコミュニティメンバーによるコラム『私のふるさと語り』を前に、これまでのウーマンズと今の想いをギュッと詰め込み、今後の展開まで代表の私大山が紡ぎます。
活動のカタチの変化といつも隣り合わせにあった葛藤
私が当時通っていた塾の友人3人とともに、2017年の4月に立ち上げたウーマンズ。
ウーマンズを立ち上げるまで自分の意志で足を動かしているようでいなかった私は、メディアから発信される「女性活躍」という言葉を鵜呑みに、働くことだけが善だと思い込んでいた時期がありました。(その当時の葛藤は今からもう2年ほど前になってしまう高3の終わりに書いた新体制発表にも綴っています。)
その思い込みは活動を展開していく中で、働くことだけが全てではないこと。そしてどんな生き方であっても、その人自身にとって“自分を生かす生き方”が認め合える流れになったら…という想いに変わっていきました。
それからはまず多様な生き方をしている女性たちに出会い、私たちメンバーが発信することで、情報を欲している1人でも多くの人のもとに届けていきたいと活動の軸、活動形態、コンテンツ内容まで全てガラッと変わりました。
その一方で、続ければ続けるほど想いが積もり、提案型のコミュニティでありたいのにそれが叶わない。そんなもどかしさがいつも私の中にありました。
最近石の上にも3年という言葉の本質がやっと分かるようになったものの、応援して下さる大人や先輩後輩、友達から「何でそこまでウーマンズに夢中でい続けられるの?」と聞かれる度に、自分の中で“これ!”という理由を答えられずにいました。
自分で自由にメンバーでいる期間を決められてかつ踏み込む経験ができる学生コミュニティでありたいという私の個人的な願いもあって、所属しているメンバーが毎月のように変わるほど流動的なウーマンズ。
そうはいいながらもこの10月からは私含めて3人体制でコンテンツを制作し、実行していることもあってなかなかチームとしては不安定。でもその不安定さが増せば増すほど、今このタイミングで所属してくれているメンバーとともに楽しみながら進んでいきたいという気持ちが強まって、アドレナリンが止まることなく、ただただウーマンズを走らせることに目が向いていました。
(強がりな私はいつもメンバーの前で泣くのを堪えてしまうけれど、メンバーが卒業した夜は、いつも寂しくて目がパンパンになるぐらい家で泣いています…😭でも毎回その寂しさと向き合うのも心が持たないから、所属期間が被っていないメンバー同士の交流ポイントを作りたいという想いを込めて、元メンバーの近況覗き見コラムを始めました!)
自分でキャパを管理していたけれど、教授と卒業生が断言するぐらい課題が多いと有名な大学に通いながら、長期インターンをし、いつも好奇心の赴くがままに飛び込んでいく私。その一方で、幼い頃から親戚と“いとこ会”があるほど、家族ありきで育ってきた私にとっての大きな居場所の1つだった家族と過ごせる時間が短くなり、夜中までパソコンをカタカタする暮らし。
毎年恒例のいとこ会(母方の祖母家族)では、
親戚が30人近く集まり、みんなで旅行していました🥺
時に自分を追い込んでしまうほど、ウーマンズを守りたいと思える理由がよく分からずにいたけれど、初心に返ったことで見えた景色がありました。
街のカルチャーを作り出していた“私のおばあちゃん”
その背景にあったのは、私が物心ついた頃から「憧れの人」を聞かれると即答していた、私のおばあちゃん。
おばあちゃんは街の人公認と言っても過言ではないぐらい、「街のロールモデル」。家族にも弱音を吐くことなく、いつも笑顔で安定していてどこまでも完璧人間。
「完璧人間すぎると自分と違う世界に生きる人」と思われがちだけれど、おばあちゃんにはどこか人間臭さがあって、それも含めてみんなから愛される人であり、女性であり、奥さんであり、お母さんであり、経営者であり…。
私にとって接客業のプロフェッショナルな背中を見せてくれたのも、そばにいてくれる人たちと関係性を深める方法も全て教えてくれた存在。両親と祖父ももちろんですが、生きていく上でのベースを教えて整えてくれたおばあちゃんありきで、今の私、そして私とセットでウーマンズがある気がしました。
