家族留学がコロナでめちゃくちゃ 第5話 大学選び・出願・合格まで
IELTSで目標点数に到達した後も、オーストラリア家族留学実現までさまざまなハードルが待ち受けていた。本記事では大学選びから合格までの経緯を記し、コロナ禍の中ようやく学業が開始できるまでを綴る。
家庭、仕事、懐事情
語学力という筆者(夫)個人のスキルについて2話も費やしたので、ここで少し広い視点に戻って、家族留学を取り巻く周辺の状況にもごく簡潔に触れておきたい。まず家庭環境については、そもそも夫婦の夢が一致して二人そろってオーストラリアに留学したいというところがこの話のスタートなので、社会人留学につきものの「家族の理解を得る」というステップは最初からクリアしていることになる。それでも、妻と夫それぞれの実家に対して、盆暮れ正月に必ず顔を出すというわけにはいかなくなることとか、仕事や生活は心配ないように計画しているのだとか、そういったあたりをきちんと説明して安心してもらうことは必要だった。そしてもう一点、実は家族留学を目指し始める以前から待望していた第一子を、コロナ前最後のオーストラリア旅行の直後に授かっため、このときから家族留学は「夫婦」ではなく「親子3人」のクエストとなった。もちろん、生まれた子供にとっても家族留学の環境が大きな財産になるはずだという夫婦の価値観も一致していた。
夫の仕事については、留学が確実となった場合に一年間だけ休職する形で数年がかりで内々に調整してきており、幸いにも多くの理解と後押しを得て実際の手続きと引継ぎはスムーズに進めることができた。オーストラリア現地で履修しなければならない単位はこの一年間で済ませて、復職後オンラインで履修できる部分を仕上げるという計画だった。現実は計画の通りにはいかず、実際には休職と重なるタイミングでコロナのワクチン不足に足止めを食らうことになった。渡航制限の延長が延々と繰り返された結果、ついに認められた休職期間内に留学内容を全うすることが叶わなくなり、家族留学完遂のためには退職を選ばざるを得ない状況となる。このあたりの状況については「近況アップデート」として以前の記事に記してきた通りだ。夫婦で再び話し合い、ありがたくもお引き留め頂いたのを固辞して十数年の勤め先を退職したのは、ようやく渡航がかなった矢先というタイミングだった。ちなみに妻は家族留学を考え始める少し前に専業主婦になっていたため「留学目的の仕事の調整」というハードルは一足先にクリアしていた。
もう一点の懐事情を明け透けに話すのも恥ずかしいが、留学を考え始める前に家を買おうなどと思って頑張って貯蓄していた時期があり、オーストラリアの学生ビザ取得にあたって必要な資金証明を貯金だけでもぎりぎり賄える程度のたくわえがあった。ただ、渡航して学費と家賃と生活費を出したらすっからかんというわけにいかないので、学生ビザで許容された範囲内(通常はフルタイム勤務の半分まで)でアルバイトをしながら生活費を補充する予定でいた。修士の学生ビザの場合はパートナーがフルタイムで勤務することが認められており、いざというときは妻がアルバイトをするという選択肢もあったが、子供をデイケアに預けなければならないことや、生活費稼ぎに追われて学業ができなくなれば本末転倒だといった心配から、最後の手段という認識でいた。現実には渡航後無事にアルバイトを見つけ、卒業までは貯蓄と夫の収入で生活を維持でき、卒業後は夫がフルタイムの仕事を貰ってようやく生活が安定してきた……という状況で現在に至っている。
何の教科の先生になるのか
様々な調整と並行して、実際の大学選びと出願の作業が少しずつ始まっていった。以前の記事で述べた通りMaster of Teachingを開設している大学はAITSL(オーストラリア教職・学校運営研究所)から一覧が取得できる。数多あるティーチング修士の中から既にいくつかの候補を絞り込んではいたが、最終的に大学を決めるにあたって無視できないのが「授業担当教科(自分が大学で何の授業を受けるかではなく、将来教壇に立った時何の先生になるのかということ)」だった。Secondary School(中学高校に該当)の専攻では授業担当教科をおおむね2つ選択することになる。この2教科は学部(日本の四年制大学など)で履修した内容と連続していなければならない。例えば文学部を出ていて数学関係の単位はほとんど履修していないのに、オーストラリアでいきなり数学の先生になりたいといってもそのままでは通らないようになっている(後述するように抜け道がある)。どんな単位を履修していればどんな教科の先生になれるかについて、例えばNSW州の場合次のような概ねの評価規準があり、大きくはブレないはずということになっている。
