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感度をあげる→直感・直観力をあげる秘訣。(料理上手はアレ上手なワケとこれからの時代に必要なニュータイプ的感性)


不思議なんだけれども
直感はりきんでいる時より
緩んでいる時の方がでてきやすい。

考えて考えてひねり出している時より
ふっと力を抜いた時の方が
アイディアがわいてきたりする。

降りてこい降りてこいと
思っている時より、
執着心がなくなった時の方が
言葉が降りて下りてきやすい。

*「ちょっかん」は直感と直観があり
どちらも本能的な意味合いを持つが
直感のほうが推理や思考を
挟まない感覚によって判断する
意味合いを持つ点で、ここでは直感と書く。



*****


感度とは外界からの何かしらの情報を
五感・全身で受け止める度合いのことだが、


この感度の状態が直感力・インスピレーションに
つながっていくと思っている。



インスピレーションとは何か?
『特別で不可思議な行動や創造力が
心に喚起されること』であり


創造力が心に喚起されることは
クリエイティブな作業には
かかせない要素である。


AIが文章・曲・デザインなど
あらゆるクリエイティブワークを
担ってくれる今後、



インスピレーションは
人間の活動としてなくてはならない
行動パターンのひとつなっていくだろう。


創造力を高めるとは?



人それぞれ体質・性質が違うので
高め方は千差万別だけれど、



シンプルにいうと感度を
上げる・深める・整えることだと思う。

その感度の受け皿となっているのが
五感・体全身であり
この五感と体感覚からくる情報に対し
どれくらい認知して
さらに言語化できるかで
感度の度合いや整い具合がかわってくる。


そしてもう一つ直感力や創造力を
高めるのに密かに大切なのは
違和感を察知し、何に対し
どんな違和感が起こったのか
関連情報を取捨選択し、



多角的に観る・考えるに努め
自分で審神者(さにわ)をする
時間と労力の忍耐も必要である。

*審神者・・・古代の神道の祭祀において信託を受け
神意を解釈して伝える者のこと。



違和感とは不自然さ。
感度を上げていると不自然なもの
ナチュラルにフローしていないものに対して
自分の中の黄色信号が反応してくれる。



めす子はいつも違和感に感じたことは
メモして熟成させておく。


月日が経って忘れたころに
天かはたまた宇宙からかはわからないが
答えを教えてくれたかのように
なぜあの時違和感を感じたのか
腑に落ちるような何かが目の前に現れてくれる。



何度もこのパターンを経験していると
決して過信はしないが気のせいじゃない
直感・違和感を素直に受け止められるようになる。


可視化できないものなので何とも言えないけど
おそらく第六感からくるものだろう。


けれども頭であれこれ考えて
何かに追われ続けているような
「頭主導の体追従パターン」が続くと
感度が鈍くなってくる。


この段階で気づいて頭と体が緩むような
アクションができればいいんだけれど、


めす子はついまだやれると思って
アクセルを思っている以上に踏みがち。



けれどこの状態が長く続くと
体に備わっているホメオパシーが
傾きすぎた秤がもとにもどる天秤のように
心身の不調としてあらわれて
強制的に体主導にシフトチェンジさせられる。


正直なところめす子はいまその状態の
一歩手前まで来ているので
戒めの意味も込めて、さらに文章を紡いでいく(泣)



まとめると
感度とは五感と第六感からの
情報+認知+言語化である。



体という器で受けとった情報を認知し
それを言語化・表現して
必要ならばできうる限り
アクションを起こすことで、



受け取った感覚そのものが昇華され
さらに感度が深まっていく。


これが定着すると
世間一般の常識というものに対して
「それはそれ、これはこれ」という
【自分対他】においてバランスのとれた観方が
できるようになるので、



他人の意見や批評みたいなノイズを
ノイズとして認識しやすい。



器量があるほうではないので
めったにないけれど
そんなノイズにたいしても
ウェルカムな状態の時は
心身ともに余裕があるなと思わせてくれる。


アイディアや直感・直観は
考えて考えて考えて(頭主導モード)
ふっと力を抜いた時(体主導モード)に
ふわぁ~っとシンプルな言葉でおりてきたり、


そもそも根底からぐるりと
視点を変えてくれる(次元チェンジ)
ような言葉が湧き上がったり下りてきたりする。


ブレない自分の信念が軸となり
そこを基点にもがいたり
揺れ動いたりする中で、


あらゆる言葉・感情・経験の集合体が
臨界点を超えたとき
直感やアイディアが発生しやすいし
その時のひらめきや脳内スパークな感覚が
なんともいえないのだ。


プログラミングの世界において
臨界点を超える・次元がかわるを含め
インスピレーションのような
【情報が偶発的に発生する】ことは
起こせるのだろうか。


五感が清らかであるよう
五感にとどまる穢れを禊ぎ祓い
時には五感をフルに活用し
全身で内側にうけとめ
たまにあえて五感を静けさにさらして
意識を「無」の状態にすることもふくめ、



五感を通じてのインプットとアウトプットが
生きるベースそのものである。



以上をふまえて『料理上手は床上手』を
めす子なりに分析すると


四季折々の旬の食材の特徴である
色・大きさ・硬さ・味を五感で認知し
味付けなどイメージしながら
他の食材や調味料と掛け合わせ調理できる人は、



必然的に全身の感度が
深く整っていたりするので
おのずと床上手なのである。
(しかも昔の着物と下駄や雪駄は
身に着けるだけで体幹が鍛えられる。)