ブティックにレストラン経営をしつつ、目の前にいる人にどこまでも寄り添い続けていたおばあちゃんは、私が高校生の頃に認知症を発症し、何も分からない状態に。もうおばあちゃんを取材することは叶わなくなってしまったけれど、メディアではなかなか取り上げられていない“街のカルチャーを作り出す大きな役割を果たしている女性たち”に出会いたい。
立ち止まって振り返ったことで、本当の意味での多様な女性のロールモデルを発信しきれていないからこそ、ウーマンズをどこまでも突き詰めたくなるように思えました。
好奇心の矛先で実験できる場所“長野”
そこでウーマンズのコンテンツに出会って下さる方々1人1人にとって、
“全国各地に会いにいきたいと思える人、遊びに行きたい街が増えていくように”という想いを込めて展開していこうと決意を固め、
この夏、自分の目で確かめに行こうと向かった先は、私のふるさと宮城の同じ街出身の友達、思季が暮らす長野。
街を愛するオーナーさんの想いが詰まったゲストハウスを拠点にしようと、1166バックパッカーズさんに泊まり、2泊3日というスケジュールで旅行しがてら、オンラインコミュニティの可能性を探りに行きました。
初日は軽井沢へ。
ラグジュアリー&ライフスタイルを志向したホテルを開発およびマネジメントを手がけられているSAVVY Collective(サヴィーコレクティブ)代表取締役CEO 浅生亜也さんのご自宅にお邪魔し、取材。
東京と軽井沢の2拠点生活をされながらも、軽井沢でしか味わえない暮らしを夫婦で楽しまれている姿に出会いました。
2日目からは、私の生まれた街が地元という共通点もあり、ご縁が巡って出会った友達、川向思季(NPO法人 青春基地・信州・学び想像ラボでインターンしている長野県立大2年生)がツアコン🤝この日は善光寺近くを案内してもらい、そこにしかないお店や場所へ足を伸ばしました。
朝ご飯はCAFE BARBARAで、店主さんの想いがギッシリ詰まった定食。卵が食べれない私にイカ焼きをサービスしてくれた店主さん。(お水をこぼして焦らず、「ああ涼しくなった!」と言った私を見て、思季と店主さんは一緒に大爆笑😂)
思季のFacebookを見てずっと気になっていた「服から服へ服を引き継ぐ」をコンセプトに、8月末に古着屋Triangleをオープンする準備をしていた松前桃子ちゃんと思季の対談も実現!
3日目は、栗で有名な小布施と、思季がインターンしている信州・学び想像ラボへ。
綴ると止まらなくなりそうな時間を過ごせた3日間で出会えた、家族や自分の豊かさに向き合う人たち。この日を境に、私の中で『まちと人のマッチング“オンラインコミュニティ”』が始まりました。
メンバーは、メディアで取り上げて頂いた際に、私が口にしていた想いを受け取り、共感してくれた北海道、山形、宮城でそれぞれ暮らしている大学2年の3人。
応募フォームで募っていなかった中でも、連絡をくれた3人とウーマンズオンラインコミュニティのベースを作りながら、その拠点を広げていきたいと思っています!
まちと人のマッチング “オンラインコミュニティ”のコンテンツ
■街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る『私たちのまちの自慢人』
■そこに住んでいなければ見えない景色をオンラインコミュニティメンバーが綴るコラム『私のふるさと語り』
■オンラインコミュニティメンバーがツアコンとしてプロデュースする旅行ツアー『ふるさと自慢ツアー』(コロナ収束後に始まります!)
生の声を生かす活動を展開しているウーマンズだからこそできる。
そう確信できたタイミングで解禁しました。
これまでウーマンズメンバーが展開してきた活動は継続しつつ、進めていくオンラインコミュニティ。
メンバーにとって最初の活動は、来週から毎週日曜に更新するコラム『私のふるさと語り』。
これまで見えなかった景色に出会える場所を作っていくウーマンズを、これからも変わらず応援して頂けたら嬉しいです🕊
いつも沢山の方々の応援ありきで活動できています、ありがとうございます^^サポートは活動費(イベント開催)に使わせて頂きます🥺サポートという形でも応援頂けたら嬉しいです!