しかし実情としては各大学がさらにそれぞれのルールを持っており、ある大学が認めてくれない単位を別の大学は認めてくれるということは大いにありうる。問い合わせてみても、実際に出願してくれなければ教えられませんというけんもほろろな回答が来る大学もあれば、出願前に予備審査のような形で履修単位の判定をしてくれる大学もあった。
筆者は十数年以上前にとある人文国際系の学部を卒業したが、地域近現代史や言語・言語教育、西洋哲学史から現代思想などの履修を経て最終的に科学思想史というゼミの末席で卒業論文を書いた。これらの履修単位を照らし合わせると、いわゆる社会科の先生になるために十分な単位を持っているはずという見込みだった。母校から取り寄せた英語版の単位証明書を、目星を付けていた大学に片っ端から送って返答を待った。待てど暮らせど返事のない大学もある中で、例えば教育系の評価が高いと言われるウロンゴン大学からの返答は次の通りだった。
表中に見えるKey Learning Areaがいわゆる授業担当教科のことだ。Nil Requiredとは追加履修不要の意なので、筆者の履修単位ではSociety & CultureおよびEnglishを充足するが、Modern Historyには不十分という評価になる。これは学んだ内容を知っている当事者からすると実はちょっと変テコな評価だった。あくまで第二外国語として学んだに過ぎない英語の単位をもって母国語教育のEnglishを教える適性があると見做される一方で、学部での中心的な修学内容の一つだった地域近現代史の多数の単位がModern Historyの教師として教壇に立つには不足とされ追加で3科目も履修しなければならないと判定されたのだ。それぞれの科目の学習内容を説明した文書まで添付したのにこのような評価内容だったため、表面的な履修科目のタイトルと単位数しか見ていないのではないかと若干疑っている。これ以外の様々な理由もあるが、結論を言うとウロンゴン大学には出願しなかった。
日本語力を証明せよ
さて、授業科目を2つ持つのがスタンダードであると記したが、広い意味での社会科の他にもう一科目を選ぶ必要がある。よく聞くパターンは日本語の教師になるというもので、筆者も「社会科と日本語の先生」というコースでの履修を想定して大学探しをしていた。ところで、国文学部卒等でない限り大学での履修内容に十分な数の「日本語」の単位が含まれるということはあまりない。「日本人というだけで日本語の母語話者に決まっている」という考え方は必ずしもされず、国籍が何であろうが大学で専攻したレベルの日本語力と文化理解があることを何らかの形で証明せよという出願要件は珍しくなかった。
この要件をクリアするための方法の一つとしてビクトリア州が実施しているものにStatement of Equivalenceというものがある。これは日本研究専門の教授などが在籍する一定の大学に依頼して小さなテストを行い、日本語力と文化理解をアカデミックな検査結果として担保してもらうものだ。これを提出することで、学位や単位としての日本語の学習履歴がなくともそれと同等以上の力がある、よって「日本語教師」となるためのトレーニングを受ける適性があるということを証明できる。これがビクトリア州以外の大学でも受け入れてもらえるかは各大学のポリシー次第と思われたが、州内のいくつかの大学も念頭にあったし持っていて損はなかろうとの判断で、筆者はLa Trobe Universityとのビデオ通話でのテストを選択した。
事前に入手できたテストの内容案内には「日本の文学や社会文化理解について数ページの簡単なプレゼンテーションを行う」と書いてあり、事前に準備するべきかどうかも指示がなかったが念のために多少何か用意しておこうと思って書いたのが次の2枚だ。
当時興味があって図書館で借りて読んでいた『歎異鈔』やその関連書籍と思想についてプレゼンテーションすれば文句なく「日本文化」だろうと思って選んだものだ。現代における意義までリーチしているからレファレンスを付ければちょっとしたアサインメントにさえ発展させられそうな勢いだ。