気づいたら頭主導にギアが入りやすい現代では
床においての男女のあれやこれやの
ハウツーが色々あるけれど、


いかに体主導の感度にふれるを
日常に取り組んでいるかで
異性とのケミストリーの濃度は変わるし
それが一番心身共に安らかな
ケミストリーにリーチしやすい。


五感からの情報を
骨の髄まで浸透させていたら
どれだけ見た目がステキでも
自分にとって心地の良いケミストリーが
生まれないような異性には
センサーは働かない。



し、己のエクスタシーを
己の空間・五感でみたす人は
むやみやたらにときめかないし
興奮という刺激物にたいしてとてもクール。


副交感神経の時の
セロトニン・オキシトシンが優位なのか
はたまた交感神経の時の
ドーパミン・アドレナリン優位なのか
の違いだけである。


どちらがいい悪いでは全くないし
若い時とある程度年齢を重ねた時
置かれてる環境・立場や
ライフイベントなどその時々で
どちらが優位になるか変わってくるだろう。


れども、
男女いろんな人の体を
いろんな手法で触れたり観察し学ぶなか
ある日救急車に運ばれ
一日中点滴につながった状態で
本厄の誕生日を病院で迎えた
アドレナリン過多だっためす子としては、


セロトニン・オキシトシンベースをできるだけ
人生の場面で多くもつことの大切さを痛感する。


改めて五感を整えるとは
自分なりのセロトニン・オキシトシンの発生と
それを維持できように
生活空間をはじめ
環境を整えることに通じる。


******

「はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。」(新約聖書:ヨハネによる福音書)


地球上で唯一、言葉というツールを使って
文明を展開してきた人類。


その言葉は今
AIという膨大な情報の大海原で
AIを作った人間を介さずに
毎分毎秒拡大・統制している。


そして言葉を扱えることで
生物界に君臨してきた人類が、
芸術と称して活動してきた
クリエイティブな領域にまで浸透してきた。


時代の過渡期のような現在
人類はもう一歩深い次元で
言葉を見つめていくフェーズにいるように思う。



言葉になる前の段階、
言葉になる前の自分の内側にある意識。



意識とはなにか。
生命とは何か。


『人類は未だ生命とは何かを定義づけできていない』
とはアニメ『攻殻機動隊』の
とあるシーンででてくるセリフだ。


「私」という意識が内在する生命。


そしてその生命は生きている限り
五感・全身を通して常に何かを感じ
喜怒哀楽をふくめて
様々な経験に寄り添ってくれる。



アニメガンダムシリーズの『逆襲のシャア』で
人間の魂は重力に縛られていると
アムロに諭したシャア。


シャアはそんな人間たちが住む地球を
自分の命でもって粛清しようとしたが、
なにか温かい優しいエネルギーが
どんどん広がっていき
その心地の良いエネルギーが増幅したからこそ
地球は難を逃れることができた。


「逆襲のシャア」のあのシーンを
めす子なりに現代に置き換えると、



心地の良い感覚にいざなってくれる
セロトニン・オキシトシンが
体内に充満している人間の集合体である社会は
未来の子供たちが安心して住める国づくりを
おのずと行えて、



セロトニンとオキシトシンで
満たされた国の集合体が
平和な地球であり、



地球という磁場と
人間からあふれてやまない
セロトニンとオキシトシンが
あわさったこの惑星に
争いや分断なんて
何のためにあるのかと思うに違いない。


きっとシャアはそんな地球を
望んでいたとめす子は思うのだ。



五感を整え、時には第六感を駆使し
ニュータイプのように言葉でなく
意識でテレパシーというネットワークを構築し
違いや相性を超えて地球全体で
和をもって貴しとなすの世界を作り上げる。



日本の古神道はまさにこれである。



言葉にすると簡単だけど
和をもって貴しがなかなか難しい。



それはなぜか、
和の対極にある違いを
なかなか超えれないからで、


違いを超えられないのは
【同じ・共通】を違い以上にみれないからだ。
(もっとも普遍的な共通は
生き物すべてに生命があり
地球という惑星に住んでいることだ。)

そして現代の社会構造が
セロトニン・オキシトシンの副交感神経より
アドレナリン・ノルアドレナリンの交感神経が
優位だからだろう。



資本主義はより速くより多く
の競争原理がベースにある。



交感神経優位や資本主義が
悪いわけじゃない。



これだけ情報があふれてるのに
体内でおこる生理現象を
人類は気づかなすぎ・見なさ過ぎなのだ。



ある種、意識や体感覚が重力に
縛られているともいえる。



だから感度をあげ
自分自身を重力から
解放することが大切なのだ。

*****

トルコにあるギョテクリ・テぺという
世界最古の神殿にある
生命体を模した石像には口がない。


オーストラリアの原住民アボリジニーが
壁画で残した生命体の絵には口がない。



今この地球上に口のない生命体が
存在するかはわからないが
古代にまで遡るといた形跡があるようだ。



口のない生命体がいた
あるいは宇宙のどこかにいるとして
彼らは何で意思疎通を図っていたのだろう。


ガンダムでいうところの
ニュータイプのように
テレパシーが主流なのではないかと思う。


第六感まで含めた意識。





かつて卑弥呼がいた時代
政(まつりごと)をつかさどっていた
シャーマンたちは
第六感は当然のごとく
第七感まで駆使していたにちがいない。



それらを現代風にいいかえると
いかに原始的感覚を呼び起こすかが
とても重要になってくる。


そしてその感覚をベースに意志疎通を図る。



西暦以前のもっとはるか昔、
日本に住んでいた人々は
おそらく原始的感覚でもって
意志疎通をはかることが
主流であったと思われる。



これがきっとこれからの時代に必要な
エッセンスの一つなのだと思うのだ。(完)



めす子


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