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私の「夢」のモヤモヤの歴史 │ 夢とかやりたいことってなんだ?第1回

以前、パナソニックのオウンドメディアq&dで「夢」「やりたいこと」についてのモヤモヤを対話していく記事を書きました。

今回「夢」や「やりたいこと」をテーマに選んだのは、私が長年モヤモヤしてきたテーマだから。そしてこの気持ちは、少なからず他の人も感じてきたことなんじゃないかと思ったからです。

書き終えて感じるのは、もっとこのテーマについていろんな人と対話してみたいということ。その対話のきっかけとして、記事では書ききれなかった私の「モヤモヤの歴史」をnoteで書き記していこうと思います。

みなさんは、「夢」「やりたいこと」へのモヤモヤはありますか。

「夢」の迷子になった瞬間

今でこそ「社内起業家OL」とか言っているものの、「将来の夢は特にないんです」と言い続ける期間が、中学生~大学3年生ぐらいまでありました

それ以前、小学生の頃の夢は「漫画家」「デザイナー」でした。理由は、小さい頃から絵を描くのが好きだったから。絵が得意=漫画家・デザイナーがぴったりだと信じていました。

だから、中学校に入学してすぐ迷うことなく美術部に入り、毎日のように絵を描いていました。でも次第に絵を描くモチベーションが保てなくなり、日に日に強まったのは「自分に漫画家やデザイナーは無理だ」という思い。結局美術部にはどんどん行かなくなって、半年後には別の部活に移ってしまいました。

じゃあ、次の夢を探さなきゃ。なんだかそんな焦りを感じて、職業図鑑の本を手に取った記憶があります。でもそこに興味惹かれる職業は見つからなくて、「ああ、私には夢がなくなってしまったんだ」と喪失感のようなものを感じました。

学校生活と「将来の夢」はなかなか切り離せなくて、例えば英語の授業で"I want to be…"を使った英作文のために将来の夢を書かないといけなかったり、作文コンクールの題材だったり、進路指導で聞かれたり、「夢」を問われる瞬間が日常的にあります。

そのたびに私はなんだか「あるべきものがない」自分が情けないような、恥ずかしいような思いを感じていました。

やりたいことは「夢」と違うのか?

高校3年生のときに学校で「卒業面接」があり、学校生活で頑張ったことを振り返ったり、卒業後やりたいことを数百字で書いてまとめたりする機会がありました。そのとき私は改めて「夢」「やりたいこと」と向き合うことになります。

当時夢中になっていたことは、美術部の次に入ったバトントワリング部。当時の部活はコーチもおらず、大会にも出ていない小さなチームでした。顧問も部員に運営を任せてくれていたので、次の舞台の企画から、練習の計画、指導、楽曲編集、衣装の購入や手配、オリジナル部活着の制作まで、部長だった私が全領域を自分で担当していました。

このとき感じていたのは、もちろんバトントワリングという競技自体も好きではあるけれども、本当に部活が好きなポイントは別にあるのかもしれない、という思い。

部活に夢中になれた理由を自分で考えてみた結果、「0→1で新しいものを作って形にする」という共通項が自分の中に浮かび上がってきました。美術部ではこのサイクルをうまく回せなかったから、続かなかったのかもしれない。

0→1で新しいものを作って形にすることが一番ワクワクするし、これを一生続けられる人生を送りたい。これが明確に自分の「やりたいこと」だ、と自分の中でも腹落ちしました。でも、ここでよぎったのは「これって"将来の夢"になるの?それとはちょっと違うんじゃないか?」という疑問。

私が思っていた将来の夢のイメージは、学校の先生になりたいとかサッカー選手になりたいとか、大人になったときにどんな仕事をするかというもの。今の想いだけでは「夢」ではなくて、仕事や職業名に落とし込むステップが必要になると考えていました。

どうやったら仕事に繋がるのか考えたくて、再度職業図鑑を開いてみたものの、「新しいものを自分で作りたい」に繋がる職業は、当時残念ながら載っていませんでした。

仕事に繋げないと夢と呼べないなら、私の夢はないことになってしまう。

やりたいことは見つかったけれど、これだけじゃダメな気がする。やっぱり自分には夢と呼べるものはないのかも、と私はさらにモヤモヤしてしまった。

「夢」の評価で人生が決まる?

「夢」のモヤモヤは大学でもずっと続いていて、(自分が世の中の仕事に関して無知だった反省もありますが)なかなか仕事に繋がる「夢」が見つからなくて、自分の「夢」を語れない時期が続いていました。

そんな思いを抱えているのは私だけではないと気付いたのは、就職活動を意識し始めた頃。友人から「将来やりたいことが見つからないんだよね」「将来の夢がないんだけど、どうしたらいいんだろう」という声を聞くことが急に増えました。

いよいよこの悩みが周囲でも顕在化してきたのは、「夢」を問われ、評価され、それで人生が決まってしまうような焦りを感じさせられる場面が増えたからだと思います。

就職活動の面接では、自分の夢ややりたいことをアピールしないといけない。それ以外でも、企業や学生団体のイベントで「夢を語るコンテストに参加しませんか」という案内を受け取ったことがあります。

夢を語れる人がそれを外に出していくことは素敵だと思いますし、企業がマッチング性を測るために夢ややりたいことを聞くことは理解しています。でも、「評価される夢がないといけない」と思ってしまう今の空気感には強い違和感があります。

夢って、競うものなんだっけ。夢がないとダメなんだろうか。しかも評価されるものが言えないといけないって、誰が決めたんだろう。

そんな疑問から、q&dでは「夢観」を問い直し、考えてみることにしました。対話をしている私は、決して「社会的意義のあるキラキラな夢を掲げる社内起業家」ではなく、夢に悩まされ、モヤモヤを抱えてきた一人の人間です。

そもそも「夢」「やりたいこと」ってなんだろう。

いろんな人と、一緒に考えたいなぁ。


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