こんな準備をして臨んだアセスメントだったが、オーストラリアによくあるパターンで当日の実際のテストはずいぶん違う内容だった。口頭試問はビデオ通話でのやり取りで十分評価できるということでほぼ省略、筆記試験は新書程度の内容の日本語文章(1~2行のもの2題と一段落のもの1題)を英訳する「読解」と、論題に応じて400字程度の小論文を書く「作文」から構成されていた(残念ながらテスト受験時の誓約により問題や解答そのものは掲載できない)。「読解」のほうは日本語ネイティブからすれば英訳力を試されているに等しい内容だったが、意地悪なほどの珍語が含まれるようなものではなく、自然な日本語らしい日本語を英語の表現に落とし込むのに工夫が要るかなといった程度だった。他大学のStatement of Equivalenceテストも概ね同様の内容ではないかと推測される。もちろん合格点をもらって無事Statement of Equivalenceを習得し、日本語の先生候補として様々な大学のMaster of Teachingに出願することが容易になった。
大学選びの終盤には、出願や問い合わせをした大学はビクトリア大学、キャンベラ大学、オーストラリアンカソリック大学、ウロンゴン大学、ニューイングランド大学の合計5大学に及んでいた。このうち前三者は入学可、ウロンゴン大学は前述の通り履修単位にケチがついた状態で入学可、そしてニューイングランド大学からは既習単位での入学は不可との判定を受けた。これらの候補の中から、妻の野生動物保護に関する経験が積みやすいことや知人との距離の近さといったファクターでほぼキャンベラ大学に絞り込み、学費を支払えばCoE (Confirmation of Enrolment)を発行してもらえる、あとは最終決定をするだけというところまでいって、ダークホースが現れた。
チャールズダーウィン大学
以前の記事で「様々な大学をくまなく調べていたことで、後に素早い意思決定ができた」と記したが、それはこのチャールズダーウィン大学への留学を決断した経緯のことを言ったものだ。チャールズダーウィン大学(CDU)のメインキャンパスはノーザンテリトリー(北部準州)のダーウィンにあり、旅行でよく知っているニューサウスウェールズ州とは距離・気候・文化を含めたあらゆる点でかけ離れた地域だ。まさかダーウィンへ留学することは毛頭念頭になかったのだが、CDUのMaster of Teachingは通常60日程度が主流の教育実習(というより学校インターン)を80日もやるという点で突出していたのが印象に残って覚えていた。このCDUが、コロナで国境再開の見通しが立たない中、チャーター便を飛ばして留学生を特別にオーストラリア本土へ迎え入れるという発表があった。2020年末にもチャーター便をシンガポールから一便飛ばし、入国後の留学生を隔離施設で過ごさせてから授業に合流させた実績があった。
このニュースを受け、ウェビナーに参加し、ものは試しと出願してみたら驚いた。あらゆる大学が問い合わせの回答で著しく遅滞する中、CDUは一日以内に返答が返ってきた上に、ごちゃごちゃと但し書きをつけずすんなりと一言「受け入れ可」という内容だったのだ。さらにかつてのリサーチでCDUの教職修士の単位構成も頭に入っていた。CDUでは、大学学部レベルで一切学んだことがないような教科領域であっても、標準単位数のうち20ポイントを関連する単位に切り替えることで、追加単位なしで専攻できてしまうというチート技のようなカリキュラムを組んでいた。他でも似たような制度はあるが、筆者の知る限り標準カリキュラム外の追加単位で対応するのが常だ。ところがCDUでは前段で述べたような、「学部でいっさい数学の単位を取っていないのにマスターで1セメスターだけ数学を学んで数学の先生になってしまう」というシナリオが実現可能なのだ。実際に入学希望者のオンラインセッションで「二科目目として例えば音楽のようなかなり特殊専門性の高い教科も選べるのか」と直接訊ねたところ「うん、いいよ、じゃあ君は将来歴史と音楽の先生ね」くらいの軽いノリで了承されてしまった。
ウロンゴン大学の緻密な単位読み替え手続きやニューイングランド大学の塩対応とのあまりのギャップに再び驚いたが、とにかくチャーター便の報に藁にもすがる思いで飛びついたことと、一連の対応の素早さ、カリキュラム上の利点から、土壇場でチャールズダーウィン大学への入学を決断した。このときは、チャーター便の就航許可が連邦政府から延々と引き延ばされることをおそらく誰も予見していなかっただろう。とにかく初回の学費を支払い、CoEの発行を受けて長大なフォームを埋めて学生ビザを申請し、渡航準備だけは整えて「チャーター便までの暫定的な」オンライン授業を受ける日々が始まった。
次回の第6話では、大学の授業内容を踏まえつつ国境再開待ちの期間を振り返り、また念願の渡豪から現地生活についても記す予定だ。第6話の中盤が、この連続記事の第0話を初めて執筆した時点(2021年7月)につながることになるだろう。
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